考察:だいたい性格悪い『職業欄に、表現者って書く奴』
こんばんは
ジャルジャルアイランドをちょくちょく見ます
だけど今日のお題目はジャルジャルアイランドは関係ありません。
本日のお品書き
すばらしい作品を作る芸術家はたいてい性格悪い
表現者って光と闇の両方を孕んだ表現をしてると思うんですね?
(やたら「ね?」「よ?」ってはてなマーク語尾につけるのうざいでしょ?)
なんかキレイな言葉や耳に心地の良い表現をしているようで、人間の嫌なところついてきてんな~ってそんな作品が意外とゴロゴロありますよね?
鬼束ちひろさんの「流星群」
なんだかとってもおセンチで繊細で美しい曲ですが、私は男女関係の悲しい肉体関係を歌った歌に聞こえてしまいますよ?
(やたら「ね?」「よ?」ってはてなマーク語尾につけるのうざいでしょ?やめませんよ?)
では、さっそく鬼束ちひろさんの流星群のトンデモ異訳をご覧ください
なお、R15指定です
15歳未満は退場願います
流星群って鬼束さんが二十歳そこそこで作った曲だからたぶん
これはない
けど、表現者って、悪意や善意なんかまぜこぜで言葉遊びしてると思うんっすよね?
だって悪意だって立派な私たちの「想い」なんですもん。
なんで美しい「想い」だけが紡がれて、時を超え、未来の人々へと受け継がれる美談として語られるのでしょうか?
想いを単純なエネルギーとするならば、悪意も善意も、呪いも祝も、永遠に受け継がれる「想い」で変わりないですよね?
イデオロギーでテロが起きることもあれば、人々が救われる救済もある。悪意も善意も同じ想いとして同列で語られるべきと私は考えるゆえ、
すばらしい作品を作る芸術家はたいてい性格悪く、斜に構え、皮肉な視点で物事を懐疑的に見つめ、いや~な視点で世の中の「想い」を観察しているからこそ、美しい善の想いも同時に見ているため、すばらしく美しい作品も作ることができ、その作中に人間の悪意も組み込んだ表現を(性格悪いから)していると私は考察するわけですっす。
YouTubeのコメントを見ると、絶賛というか琴線に触れる美しい歌詞に盛り上がっとりますが、私の視点からだと下品な歌ですな~って感じです。
てか、2002年からブログ初めて年間過去最高PV数13なので、このデタラメなゴミカスブログが炎上商法でバズんないかなぁ~