随筆 独楽の舞倒れの危惧
あまり聞かない慣用句であるが、独楽の舞倒れという言葉がある。
今の社会、これに近い状態にある人々が多く、別名社畜と言われる。
独楽の舞倒れの意味を説明すれば、一人で限界まで頑張って力尽きて努力が無駄になるという意味だ。
現在大学では実習が始まり、ここからグループワークが本格的になってくる。もちろん勤勉に学ぶ姿勢を取ることが重要であるのだが、全員が全員そうあれるわけではない。
私自身いつ気持ちの上がり下がりでつぶれてしまうかわからない不安を抱えているので、無理のない範囲で出来ることをコツコツと積み上げたいところである。
しかし、誰かがやらねば事は先に進まない。誰もやらないなら俺がやろう。そういう感情が前に出てしまえば結果的に自ら潰れに行くようなものなのだ。
今私は回る独楽である。他者との意見のぶつかりを考えれば、喧嘩独楽という方が正確であろうか、近年であればベイブレードというべきであろうか?
独楽は止まれば負けである、いかに自分が回り続けるかが課題である。
ベイブレードでは相手の独楽の回転を吸収する持久型などもあるそうだが、複数のチームメイトを回し続けるように鞭を取るたたき独楽の意識を取るべきなのだろうか。
先日のグループ発表でもそうだったのだが、どの程度自分が積極的に動いてチームメイトにどの程度仕事を任せればよいかという具合がまったくもって分からない。
自分のやる気はもちろんなのだが、仲間のやる気のコントロール、やスケジューリングにも意識を回さなければならない。
ここまで書いて思うのは、もしかしたら自分の独楽を止めているのは自分自身なのではないか? わざわざグリップを利かせた場所で独楽を回しているような摩擦を感じる気がする。自分の回転持久力をもう少しだけでも、意識していかなければならないかもしれない。