幼少期〜高校
私が3歳までの間にお父さんは2回入院した。
お母さんは看病に出かけて、仕事も忙しかったから、幼い頃の記憶はおばあちゃんと過ごした思い出のほうが多い。
幼い頃の、お父さんの記憶がない。
お父さんは遊んでばかりで、
ほとんど家に居なかったらしい。
そんな中、おじいちゃんが亡くなると
大好きだったおばあちゃんが別人のように変わってしまった。
おじいちゃんが亡くなってからというもの、
私はおばあちゃんと2人で夜眠るようになっていた。
横暴で、偏屈で。
何をしても、何を与えようとしても
「愛されていない」とおばあちゃんは嘆くようになった。
あんなに大好きだったおばあちゃんを、
私は嫌いになってしまった。
それからはおばあちゃんを避けるようになり、
一緒に寝るのもやめた。
私の中に存在しなかった「お母さん」を認め始めた時期だった。小学3年生。
大切な「家族」という枠組みが
音も立てずに壊れていくのを感じていた。
そんな時から、私はミニバスを始めるようになった。
運動神経も悪く、勉強も平均程度だった私が、
ミニバスを始めた途端、クラスリレーに選ばれてみたり、マラソン大会で3位に入賞したり、通知表の成績も5が並ぶようになっていった。
それでも、妹は私よりも勉強が出来た。
私よりも、身体が弱かった。
ひたすらに妹だけを構う両親。
私は寂しくて仕方なかった。もっとかまってほしくて。劣等感がすくすくと育っていった。
ミニバスではキャプテンも務めた。
おおむね、楽しく上手くやっていたはずが、中学に入学して一変した。
バスケ部に入部すると、
上手い子たちがたくさん居て、私は3年生になっても試合に出られなかった。
自分自身がどんどん腐っていって、卑屈になって、メンバーとも仲が悪くなっていった。
というか、私はハブかれるようになっていった。
それでも勉強だけは出来た。
カーストトップのグループにも属していた。
だけど、そのリーダーの子と喧嘩したのをきっかけに、私はその1個下のグループへ移動した。
私は、どのグループに属していても、
居心地の悪さが拭えなかった。
この頃の私は、仲良い友達に、
「目が据わってる」なんて言われるようになっていた。
大して苦労もせずに徒歩で通えるような進学校に進学した。
お母さんもおばあちゃんも大喜びだった。
だけど私は、大それた苦労もしてないから、なんだか大袈裟だなと思わずにはいられなかった。
その頃から私は、中卒のお母さんと、ヤンキー校出身のお父さんを見下すようになっていた。
金切り声をあげる母。手を出すことしか脳がない父。
なんでこんなやつらの子供なんだろうと、自分の出生を憎んだ。憎んだ、なんて言葉では生ぬるいほどに、憎んだ。
お家に帰るタイミングで、
家族が惨殺されてたらいいのに
なんて妄想が頭を支配した。
高校で習う勉強範囲が一通り終わり、進学校特有の試験勉強期間に入ると、私は朝起きることも出来なくなり
学校を休みがちになった。
高校3年生の1/3くらいだろうか。
私はなんとも言えない虚無感と焦燥感と、希死念慮に支配されていた。
それらを振り払うかのように、
ネットで男を漁り、SEXを繰り返すようになった。
そんな時に出会ったのがひろくんだった。