9月27日 適時
サイゼリヤで晩ごはん。
柔らか青豆の温サラダが好きなので毎回頼む。温玉を崩すと温玉味になり過ぎるから、一緒に頼んだ玉ねぎのズッパに避難させる。柔らか青豆の温サラダの温玉有無選べた方がいいのになーと思うんだけど、そうならないあたり何か理由でもあるんだろう。
隣のおじさんが何かをオーダーしたあと、小皿に塩胡椒をカリカリして、自分好みのソースを作っているようだ。サイゼリヤの楽しみ方を分かってる人だなと一目置く。
昨日から読んでる「どうして男はそうなんだろうか会議」を読み終わる。自分が享受している構造的な優位性を自覚し続けるしかないと思う。自覚し続けなくていけないのは、自分が未熟だからではなくて、他者を完全に理解することは出来ないからだということは、ある意味で自分を安心させた。他人と比べて自分が劣っているかとかじゃなくて、自分がどうあるかだと思う。
隣のおじさんの元にハンバーグが来てから1時間は経ってるはずなのに、まだハンバーグが残ってる。完全に食べ頃を逃してしまっているそれを見て幻滅してしまった。一目置いた1時間ちょっと前の自分は節穴だった。
仕事でどうしていいのやらということが溜まってきている。ココロのモヤモヤとして堆積している感じがある。人が揉めている会議を聞くことが増えたのもかなりストレスだ。
先日読んだ本で、鷲田清一が"皮膚と皮膚が重なる部分に心がある"という考えを引用していた。なんだか分かるような気がする。オンライン会議を聴いているとき、こめかみや眉間に手を当て、瞼を閉じていることが多い。周りにもそういう人が多い。何とか心を働かせて対処しているんだと思う。