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コラム『HUNTER×HUNTER 魂の器×構築せし殻×世界に沈澱する残滓』

さて、久しぶりのハンター考察になりますほんとお待たせしましたデュヘヘ('ω')

というわけで、今回はタイトルにもちらっとある通り一応前回の記事の続きということになります。HUNTER×HUNTERの世界におけるとは何なのか。オーラとは、念能力とは。これまでの記事を一度まとめるような形の記事になりますので、長くはなると思いますが、どうぞお付き合いくださいませ。

※注意※ この記事は漫画HUNTER×HUNTERをある程度読んでいることが前提となる記事内容となっております。一部ネタバレも含まれますので、まだ暗黒大陸編などを読んでいない方、また本編における推測をお読みになる際心臓への負担がかかる恐れがありますので、メンタルへの健康にお気を付けくださいまし。







念能力とはそれを発動する人間のイデアでありクオリアである

これ、実は以前わたしの記事にお問い合わせした際にちらっとお答えしたことがあったりします。とはいえ、そんなことは他の方からすれば知ったことではないと思われますので、この場でざっくり説明させていただきます(笑)

まあそもそも上記の言葉を知らない人からすればいきなりややこしい言葉を出して何のことだと思われるかもしれませんので、まずは簡単に引用させていただきましょう。

「イデア」という言葉は「見る」という意味動詞「idein」に由来していて、もともとは「見られるもの」のこと、つまりものの「姿」や「形」を意味している[1]。 

イデアーWikipedia参照

クオリア(英: qualia〈複数形〉、quale〈単数形〉)または感覚質とは、感覚的な意識や経験のこと、意識的・主観的に感じたり経験したりする質のことであり、脳科学では「クオリアはなんらかの脳活動によって生み出されている」と考えられている[1]。

クオリアーWikipedia参照

いかがでしょうか。HUNTER×HUNTERを読んだことがあれば、ともすれば自分でも考えた経験すらあるであろう念能力の仕組み。
ですが、いわゆる『能力モノ』と呼ばれる漫画に登場する能力と念能力が決定機に違う点は、念能力には絶対的ともいえる二つで一つの要素があるからです。

それこそが誓約と制約。


どちらも同じ読みでありながら違う意味を持ち、かつ同時に固辞することにおいて違和感のないこの言葉。
一見してこれらの要素が関係ないように見える念能力にも、これらの要素は必ず絡んできます。それは有意識、また無意識であれ必ず、絶対と断言してもよいほど。こじつけであると言われるかもしれませんが、最もシンプルな強化系や応用力の発展形である変化系ですらです。
そしてこれこそが以降の能力漫画を大きく変容させた要素。その根本にあるのは、人間がその意識、精神において抱えるクオリアやイデアといった観念に他ならないのです。
とはいえまあ必ずしもこれらについてわたしが詳しい解説を出来ているとは言いません。ですので、今回イデアとクオリアを持ち込んだことに関しては冨樫先生の考えにわたしの解釈を混ぜたマルハボロ考察とでも考えてください(笑)

さ・て!
わたしがこれらの要素を持ち出したのは何故か。それは、念能力はその限界が定められているようでいて、その限界そのものはは当人の認識、すなわち一種のクオリアが関わっているからです。そしてそのクオリアを構築しているのが、その人間個人のイデアであるとも言えるでしょう。

念能力において実例を出すとするならば、劇中での能力こそ少ないものの、例えば念空間がわかりやすい事例でしょう。
あれは本来特定の空間を構築、具現化するわけですが、本来そこにない空間をまずは漠然とイメージする必要があるわけです。とはいえクラピカの認識にある通り、既存の空間を利用する具現化系も存在しているので、全ての具現化空間が必ずしも自己構築によるものであるとは言えません。
例えば読者の皆さんに「空間をイメージしてください」と問えば、漠然としているとはいえ、こんな場所に来ることが出来た方であればそれこそ千差万別千変万化の空間をイメージされるでしょう。念能力の修行においてはこの自由な発想は邪魔な要素でもあり、念能力を発展させるために必然的要素でもあるのです。
そしてこれこそが、当人におけるクオリアであり、オーラを通して念へと影響を及ぼす視点もとい感覚そのものなのです。

念能力とは、ある意味で明確になるまで固められたイメージです。そのエネルギーを性質による相性こそあれさらに常人でも認識できるほどに固めたのが具現化系であります。
そしてこの材料であるオーラというものは、極めれば肉体をも生み出すことを可能とします。何故ならばオーラとはすなわち生体エネルギーであり、念獣によらず高度な念能力には知性が宿るのは必定でもあるからです。
つまり念能力とはオーラという材料にイメージというプログラミングを施し、過程においてその性質を凝縮・成形し、自らに必要な認識を整理して構築するイメージの発露なのです。
そしてこれらに必須とされるイメージとはすなわち想像にして創造であり、これを作り出す為に必要な情報や認識はそれすなわちその人物がこれまでに学んできた、得てきた、あるいは経験してきた無数の様々な要素が含まれ存在するのです。

さて、先ほども述べましたが、同時にこれらの経験、知識といったクオリアは認識や想像を狭める要素も含めています。無垢な赤ん坊が何事にも想像を繰り返し、やがては連想し続けながら自らの肉体を操る術や糧を得る方法を本能や無意識から学ぶように、念能力においては、それを具体化する手段を得ていない人物への情報の与え方もまた念能力を発現する上で重要と要素となるのです。
それはすなわちどれだけの天才も、どれだけの凡庸も、それを与えるイデアが紙くず同然であれば、発現する念能力は紙くずにすらなりえるのです。
まあ、天才であればその紙くずをさらりと上回ることもまたあり得ることではありますが。

そしてだからこそ、念能力は無数の姿を与えられながら、そこにはどれ一つとして全く完全に同じ代物は存在しないのです。例えばコピー能力であっても、これには相手の能力をコピーするというオリジンが存在しています。そして仮に全く同じコピー能力を幾人かに習得させれば、そこには確実に個人差が生まれるのです。これが人間が抱えるイデアとクオリアが念能力に与える影響そのものであるという証明でもあるのです。

継承される王の資質


さあ、続いては以前の記事で告げた『魂とは記憶の運び手である』という概念に関係する内容となります。カキン王国は、この性質を利用した存在をこれまで構築し続けた存在である、というのがわたしをはじめ友人らによる見解です。要するに『王様候補を殺し合わせて最後には人格統合して理想の王様作っちゃおうZE☆』な儀式ですからね、壺の中の卵。
そもそもぶっちゃけカキン王国という国家にとって、暗黒大陸(仮)を目指す際に起こした壺中卵の儀は誰が勝ち残ってもいいものなのです。この前提があるので。ツェリードニヒが残ったところでその人格には他の連中も統合されますから。王としての冷血と慈悲と思慮深さ全部兼ね備えたことになるわけです。とはいえあれだけの人材が14人近く揃ったのはカキンにとっての僥倖でしょうけども。
肉体的に滅びることに意味はない……とホイコーロ王が言っていたように、そもそも儀式の影響下にあるので魂が外に逃げることすらないのですよ。死んだら速やかに魂が回収されます。だからこそ船の外に逃げようとしたカチョウはルールに従って(知らないとはいえ儀式には参加しているので同意したのと一緒。契約書はきちんと読みましょうってこと)魂をはく奪されて死んじゃったわけです。とはいえ彼女のコピーが遺されたので、それがどういうことになるかはわかりませんけどね。最後に王が決まったらあれら念獣の性質も統合されると思われるので、恐らくまともな手段では殺すのも不可能な王様が生まれるんじゃないですかね。ある意味メルエムじみた存在ですよ。
それと如何にブラックホエール号が巨大とはいえ、あの見た目で概要を延々後悔できているのが実は念能力の影響下にあるともわたしは考えてます。航空力学は情報開示が禁止されてても、恐らく多少なり船体の流体力学に精通してる人は「おいおいどっかのソ連製みたいにぐるぐる回るぞwwww」とツッコミを入れたこと間違いないでしょう。そして実際そうなっていないどころか真っすぐ進んでいる(あれ明らかに海流の流れ無視した航路なんですよね)ので、まあそもそも推進力からしてなんじゃそれという余談が生えるわけですが。
閑話休題。
まあ要するに、王子たちへ寄生型の念獣を土壇場で渡したのは、決して条件を平等にするなんて理由ではなく、彼ら彼女らの魂を儀式に縛り付ける為に必要だったからでしょう。ナスビに取りついた守護念獣が異形の姿を取っているのは、彼がそれだけの犠牲を経た果てに生み出した念獣だからなのかもしれません。そもそもナスビ自身、彼の姿をしていてもその中身は死んだ兄弟らの統合意識である筈ですからね。自分を殺せないと断言したのは、案外これまでにも当然儀式を仕向けた王を殺そうとした王子がいたからでしょう。それらの記憶や記録の継承も、王になってから行われる可能性が高いです。
メルエムに理想の王を見る人はいますが、そもそも王としての資質とは決して一つではありません。カリスマのみで治められるのはあくまで目が届く範囲に過ぎず、そして個性豊かな王子の誰が王となるべきなのかはカキンの儀式において問題ですらないのです。何故ならば、再度申し上げますが“王となったその人には儀式へと参加した人間全ての記憶や人格が統合され意識の再構築が行われる”のですから。
無論、複数の人格や記憶といったものを個人で抱える筈もありませんからそこは何らかの形で制御されるのでしょうね。案外、あの場で得た念獣は一種の外部記憶装置めいた役割すら果たすのかもしれませんねえ。その為に必要なオーラもとい生体エネルギーも、恐らくはあの船に乗船したカキン王国の国民から賄うことが考えられますし(実際それっぽいことを言及しているシーンすらありますから)。

さて、わたしの考察だけでは何なのでブラックホエール号について劇中描写からわかることをひとまず纏めておきましょう。
・内部の収容人数は約20万人(実際には犯罪者なども含めた密航者もいるのでこれより多いと思われる)
・脱出しようとしたモノは王族など関係なしに死亡する(これはあの守護念獣などにもそうですが、あの建造物事態が一種の移動型グリードアイランドG・Iと言っても差し支えないほど、念能力によるプログラミングが施されている可能性が大だからです)
・内部にいる人間はその大半がその魂を捧げることを前提とされた贄である可能性(恐らく念能力としての契約そのものはあの船に乗ったことと国民であることが条件トリガーとなっていると思われる

これらの要素は恐らくですが、相当な方が劇中描写から感じ取っていると思われますし、実際にこれらについて追及した記事も探せばあることでしょう。じゃあなんで今さらこんな記事をやるかって? 趣味です( ゚Д゚)(笑)

ではなぜあの船内において、それほどまでに一方的な行為が可能なのか。
これは先述した条件を満たしたことがそこに含まれています。グリードアイランドがそうであったように、あそこもまた海の上であるからこそ違和感がありませんが、『閉じた世界』なのです。例えばクジラ島周辺の海域についてですが、本来あの世界は外界に近づくほど相当な荒れた海域になるのは確かなのです(大したことじゃないですが詳細は後述)。遠洋漁業がどれぐらいの距離を航海するのか調べればすぐにわかりますが、ぽっと出の漁師がふとした拍子で暗黒大陸に赴いてしまう可能性すらあるのですから。実際、あのメビウス塩湖と暗黒大陸の距離ってそこまで大した距離じゃないんですよ。
その理由として、ジンが五大災厄の説明をしている際に距離について言及していますが、その説明で描かれたマーキングと概要の距離を見れば思った以上にあの海もとい塩湖が狭いことが判明してびっくりします。

世界という壺に入れられた蟲毒の中身


……さて、ここまで話してきましたが、果たしてこれだけの大規模な儀式を行っているのが、本当にカキン王国だけでしょうか?
彼らは国家としては新生しつつもその歴史はそれなりに永いものです。そしてあの仮初の世界地図には、世界を管理する各国の政府によるG5なる国連もどきの機関があります。ですが、ここで注意してもらいたいのは彼らはあくまで国家における代表に過ぎないということ。
そしてあの世界を維持する為に最も必要な要素とは、人口と土地の適切な管理に他ならないのです。そしてそれを実質的に行っているのは暗黒大陸編にて登場した渡航許可庁。様々な特権を有するハンター協会ですら、この機関の下位組織に過ぎません。
あの世界において、恐らく外縁部に存在しているであろうくじら島近くの海流をクラピカは「人魚ですら溺れる」と断じ、実際船が面舵いっぱいで波を飛び越えるようなシーンが序盤にも存在しています。この海流の激しさというのは、あの世界に存在する人間が外へ出ることを防ぐのと同時に、メビウス塩湖へと外部から侵入しないようする為の防壁ともなっているとわたしは考えているのです。現実世界の日本がかつて海外からの侵略を阻んだ最大の理由がこの海流にあるように、船による後悔と海流とは本来不可避の関係なのですから。

漫画チェンソーマンにおける各国政府が実は様々な悪魔と契約しているのと似てもいますが、恐らくどこかの国民であるというのは無意識で契約を交わしているということでもあるのだと思います。ここを深堀していくと、あの世界において電脳ネットに情報が必ず登録されているシステムや、そこにすら登録されていない流星街の住人の存在がひと際目立ってくることも確かなんですけどね。

まあ要するに、カキン王国ほどじゃないにせよ国民を担保にした大規模な念儀式は恐らく世界規模で行われているよって話です。
これは何も科学で代用すればいいという話ではなく、科学よりも効率的に不平等が確立できるからこそあの世界で重用されるからです。
HUNTER×HUNTERの世界って、実は完成したディストピアな可能性高いんですよね。1984もびっくりな世界観ですよほんと。

あとがき

さて、久しぶりなので好き勝手話させていただきました(笑)
恐らく「ワケワカンナイヨォ」という人と「ああ、確かに」という人で別れることでしょう(笑)
とはいえHUNTER×HUNTERという漫画自体が「わかる人だけわかればいい」というスタンスを取っている以上、ある意味こういうスタンスこそHUNTER×HUNTERの考察としては相応しいのかもしれないなあと思った次第です。

それではまた次回お会いしましょう♥
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