「あのサンマリノ」から30年経った今、思うこと
こんにちは。
本日(多分アップする頃には日付が変わっていますが・・・)2024年5月1日は、アイルトン・セナの30回目の命日となります。また、その前日の4月30日は日本でも走っていたローランド・ラッツェンバーガーの命日です。もう30年です。。
早いようで長い30年。
当時の中継は生では見ていません。
たまたま父親が録画していたビデオで初めて見ました。
子供心ながら、大の大人がテレビで泣くなんて相当なことが起こったんだなあ、と思っていました。
その後もたまに見てはいたのですが、大きくなり、F1のことを調べていくうちに、あの週末で何が起こったのかわかるようになってからは見られなくなってしまいました。
あまりにも居た堪れない気持ちになってしまうのです。
セナは日本を愛し、日本もセナを愛した。
今日のホンダ本社には、セナのマシンの前にお花があったそうです。
いまだにF1と言えば、よく知らない方でもセナの名前を出せば大抵わかってもらえます。
それほど日本人にF1、アイルトン・セナの名前を浸透させた偉大な人物。
そんな人が、まさか決勝中の事故で亡くなるとは・・・
ラッツェンバーガーにも思いを馳せます。
日本でJSPCやF3000に乗り、ル・マンへも出走をし経験を積み、34歳でついにつかんだF1のシート。
開幕戦ブラジルでは予選落ちしたものの、第2戦パシフィックでは予選通過。
新興チームのシムテックからのデビューではあったものの、まずは着実に完走を・・・といった矢先の事故でした。
94年のル・マン24時間に参戦したマウロ・マルティニ、ジェフ・クロスノフ、エディー・アーバイン組の1号車には、三人の名前の上にラッツェンバーガーの名前が貼ってあったそう。
そんな愛され者も・・・
1987年からF1の中継を行なっているフジテレビからはこんな動画が。
写真を繋げて作った一見単純な動画にも見えますが、全て日本人のF1カメラマンのパイオニア・金子博さんのお写真を使用されたとのこと。
放送局の公式チャンネルなのでそこらへんの素人みたいに拾ってきた写真・動画を我が物顔で流すようなことをしないのは流石です。
F1はこの30年、悲しい事故もありましたが1964年から1994年までの30年間よりは確実に死傷者は減りました。
今でこそ当たり前になった頭部・頚椎保護ツールのhans、Halo(インディカーではエアロスクリーン)もなかった1994年から、マシンは進化し安全対策も進化を続けてきました。
危うい事故も何個もありました。レース界全体で見ると事故は減っていないとも思われるかもしれません。
でも各ツールの進歩のおかげで死に至ることは少なくなってきた。
そのことを、レースファンとしてもっと喜びたいな、と思います。
お二人のご冥福を祈りつつ、このnoteを締めたいと思います。