「ソープに行け」と言われたから行く訳じゃない。
北方謙三の『水滸伝』が、最近のお気に入りの小説です。
通勤中に読み進めていますが、全19巻、大水滸伝シリーズとしては、その後に『楊令伝』15巻『岳飛伝』17巻と進むので、骨のあるシリーズです。
1月22日現在、私は『水滸伝』の17巻まで読みました。
魯智深曰く「ソープに行け」
水滸伝のあらすじをここに書くにはあまりにも長くなるし、水滸伝自体の説明をしている記事はインターネットに溢れているので、気になる方は是非とも『水滸伝 あらすじ』とでもして検索してみてください。
今回は北方謙三版『水滸伝』(以下、北方水滸伝)のエピソードを基にして話を進めます。
北方水滸伝には、水滸伝には本来登場していない人物がいます。
彼の名前は「楊令」。大水滸伝シリーズの二作目となる『楊令伝』とは、彼の名前を取った水滸伝の二作目となります。
(まだ読んでいないので断定はできないのですが、多分そうだと思います)
楊令は、北方水滸伝の中でも特殊な立ち位置にいます。
青面獣楊志(幻想水滸伝で言うと青雷のフリック)の養子として育てられ、
楊志の死後は豹子頭林冲(幻想水滸伝1や2ではパッとしないが、原作水滸伝においては声望が高い)に預けられ武術を徹底的に身体に教え込まれ、
その後は霹靂火秦明(幻想水滸伝2で言うとキバ)とその妻によって親子の交わり、その暖かさを知りました。
その後は子午山へ預けられ、王進の下で武術と人間力とを授かります。
17巻まででは、そこまで描かれています。
(そうです、私の初水滸伝は幻想水滸伝です。3月6日に発売予定のHDリマスター版が楽しみの方も多いでしょう)
楊令は、その出自、楊志、林冲、秦明に育てられたという梁山泊でも異例の来歴、そして王進の下で育てられている、という作中最高の待遇を受けています。
作者の楊令に対する入れ込みっぷりが分かるってもんです。
それが後の楊令伝につながっていくのでしょうけれど、リアルタイムで読んでいた人は彼にどんな気持ちを抱いていたのか、知りたいものです。
王進の下で育てられている楊令は、人間として直向に強くなっていきます。
それは武力に留まらず、精神的な強靭性も獲得していくのです。
心身に帝王学を沁み込ませるように成長していく楊令は、次期梁山泊頭領としての、あるいは新国建造時の帝王としての素養を得ていきます。
子午山には、王進とその母、そしてそこへ訪れる梁山泊の一部の人と、隠棲するにはもってこいの場所です。
しかし、次期頭領と目される(あるいは作者から期待される)楊令の成長にとっては、一つの大きな問題があります。
それは、人との交わりが希薄であること。
特に俗な物との交わりがないことです。
社会には色んな人物がいます。世の中は、梁山泊の豪傑達のように心身共にタフな男ばかりではありません。様々な人間が交わり、心を通わせ、時にはぶつかりながら、社会という大きな織物を作り上げていくのです。
そこに、強靭で美しい一本の糸だけがポツンとあっても、織物全体の美しさには勝てません。
楊令は、一本の強靭で美しい糸です。
ですが、人との交わりがなければ、織物にはならない。
そこで、彼に俗との繋がりを提言する人物が現れます。
それが花和尚魯智深です。
魯智深(幻想水滸伝で言うとビクトール)は、楊令を子午山へ連れてきた人物でもあり、各地を転々として梁山泊の志を教えまわり、梁山泊の活動を陰で支えてきた主要人物の一人でもあります。
北方水滸伝では事情があり魯達と名前を変えていますが、水滸伝では魯智深という名前の方がメジャーなので、特に気にせず魯智深で行きます。
子午山へ訪れた魯智深は、病に侵されていました。
訪れた際も、弟分の武松と李逵に担架で運ばれていたほどです。
魯智深は一日のうちの数刻しか起きることも出来ず、楊令はその時間に魯智深と面し、話を聞きました。
その中で、魯智深は楊令に路銀を渡して言うのです。
「女を抱きたいか?」
人の悲しみ、苦しみ、怒り。それとは違うところで、女を知らなければならない。魯智深の言葉です。それに対して、楊令は尻込みします。小難しい言葉を使って、後退るのです。
王進と同じようになりたい、という楊令。
しかしそれでは、人と交わり、頭領とはなれません。人との交わりを自ら断った王進では、人の上に立つことはできないのです。
「人の世とおまえを繋ぐのが、女だ」
魯智深の言葉に圧され、また王進の「自分のようにはなるな」という言葉を思い出した楊令は、渋々ながら麓の里へ行き、貰った金で女を抱いたのでした。
仙人になるか、俗人になるか
このエピソードは、私の心をガッチリと掴みました。
「魯智深!お前、作者の言葉を代弁しすぎだろ!」と思いました。
そうです、あの有名な「ソープに行け」です。
北方謙三と言えば、ハードボイルド小説だけでなく、もう一つ、有名な雑誌連載がありました。それが『Hot-Dog PRESS』に連載された人生相談です。
1986年から2002年まで連載された「青春相談 試みの地平線」というタイトルの人生相談は、若者男性向けの雑誌において人気を博します。
そこで出てきた名言が「ソープに行け」なのでした。一説によると北方謙三自身は4回くらいしか言っていないとか、いや59回は言っている、とか、ネットを検索していると色々出てきます。
閑話休題。
魯智深は、王進の背中を見て王進のようになりたいと考えていた楊令に、下界に降りて人間になって欲しかったのでしょう。王進自身も自らの隠棲を他者に強制することはなく、むしろ悩める人間を一時的に預かり、そこで再び人間として生きられるようにすることを望んでいるようでした。
楊令は、あまりに王進に近づきすぎてしまった。憧れてしまった。
王進の生活は自然のままであり、仙人のそれと言っても良いでしょう。本人はそれを良しとしていますが、他人にそこで人生を終えて欲しいとは望んでいません。
しかし王進は楊令に「ソープに行け」とは言いません。彼は人智を越えた仙人の境地におり、悟りを開いたような人間として描かれています。よって、代わりに花和尚魯智深が楊令の下に現れて言ったのでしょう。
この時の楊令の「行きたくないな~」感はなかなかに面白いです。
「王進先生なら『ソープに行け』なんて言いません」とか「どうして今行かなきゃいけないんですか?」と、言葉を尽くして行かない理由を述べます。
「人間はやらない言い訳を探す時に最も創造的になる」という話を楊令のソープへ行きたくない話で実感したくなかったなあ。
もちろん、やらない言い訳探しをする楊令に対して、魯智深は屁理屈で対抗し、楊令をソープへ行かせることに成功します。
童貞は、何とかしてソープへ行かない理由を探すものです。
その辺は楊令という物語における大人物でも変わらないのです。いや、あるいはソープへ行かない言い訳をする楊令の姿は、『Hot-Dog PRESS』で連載していた人生相談から着想を得たのではないでしょうか?そう思わせるくらい、うじうじした姿が初々しいのです。
女によって人の世に繋ぎ止められた楊令。
男は、女と交わって初めて人の世に繋ぎ止められる。というのは、北方謙三イズムが出ている、ハードボイルドな考え方だと思います。
いわんや非モテ凡人をや
楊令でさえ、女と交わることで人の世との繋がりをようやく得られるというのに、一般人の、まして社会の底辺のような給料で生きている非モテサラリーマンがソープに行かない理由探しをして何になる、って話なんですよね。
非モテ凡人、何をか悩む。
悩む前にソープに行け。
モテないからこそ、ソープに行け。うじうじ悩むな。
楊令のエピソードは、私の風俗に行く気持ちを高めてくれました。
これは言い訳ですけど、北方水滸伝を読み始めたのは風俗に行く決心をするためではなく単純に北方謙三の書く中国の歴史小説が好きって言うだけで、元々水滸伝ではなく三国志を読んでいて図書館に行ったときにたまたま北方謙三の大水滸伝シリーズが置いてあったから骨太な小説を読みたいなあという私の気持ちと合致したためであってここで書いたような楊令が魯智深にソープに行けと言われるエピソードがあったなんて全然知らなかったし、17巻まで読んで初めてそういうエピソードが出てきてすげー面白かったし私のエッセイの内容にも合致していたので思わず書いたって言うだけの話なので、北方水滸伝自体はとてもハードボイルドで格好良い好漢の出てくる非常に骨太な歴史ロマン小説なので皆読もう!
(ここまで超絶早口)
もしかしたら、あまり期待しすぎてもいけないのだとは思います。
ソープに行って何が変わるのか、それは分かりません。ですが、やらない言い訳を探してその場に留まるのは、40歳を迎える人間には、飽きたのです。
楊令が14歳で魯智深に言われたことを、アラフォーになって実践する。友達の少ない人間の、なんと滑稽な姿でしょう。
「『ソープに行け』と言われたから行く訳じゃない。」とかつべこべ言わずに、行くと決めたら行く。
言い訳に創造力と時間を費やしている暇は、私にはない。