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社会的投資という視点からみた医療によるまちづくり

社会的投資という視点からいえば、少なくとも医療を含むケアは、あくまでも再生産に軸足を置いており、まちづくり、すなわち協働の場づくりに軸足を置いたセクターではない。

もちろん、相互の関連や貢献を否定するものではないが、少なくとも、協働の場作りに負担をかけたり、再生産という本業をおろそかにするべきではない。 

従って、ケアによるまちづくりとは、協働の場づくりに協力する程度の補助的な存在と考えるのが妥当だろう。あえて期待を込めていうのであれば、将来的な政策は医療を利用して社会を形成していく、という可能性は期待したいところだ。

少なくとも協働の場づくりや、その結果のソーシャルキャピタルをケア側、特に医療が一方向的に使うという枠組みに合理性は見当たらない。

一方で、少なくとも本邦の社会的処方は医師によるソーシャルキャピタルへのコンサルテーションなのか、あるいは医療によるソーシャルキャピタルの道具化なのか、定義が定まっていない。

定義を定めていないだけでなく、総花的な議論が相変わらず続いている。残念ながらこうした態度は学術的には不誠実と言えるだろう。

さて、仮に社会的処方がソーシャルキャピタルの道具化なのであれば、社会的処方は協働の場作りに新たな負担をかけ、下手をすれば搾取する可能性さえある。

なぜなら、共同体に代表されるソーシャルキャピタルは、現在、一貫して縮小を続けているからだ。近年、社会から個人が押し出され、生活問題や社会問題が個人を直撃するという状況が続いている。

社会的投資の視点に立てば、医療こそがソーシャルキャピタルの再生のために道具化されるべきと考えられる。これを医療を通じたまちづくりというのであれば理解できる。

以上より、社会的処方という枠組みに政策的な合理性を見出すことは困難と考えられる。

7井上 まや、柴崎 陽介、他5人


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