随筆 笑うことで得られる力
大学の講義にて「コミュニケーション」について色々と考えさせられることが多かった。
グループワークの発表の中でも「コミュ障」には二種類あるという話も上がっていた。
彼らの発表では「自己主張の強いタイプ」と「自己主張の弱いタイプ」が居るというものもあった。
ここで自己主張の強いタイプと弱いタイプに共通して、コミュニケーション障がいと思われる人物の共通項を一つ提示してみたい。
それは「笑顔を見せることが少ない」ということである。
私は笑い上戸かというほどよく笑う人間である。自分でも笑い声がうるさいと思うことがあるほどであり、時には一昔の漫才や漫画的表現のように手を叩いて笑うことすらある。拍手のように何度もたたくというよりは柏手のように一度であるが。
この笑うという行為は対象を取っていれば「あなたに好意を持っている」という表現が生まれる。そうでなくてもその場を楽しんでいるのだというのが見て取れる。
「陰キャ」と呼ばれる人物たちがグループの盛り上がりや陽キャに対して苦手意識を持つのはなぜだろうか? それは「疎外感」を受けるからである。
自分は受け入れられてないからではないか。場の空気を壊したらどうしようか。ほかにも各々様々な要因を持って否と感じることがあるのではないだろうか?
真面目過ぎる人間や、他人に関心がない人間、自己肯定感の低い人間というのは笑顔が少ないように思う。これらの共通点は他人に対して積極的なコミュニケーションを取ることが少ない。自己という殻を強固に持っているという点である。
必然、こういった人物たちは笑うことが少なくなり、笑う経験が相対的に減少する。
人間は意識・無意識に経験を蓄積させていく事で成長し、生活する。
笑う経験の少ないことが、自己の形成に影響を与え現在の自分を作り上げているのだと考えると、まず笑うことから始めるとコミュニケーションは変化するのではないだろうか。
私的な今日の経験であるが、オープンしたばかりのリフォーム会社の支店の目の前を通りかかった時、私はこの会社に少々の興味を持ち「何の店なのか」と尋ねた。
リフォーム会社であることに驚愕し、それが地元密着で20年続いていることに驚嘆し、社長の名前の一部が私の名前と共通していることにも共感を受けた。
企業理念から「利益の少ない高齢者の住宅、その身の回りの小さな施行にも積極的な力を入れている」ということを熱心に語るスタッフの熱意にも好感を持った。縁の下の力持ちとは正にこういう人たちの事である。
この時の私は自分で思い返してみても常に笑っていた。
伺った内容を押し並べたものを見て「なんだ、大して珍しい話ではないではないか」と感じた読者の方もいるだろう。
しかし、これが対話というリアルタイムで驚愕、驚嘆、共感、感銘を受けることで私は話を聞くのが楽しくなり、笑顔になる。
私が人を惹きつける人間であるかどうかは、周囲の人々からの評価に任せるとして。
人に話しかける事や人の話を聞くというのは難しい。だが、笑うことならきっと一人の時でも出来るだろう。
映画を観たり、漫画を読んだり、そういった時に大声で笑ってみる。これがまずは一歩になるのではないだろうか。