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本の道標
僕は、5年前に死を意識した病気になりました。(もう少し詳しく言いますと、通院、入退院を何度かした後、5年前に治療を終えました。)
今まで生きてきた中で当たり前だったことが突如、急に、「それは幻想である。」と突きつけられ、いかに日頃「生」というものを考えずに生きてきたということを後悔・反省しました。
それ以来毎日、朝起きると生きていることの有難さを感じています。
病院で、病状や治療についての話を聞いている時は、絶望しかありませんでした。
治るかどうかはわからないのです。先生は、「やってみないとわからない」と言うのです。
副作用の説明は、かなりきついものでした。
社会に復帰できるとは、その時点では考えられませんでした。
「生きたい!」というのを強く願いました。(それは、家族と別れるという現実を想像したときに)
しかし、それ以上に死のことを考えました。
一応「最悪」のことを考えて、身辺整理をしました。
といっても、捨てるものもたいしてありませんし残すものもなかったし、困らない程度に伝えておくこと、わかる範囲のことをすべてメモ帳に書き写し、妻に説明しました。あまり仰々しくならないように、遺言めいたものにならないようにと注意しました。
ネット上に放置していたIDやパスワードもすべて削除しました。
最後に残った、今まで書いていた読書記録。
なんだか読んでみようと思いました。
今まで、あまり読み返したことがなかったのですが、「あのときこんなことを考えていたんだ」とか「これ、自分が書いたのか」と思うものもありましたし、恥ずかしくなるような表現もたくさんありました。
でも
自分の想いを家族に向けて書いたような表現が多々あったのです。想いを向けたつもりはまったくなかったのですが……
ひょっとして、僕がいなくなったあとで見てくれるかもしれないと思い、いや、見てくれたら少しは自分自身が救われるかもしれないと、これだけは残すことにしました。
そのあと入院し、病院でいろいろ考えました。
「これから何が起こるかなんてわからないし、自分の考えや想いを子どもたちにもっと残しておきたい」という衝動に駆られました。
退院してから自宅療養で、2ヵ月後のCTを撮影するまで不安が続きました。
CTの結果は、なんとか良。
その後は、定期的に診察。
ここで一旦、落ち着きました。
やっと、救われた気持ちになりました。
でも、不安はそれからもずっとつきまといます。やはり、自分の想いを伝えたい気持ちが湧いてきました。
それからは、できるだけ本を読み、自分の想いを書いていこうと決めました。
その結果、noteで読んでいただいているみなさまにも通じるものがあったらそれでいいと。
本を読んでいると、自分の深い深いところにある感情が、表層に急速に湧き上がってくる瞬間があります。この瞬間が普段意識していない自分の想いなのかもしれません。
本を読むことによって、想像しますし、考えます。
「自分はこんなことを深層で考えていたんだ」と驚くことがあります。
自分が一体、「これからどうしたらいいんだろう?」と思い悩んだときには、どうか本をさがしてみてください。
読んでいるうちに、ふっと隠れていた気持ちが湧き上がってくることに気づくことでしょう。
辛かったときの気持ちが思い出されることがありますが、涙が出てきたら、思い切り泣いたらいいんです。
それが、自己の解放になるのです。
読書は楽しいものであり、問題提起され考え抜くことであり、著者が体験した教えを体感的に吸収することであり、悩みの解消法であり、ヒプノセラピーのような「内面から本来の自分を呼び覚ます効果」もあるのです。
それは
人生における道標のような気がします。