世の中全部運と縁
世の中全て運と縁だと思うので、気楽にやればよい。
努力で何かを掴むと言ったって、そもそも努力できるかどうかは前頭前野の働きである程度生まれつき決まっているので運だし、努力ができる性格だったとしても人それぞれキャパシティというものがある。学校に行かず何もほかのことをせず白い部屋で毎日15時間勉強しろと言われたら、努力家だとしても普通に気が狂うが、稀にできるやつがいる。それは努力できるかどうか以上に本人のキャパシティによるものだと思う。
よく学歴は努力の証だと言うが、間違ってはいないが努力100%で測れるものでもないと思う。
知的障害なく産まれ、そこから勉強が手につかなくなるほどの体調不良もなく、学ぶ場所へ通える距離にあり、学ぶ場所が嫌にならず、勉強に集中できる環境を用意され、中学・高校を出たら働けとは言われず、未成年の頃は親に守られている。この環境がいかに恵まれたことか
私は高校3年の時通学型の通信制高校に通っていたのだが、そこにいたのは賢く、性格もいい子達ばかりだった。そこには十分な学力も学びたいこともあるのに発達障害でどこにいっても虐められ学校に通えないので大学進学を諦めた生徒、薬が切れると倒れてしまうので高校に通えず大学受験もままならない生徒、だったりが通っていた。
彼らに自己責任や努力不足という言葉を当てはめるのは酷である。
もちろん学歴のある人の努力は否定しない、努力のできる環境を準備されても努力をしなければいい大学には入れないのだから。でも恵まれた環境があった時点で運なしには成功を語れないでしょう。
一方、縁というのはある程度の努力や工夫で掴めたりするもので、例えば全然努力できない脳に産まれたとしても工夫次第では好きなことをして生きていけたりするわけだ。でも縁はフラッとあらわれるものだから、がむしゃらに努力して掴めるというものではない。縁が向こうからよってきた時に敏感に察知してつかみに行けば掴める、くらいのイメージだ。
就職活動がわかりやすいが、就職活動を見てみると別に優秀な人から順に内定を貰っている訳ではないことがわかるだろう。ある程度時期と優秀さに相関はあるが、要するに企業との縁である。そもそも新卒なんて優秀さはどんぐりの背比べなんだから大抵の会社は人柄が会社に合うか、素質が会社に合うかで採用している。
つまり、企業に縁があるなと判断されれば採用、そうでなければ不採用というわけだ。ここで戦略として縁があると判断されそうな企業を受ける、縁がある部分を押し出してアピールする、みたいな戦略が生まれてくる訳だが、結局縁なので別に100%通るわけではない。
人間、上手くいったことに関しては、運と思って謙虚にしておくのがいいし、上手くいかなかったことに関しては、縁と思って次はどんな縁をどう掴むか考えるのが1番いいのではないかと思う。
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