より四季を意識せよ? Leica M-E(Typ240)
今はスマホで手軽に写真を撮れる時代。
そんな中、わざわざ数十万(もしくは数百万)もするようなカメラを買って写真を撮っていると、「なぜ自分は写真を撮っているのか?」と言う哲学と向き合う瞬間が出てくる。
その道筋や目的地は人それぞれであるのは言うまでもないにせよ、日本で生きている以上、ファインダーを覗くような撮り方をされている方々はきっと道端の草木が色づいていることにより気づき、より心を動かされているのではと思う。
初めはきっと見るもの全てを撮りたくなり、
そのうち好きな被写体が見つかり、
世界はこんなにも美しいのかと感動する。
好きな写真の真似をしながら、
色を出したり抜いてみたり、
たまには違うものも撮ってみたり、
なかなか思うようには撮れずに四苦八苦し、
それでもやっぱり好きなものを撮り続けていく。
そんな感じなのではなかろうか。
自分の場合は、家族が中心のため子の成長や思い出といったキャプチャー要素が強いが、それでもカメラを構えて撮っているのとiPhoneで撮っているのでは感覚が異なる。(言い訳)
特にLeica M-E(Typ 240)なんて使う日が増えたこの頃は、そもそも子供という動体にガチピンで合わせるなんてそうそうできないし、レンジファインダーの機構上、シャッター時のブラックアウトがない。
つまり肉眼で見ている状態が常に続いているので、よくある「カメラ構えてて、実際見てない問題」は解決している。
ちなみについてるレンズもブライトフレームの枠とは違う40mmのため、レンジファインダー内の枠さえ、当てにならないというレベルだ。
というわけで、Leica M-E(Typ 240)を持ったことで、より肩の荷が降りた感じで、好きなものを純粋に、心が動くものにカメラを向けている状態になっている。
もちろん子供を中心としたものが多くなるのは必然だが、木漏れ日が時期によって出方が違ったり、紅葉でも場所による色付きかたが変わっていたり、旬の食べ物を思い出してみたり、と日本の四季を強く感じている瞬間が増えている。
「モノクロの世界が色づき始めた」ほど、元の自分に色彩がなかったわけではないが、それでもやっぱり色彩+1、コントラスト+2くらいの変化はあったのではと感じている。
少しずつ人以外の写真が溜まってきたので、現像を進めたものから徐々に載せていこうと思う。
ではまた。