12月31日 かさぶた

すっかり8時間以上睡眠がデフォルトになってしまった。良いことですね。

朝は肉まんを食べる。4コ入りの3コ目。あんまり好きな味じゃ無いんだけどなぁと思いながら食べる。ちょっとカドが強い。残り1コは年明けに食べることになる。雑煮の代わりに肉まんか。せめてスープ仕立てにでもするか。

大掃除とは言えない中掃除くらいの掃除をする。風呂掃除で信じられない汚れが出てきた。ここでは書けないくらいの。
こまめに掃除するよりまとめて掃除すればいいんでは?と思う派である。まとめての掃除もあんまりしないんだけど。いつまでこの部屋に住むか分からないなぁと思うと、ある程度汚くなければいいやという気持ちにもなる。

昼は、温泉たまごを作って豚汁に入れた。昨日炊いた豆を食べた。美味しくもなく不味くも無い絶妙な味だ。なんだか悲しくなる。

ずっと返せてなかった往復書簡を返した。何度も書こうと思いながら、日常の中では書くことが出来なかった。まとまって休めた今やっと書けた。書けたという大したものではないけども。

白菜を使いたかったので、夜はキムチ鍋にした。年越しキムチ鍋。どこにも無い文化である。一年の気持ちを煮込んで食べるキムチ鍋は縁起物と言われてますという、ない年越し文化を考えてしまう(生物群さんのないおせちを思いだしながら)

紅白をだらりと見てる。だらりと見るには情報過多で、そうかそういえば紅白ってこんなもんだったと思い出す。
途中、ももいろ歌合戦のアイドルメドレーの時には同時に見て忙しかった。1人の年越しは寂しさもあるけど、こんな自由もある。
ファーストサマーウイカが歌うオーケストラが胸に来た。アイナパートを歌うウイぽん。時を超えた何かがあった。

今年は激動の一年でした。別居が始まった直後に年が明けた。さらにその直後に微熱がでて体よりも気持ちがだいぶやられてしまった。その後、離婚と異動が同時にあって、引っ越しもした。ストレス因子しかない中で、なんとかやられてしまわないように、ケアしながら好きにやりながら人に会いながら。そんな中で、副業も始まったりして、苦しい中でもなんとか種まきもして。そして、最後にコロナに罹って、1人隔離されて年越し。色々あった一年の締めくくりとしてはある意味これ以上はない。
この一年はやっぱり別れや傷や後悔を消化するために過ごしたと思う。もう生傷ではなくて、瘡蓋が出来てきてる。これからもずっと申し訳なさを抱えることには変わりがないんだけど、それでももっと先へと思っている。
1日経って明日になって何かが劇的に変わる訳ではないんだけど、それでも今日から明日への切り替わりは何か大きな変化があるような気がしてる。

そろそろ、買っておいたカップそばを食べようかなと思う。お腹はいっぱいだけど。

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