『みゃもの日記』考察
2020年7/31突如として公開されたnote記事『みゃもの日記』 一見自分を萌えキャラだと思い込んだ異常なオタクによる日記風記事に見えますが、その実態は謎に包まれています。
この記事では、『みゃもの日記』に関する考察をしていきます。
Layer1:『みゃもの日記』とは
『みゃもの日記』は2020/07/31 DR_Cafeというアカウントが公開したもので、それ以外の情報は全てが謎に包まれています。公開した本人もその内容について触れることはなく、その内容に何らかのメッセージが隠されているのではないかと僕は推察しています。
下記リンク先で『みゃもの日記』を読むことができます。
https://note.com/cafecafe_/n/n40a83692c0ac
Layer2:『みゃもの日記』の"みゃも"とは
一見すると、一人称として用いられているように見える"みゃも"ですが、一般的に一人称として用いられる単語ではありません。なので"みゃも"とは書き手からの特定の人物への呼称 つまり、『みゃもの日記』は書き手自身の日記ではなく、書き手がストーカー行為を行なっている対象の日常をメモした文章なのではないでしょうか。
Layer3:『みゃもの日記』は"みゃも"のストーカーによる文章
前述の通り、"みゃも"が書き手ではなく観測対象だと仮定した場合、以下の文書の"鳥さん"が書き手と考えられます。
みゃものてくてく歩きじゃ絶対間に合わないみょん……。先生に怒られるみょん。そんな時、空から鳥さんたちが飛んできたみょん!!
「こんにちは、私はさっきの小鳥たちの母親です。さっきはうちのガーちゃんとぴーくんにあいさつしてくれてありがとう。お礼に学校まで送り届けてあげます」
や、やったみょん!!これで先生に怒られずにすむみょ〜ん!!みゃもは鳥さんにありがとうって言って、背中に乗せてもらったみょん!はにゃあああああああああ!!これが空を飛ぶってことなんだみょんね〜!!!
つまり、この一連の文章は登校中の"みゃも"を"鳥さん"(書き手)が背中に乗せる=車等で学校まで送ると言って乗せた、つまり誘拐の現場を描写していると推測できます。
その後出てくる"保健室の先生"も書き手であり、「保健室に行った」というのは書き手の部屋まで誘拐された描写 そして「体操服に着替えた」というのは誘拐犯である書き手の趣向によって着替えさせられ、性的暴行を受けていることの暗喩だと推察できます。("びしょ濡れ"であることも性的暴行受けたことの暗喩であると捉えられます)
そして、次の文書は書き手が"みゃも"を誘拐した際の会話を表しています
保健室の先生は、お家ににゃんにゃんを飼ってるらしいみょん!いいみょんな〜って思ってたら、こっそり写真を見せてくれたみょん。とってももふもふなにゃんにゃん、可愛かったみょんな〜。みゃももパパとママににゃんにゃん飼いたい!ってお願いしたことがあるみょんけど、めちょめちょに怒られちゃったみょん……。みゃもは保健室の先生の飼ってるにゃんにゃんをずぅっと見てたみょん。名前はにゃんごろーっていうらしいみょん。保健室の先生のお家に行きたい!ってお願いしても、話をそらされてしまったみょん。
書き手は"みゃも"に猫の写真を見せ、猫を見せると言って家まで連れて行ったと読み取れます。
そして、"みゃも"は給食を保健室で友人と保健室の先生と食べ、その後教室に行ったという描写に移りますが、教室では誰とも会話をしたという描写がなく、かなり文章も減っているのは書き手(=誘拐犯)が学校の内部までは入れないので、教室での"みゃも"を書くことができなかった為だと考えられます。
以下の文は、下校時友達のちえみちゃんと別れる際の"みゃも"の発言になります。
ちえみちゃんはとっても悲しそうな顔をしてたから、本当はもっとみゃもと遊んでいたかったんだみょんね〜。
学校から帰るという描写で『本当はもっとみゃもと遊んでいたかった』という言葉は大袈裟すぎると感じます。なのでこの発言の本当の意味は『ちえみちゃんはもう"みゃも"と二度と遊ぶことができない』
つまり"みゃも"はもう帰れない状況にあるということを示しているのではないでしょうか。
そして、これは憶測の域を出ませんが、ちえみちゃんは実在しておらず、書き手の"みゃも"と誘拐犯ではなく、友人になりたかったという感情を一人の人物として描写しているのではないでしょうか。
そして、誘拐犯である書き手が"みゃも"ともう会うことができないということは、書き手が"みゃも"を殺めてしまったということになります。そう仮定した場合、『本当はもっとみゃもと遊んでいたかった』という言葉も誘拐犯によるものだということで辻褄が合います。
Layer4:考察まとめ
書き手は"みゃも"のストーカー。そして、書き手は"みゃも"を監視し、その行動を日記として文章に残していたが、遂に誘拐に及んでしまう。そして書き手は"みゃも"に対し性的暴行に及び、その際"みゃも"を殺めてしまった。『本当はみゃもと遊んでいたかっただけだったのに』
『みゃもの日記』は女児誘拐殺人犯による独白であると私は考察します。
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