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往復書簡 持続可能なエモ

どうも、お久しぶりです。
外にでるのも嫌になるような暑さになってきました。
昔はこんな暑さの中で部活してたのがウソみたいですね。

お返事ありがとう。はやく返事書かないとなぁ、エモについて書きたいなぁとは思ってたんですが、ばたばたしていて、連休になって時間が出来たので書いてます。

義務教育の美術の時間は最も退屈な時間でした。

これを見て思い出した。俺も基本的に退屈な時間だったんだけど、一つ良かった体験がある。
小学校の図工で、4枚くらいの額縁に入った有名作品の模写が黒板にかけられていて、鑑賞する時間があった。
その中に雪舟の水墨画があって、異常なほど惹き込まれたことがあった。
色は白黒で、情報量で言ったら隣に飾ってあった西洋画の方が圧倒的に多かったはずだけど、水墨画を食い入るように見ていた。
その後、水墨画を見ることが増えたとかそういうことはなく、あの時は何だったんだろうという気持ちだけど、不思議と惹き込まれて、落ち着くような体験があった。(書いてて思ったけど、昔この話したかもしれんな)

何がフックになるか分からないし、そういった惹き込まれは外部から引き起こされるものではないようにも思うから鑑賞教育って難しいなと思う。人によってはその惹き込まれが起こるのは絵かもしれないし、音楽かもしれないし、文学かもしれないし、映画かもしれないし、スポーツかもしれないし。だけど、必要なことだと思う。

椎茸と同じ大学へ進んだ彼かな。

俺の中で、彼に対する印象は何を考えているか分からなくて怖いだ。だけど、怖いという印象は自分が勝手に作り出したものかもしれないと思った。彼にまつわる思い出を一つ。

小学3年生くらいの時かなぁ、朝の会で日直(日直ってめちゃくちゃ懐かしいな)が好きなことわざを発表するというのがあった。
他のみんなは誰もが知っていることわざを発表していたが、おれはそれが嫌だなと思って、ことわざ辞典を調べて、みんな知らなそうな、ちょっとカッコ良さそうで、意味もよさそうなことわざを発表した。(確か、急いては事を仕損じるだった気がする。"急いて"ってのがカッコよく感じたのかな笑)

具体的な言葉は忘れたのだけど、彼に嘘だと言われ、苦笑いをしながらとても恥ずかしい気持ちになった。確かに、そのことわざの意味なんて全然しっくり来ていなかったと思う。

彼にはすべて見透かされている。そんな気持ちを無意識に感じて、それから彼とはさらに距離を置いたように思う。いい子にしていれば教師は騙せるけど、彼を騙すことはできない。教師に取り入る優等生的な自分、そういった価値観にはいない天才的な彼。彼について考えると、自分が虚しく思えるから、彼については考えないようにしているのかもしれないなと思った。

俺が会ってみたいと思う人は、1人なんと書くか難しいのがあって、これはまた会った時に話すことにしよう。

ここに書けるバージョンの話としてはおれと同じ高校に行っていた水泳部の彼かな。単純に今どういう仕事をしているか気になるし、普通に話がしたいなとは思う。一方で、いつかこんな話もしてみたいと思う。

俺の方が学力的ステータスでは上にいるという優越感を持っていた。それが、俺が就活で落ちた業界の会社に彼は受かっていて、そうなんだおめでとうと思う一方、俺のが上だったのにという気持ちがやっぱりどこかにある。

会った時にこの話がうまくできるか分からないし、この気持ちを彼に言っても困るだけだろうから、話さなくてもいいとも思うんだけどね。

おいらが生きている理由はエモさだけなんじゃないかと暑さにやられた頭でぼーっと思う。

俺もちょうどエモについて考えてみたり、Spotifyで自分がエモいと思う曲のプレイリストを作ったりしていた。笑

今はそのプレイリストを聴きながら書いている。
30代に差し掛かろうとしている時にエモについての話をすることは大事だと思う。

自分のTwitterでエモと検索をかけてみると使用例はほとんどが音楽に纏わるもので、俺にとってはエモが音楽と強烈に結びついているから、曲とエモについてという視点から書くことになります。

あの時の思い出、あの情景と紐づいたエモい曲もある。
一方で、自分のことではないんだけど、あの時違う道に進んでいたら、あったかもしれないパラレルワールドのように感じられてエモいと思う曲もある。(これは中高の時に青春らしい思い出が少ない(というか遠ざけていたということもあるんだが)ことに起因していると思うけど。)

楽しかった過去、辛かった過去、はたまたあり得たもう一つの過去。

今経験しているあれこれも10年後にはエモいと思えているのかもしれない。経験できなかったことすら、エモいと思えてるのかもしれない。
エモいと思うためには現実単体では十分ではないと思う。現実を修飾する曲、あり得た別の現実を見せる曲。現実をストーリーとして編みなおして思い出になる。

俺の中にはエモに浸りたい気持ちとそれではダメだという気持ちが両方存在する。

それはエモに浸り続けることは、未来のエモを取り逃すことになるからなのではないかと思う。

今持っているエモを吸い尽くして出汁ガラになってしまわないように、今を生きる。

すると振り返ると新たなエモが出来ている。

今を生きるために適度にエモを摂取する。

そういう持続可能なエモを作っていかなくてはいけないんだと思う。

エモいと感じられるようになる未来のためにと思えば今も少しはマシに思えるかもしれない。

こないだ、日本に帰りたいということをtwitterに書いていたと思うんだけど、その気持ちを少し聞かせて欲しいなと思う

ではまた。

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