7月のいつかと8月のいつか 育む
革靴の裏がぺろーんってなってしまった。靴裏を見て、減り方のアンバランスさにも気付き、改めて歩き方の悪さを感じる。高校の時に「歩き方が田舎っぽい」と友達に言われたことがある。
スーパーの中の靴修理屋さんに持っていって無事修理してもらえた。次の日引き取りとかかなぁと思ったけど、1時間足らずで対応してもらえた。「うわ〜、プロフェッショナルだ〜」と心の中で思う。
少し壊れたとしても、ちゃんと気づいて手を打てばまた使うことができる。おれは修理とかの発想が弱い。
昼休みにコーヒーを飲む友達が育休に入っているので、昼休み寝ているだけだ。たまには寝たいなと思う日があったけど、あの友達と喋る時間によって寝る以上に回復していたよなと思う。
出産祝いを買った。絵本を3冊。生後わりとすぐから見せられるやつ、もうちょっとしてから見せられるやつ、さらにもうちょっとしてから読めるやつの3冊。喜んでもらえるかなぁとソワソワしている。
おれは友達夫婦が出会うキッカケを作ったと言えば作った。そう思うと、その子はおれがいなかったらいなかったのかもしれないよなぁ。まぁ出会いに限らず色んなY字路の先の今だから、あらゆることが関連していて、決定的な原因なんてないんだろうけど。
今までプレゼントとかニガテだった。どうしても、"あげないといけないモノ"、"返さないといけないモノ"という意識がある。でも、今回はあげたいという気持ちが結構大きい(100%というわけではないけど)
すくすく育つことに少しでも影響があれば嬉しいなと思う。
あちこちオードリーのオンラインライブを観た。ネットでは絶賛だったけど、おれは少しツラかった。仕事における熱量、どれだけバイアスを持たずに人を見ることができるか、人に与えてしまう影響を想像できるか。どれも自分には足りないと感じてしまった。それによって奮起される訳ではなくて、落ち込んでしまう。
なにか表現を見る時、おれはどうしても"共感できるか"もっと言えば"これは俺だ、俺が感じてたことだ"と思える何かがないと受け取ろうとなれない。恥ずかしいことではあるけど、どうしようもなくそうだ。
どうすれば、違うことを受け取れるか、楽しみを見つけられるか。