7月13日 湧き上がる
食べること/料理すること
今日の晩御飯はサイゼリヤへ。
毎度の柔らか青豆の温サラダと、アンチョビペースト別添えのマルゲリータとグラスワイン。
アンチョビとオリーブの組み合わせがめっぽう好きなので、たまらなく美味しかった。グラスワインではちょっと足りないくらいだったけど、2杯飲むほどではないなぁと。
柔らか青豆の温サラダは、半熟卵なしでもいいよなぁと思う。オリーブオイルとチーズを追加して食べた。この豆って売ってないのかな、いやでもたまに食べるくらいがいいようにも思う。
食べ終わったあと、ちゃぶ台を読んでいた。
土井先生の随筆に
と書かれていた。
料理したい気持ちが立ちあがらない今、"しっかり"生きるの"しっかり"を見失っているような気がする。とはいえ、別に"しっかり"することだけが大事なわけでもない。
かける言葉
高校の時の友達とLINEをしている。最近の話やら、ちょっと込み入ったような話をしている。高校の時には特別仲良かったわけではないけど、そんな話をしているのがなんだか不思議。もしかして、他の人ってこれくらい気負わずに色んな話をしていたのか?別に守ることも隠すこともないので、気楽に話せているのは良い。
ただ、傷つきを伴うような友達の生い立ちの話に対して、どう返せばいいのか分からない。推し量れない背景、気持ちに対して軽く返すことも、安易にこう思っているんだろうと想像して返すことも違うなと思って、どうしていいのか分からない。コミュニケーションって難しいなぁ。
ただ、表面的なご機嫌伺いはしないようになってきた程度には変わってきたと思う。人とのコミュニケーションで自分がどう思われるかは第一の目的にはならない。
やりたいことで認められたい
会社で尊敬している人と話す機会があった。あぁ、この人がしているようなことがおれのやりたいことなんじゃないかと思えて、仕事でワクワクするという感覚を初めて味わったようだった。
それと同時に、本当にこんなこと俺にできるだろうか?と考えさせられた。ずっと膝を曲げているような、5年間。頑張り方を忘れてしまって、冷え固まった頭にもう一度火がつくのか、その火は持続的なのか。
自律的にキャリアを切り開くには覚悟が必要と友達が言っていたが、それを初めて肌身で感じた。
人に認められればいいと思っていた学生時代。人に認められるために合わせるのではなく、内側から湧き上がることを大事にする必要があると気づいた今。
その後、内側から湧き上がることで、人にも認められたいと思うんでしょうね。根の部分は変わらないしね。