小正月には『腰抜け』だの『童貞』だのと

 さて... 松もとれて早早の衝撃と云うは、半藤一利先生ご逝去の報。
 今更にあたしがとやこうやの評を申すまでもありません。ただただ、吐息とともにうつろな想いで見上げる空の雲の彩。
 ひたすらにご冥福をお祈りいたすのみ。

 ―――― もしかして 今頃、『やぁやぁ 遅くなりました』『いや、お待ちしておりました ...なんて、なんと不謹慎な...』なんて、司馬遼太郎さんや松本清張さんと久闊を叙しておられるのかもしれませんが...

 半藤先生と申さば、昨今のコロナ禍 ...と云うよりはもはや 武漢肺炎躁狂とでも名付けて笑い、かつ呆れ、そぉして『もしかしたら もぉ駄目かも知ンない』みたいな諦念をも抱きながらの日日で思い起こされる、御著書【あの戦争と日本人】の中のこの一文。

とくに日本人は言葉が作った流れに熱狂しやすいところがあります。だからこそ、待てよ、と思って欲しい。雰囲気に流されていないか、と考える事が本当に大事なことです。要するに集団麻酔にかかるな、ということなんです。

 フリップボードを掲げて、解ったような、でも何も云っていない『ワンフレーズ』を繰り返すだけの行政の長。ただただ不安を煽るだけの報道。『医療従事者が一番尊い』『崩壊』『壊滅』だって? 果てには行政の境を超えての移動の『自粛の要請』を行政当局がしているって、なんだそれ?
 まさしく 永江一石さん仰るところの『KPIが違うから』ってあれですか?選挙の票田たる高齢者目当て?日日の視聴率や購買部数目当て?利権や我が身かわいさ?算盤が合わないから?ただの思い込みとか まさかの行政の中枢でコロナ脳?

 すみません。ごめんなさい。あらかじめ謝っておいてから小さな声でつぶやきます。つぶやいた後に、まぁ良いか... って言ってもらんないんですけれどもねぇ ...言っちゃえ。
 ばかじゃぁねぇのか
 ただの風邪とこそは申しませんが。でも...なんて言い出したら もぉきりもありませんしね。それこそ話が明後日に走り出してしまいますしね。一言 こっそりと罵倒しといて終わりにしておきますがね。

 とまれこれと、

 これ。 

 件の如 Amazon沼でポチった二冊。

 亡くなった先生の御著書ではなく、なぜこの二冊を読んでみようかという気持ちになったかと云えば。やはりあの戦争の頃の『昭和』について。それと、上掲【あの戦争と日本人】の中で半藤先生が、宮沢賢治はかの石原完爾と同じく『八紘一宇』を最初に唱えた田中智学の信奉者であって・・・と記されていたのが、頭の中のどこかに引っかかっていたこと。
 まぁ、そんなさもないことであるのはいつものことではありまして。
 とまれとりとめもなく...

いいなと思ったら応援しよう!