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念能力考察コラム『変化系と具現化系の違い』

ヘッダー画像はフリーイラスト素材のピクサベイさんより!https://pixabay.com/ja/

まえがき

さて、今回は質問箱にあったこちらの内容に独断と偏見でお答えします。

見れない人用にこちらの画像も

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ちなみに以前ハーメルンで二次創作書いていた際に来たような「謎の上から目線」にはポイズン風味でお答えいたしますので悪しからず☆

HUNTER×HUNTERと念能力

定期的にTwitterにて投稿されることから生存確認がなされた人気漫画家冨樫義博先生であるが、彼の性格はこの際置いておくとして、この章のタイトルであるHUNTER×HUNTERと念能力というモノについて簡単に説明しておこう。

HUNTER×HUNTERという漫画は絶賛刊行中の大人気雑誌週刊少年ジャンプにて今も連載中のビッグタイトルである。

連載期間にしてすでに約20年を誇る長寿漫画である。その巻数は2018年時点でなんと36巻!驚きの少なさである!!
……なぜこれを少ないと断じるのか。先ほども述べたが、HUNTER×HUNTERは週刊連載である。それがどれだけ無茶なスケジュールであるかは現実に仕事をしてみればご理解いただける部分もあると思うが、それを考慮したとしても彼の漫画はあまりにも巻数が少ない。
ほぼ同時期(1997年連載開始)に始まったワンピースが現在107巻なのを考えていただければその差に驚愕するだろう。無論、たった1年で約60巻の差などつくはずもなく、その原因は冨樫先生の体調とモチベーションに起因する。

なおこれらをあまり理解していない層からネットスラングとして『冨樫仕事しろ』というのが生まれたが、わたしを含めた日本中の読者と比べてけた違いの稼ぎを有している人物がそもそも仕事をする必要があるのかと言われればそんなものはないと言い切れる。

無論わたしとて漫画の続きは気になっている。だが世の中は広く、これ以前より始まって今なお連載している漫画など探せば見つかってしまうほどであり、それらのどれもが人気漫画というのを鑑みれば、特段HUNTER×HUNTERが目立っていると言ってもいいだろう。そして同時にそれは、売れているという事実でもある。

閑話休題。

さて、HUNTER×HUNTERの話題はこんなものでいいだろう。今回コラムとしてメインとなるのは後者の方────すなわち、念能力の方だからだ。

念能力とは、読んで字のごとくというか、イメージされる通り漫画にありがちな能力モノとしてのHUNTER×HUNTERにおける名称である。そのルールの複雑さ、能力を得る過程、応用力の高さから様々な二次創作が生まれたが、それらに対してわたしは日々勘違いを否定してきた。

そう、勘違いである。HUNTER×HUNTERという漫画は徹底的なほど劇中の描写を説明されない漫画でもある。それでも読まれるのはそこに一定以上の面白さがあり、同時に複層構造の魅力が存在しているからだ。

だがそれらの要素を見ていない人間は表層のみで情報を受け取り、当然だがそれが勘違いを生む。

例えば二次創作でよく見られたものだが、“凝”を行ったところで視力は強化されない。これはマチがヒソカの治療を行う際、カメラのズームをするように神経や血管までもをアップにした際の描写から生まれた勘違いであろう。

他にも二次創作あるあるではあるが、筋トレすれば幾らでも鍛えられるという問題。これもまた、作中で否定されている要素である。そもそもゴンは一話からして半トンはあろうかという主を抱えて走っているし、それに匹敵するであろう重量のブタをハンター試験で受験者全員が持ち上げているのだ。
そしてそのうえで、あの世界では通常水準の身体能力が存在しているのである。そのことは、劇中を見ていればよくご理解いただける。

さて、またもや話の趣旨がズレてしまったが、今回のタイトルである変化系と具現化系の違いについて語っていくとしよう。

勘違いされやすい念系統の違い

上記の二つの系統に関しては、とかく勘違いされがちである。

その理由はなにか?
ハッキリしている。それは作中人物の視点で物語が描かれるからだ。

幽霊退治をする漫画において
「読者は幽霊が見えないのだから幽霊を描きません!!」
なんて漫画がまず無いように('ω')

いや探せばあるかもだろうが、ここで追及するのはそこではない。すなわち、中盤以降においてプロハンターになる=念能力を取得した後のお話は、基本的に念能力者を中心に物語が展開される。

現在も継続中の暗黒大陸編での描写がむしろ徹底しているのだ。あの場においては、念能力者と非能力者が混在している。これがまた暗黒大陸編を盛り上げている要素ではあるのだが、それはここで語るべき話ではないので割愛させていただこう。

さて、例のごとくではあるが、HUNTER×HUNTERを読んだことのある方ならまず間違いなくこの図を見たことがあるだろう。

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少々上の出典元:冨樫義博『HUNTER×HUNTER』(集英社)という文字が見切れてしまっているが、気にせず進めよう。

この図にある通り、念能力とは明確に六つの系統に分けられている。そしてそれは同時に、これ以外の要素が派生することを抑制してあることも意味しているのだ。

さらに、この六性図という概念は能力モノにおける大半の能力をこの図式内に収めることが可能ということをも可能にしたのである。すなわち、能力モノにおけるある種のテンプレを生み出すに至ったきっかけでもあるのだ。

HUNTER×HUNTERを読んだことのある人ならば、一度は念能力診断といったサイトを訪れたり、自分で念能力を考えたことがあるだろう。

ないとは言わせない。

そしてこれら六つの系統だが、実際にその理解はどこまで及んでいるかというと、劇中での説明がこれでもかと最低限であることもあって非常に考察のしがいがもとい読解力を必要とする。

今回の質問の趣旨である変化系と具現化系の違い。それは漫画を読んでいるだけではかなりわかりにくい部類でもあるだろう。

実はこれの答えはこれまでのHUNTER×HUNTER記事において地味にばらして書いてきたものではあるのだが、今回はこういった質問が届いたのでそれらを今現在のわたしの視点からまとめるといった形で再度整えてみるとしよう。

変化系とは何か

ではまず、ひとつずつ整理していこう。

変化系とは何なのか。読んで字のごとく、それは念を形成するオーラを変化させる系統である。

つまりどういうことなのか?

六性図には『オーラの性質を変える』とある。

これだけを見ると、例えばキルアが用いるような電気へと変化する能力がイメージしやすいのは確かだろう。同時に、ヒソカのバンジーガムのようなゴムとガムの性質を持たせるものも何となくイメージできるだろう。

だが、マチの能力が変化系と聞いて意外に感じた読者はいたのではなかろうか。

ちなみに彼女が変化系であることはコミックスにて紹介されている。

画像は省略するが、話数にして№78、タイトルは『9月1日⑦』という話の扉絵である。ここにおいて、彼女の紹介と念能力の解説が簡単ではあるが触れられている。そこにハッキリと『変化系能力者』と明記されているのだ。

ちなみにわたしはアニメ版HUNTER×HUNTERは原作の二次創作という視点で捉えているので、こちらに登場する情報は一切を信用していない。なぜならば、旧版では無理やりアニメオリジナルな話を入れてテンポを乱し、新版においても本来ナレーションで済むものをわざわざキャラクターのセリフに変えたりなど、改変に暇がないからだ。わたしはこれらの要素を基本的に受け入れない。二次創作として表現の幅を拡げるならばともかく、アニメで語られた内容は原作と食い違ってしまっていることが多いからだ。

まあこれに関しては徹底的に解釈を語らない冨樫先生に責任があるのだが。

彼にとって作中ですでに説明したつもりのことも、考察を前提にされていたりするのでそもそも理解が及ばないシーンが多数ある。それらに関してはわたしの各種記事もそうだが、ヒソカVSクロロなどは最たるものであろう。

さて、話を戻して変化系であるが、なぜ違和感を抱く例としてマチを出したか。それはオーラの性質を変化させるという言葉を、その意味合いから概念的な要素に思考が縛られてしまっているからだ。

変化とは何もオーラを液体や気体へ変化させることに縛られない。形状をも含めた要素こそが、変化系の強みである。

例えば先述したマチの念糸であるが、旅団とマフィアが激突した際において、彼女によって首を括られたマフィアは極めて細く首を絞られているものの、決して切断されていないのだ。これがどういう意味がおわかりいただけるだろうか。すなわち、彼女の念糸とは糸という性質は持っていても、切断するという糸が起こす現象は付与されていないということである。ゆえに、彼女は糸を括りつけ相手を人形のように操って見せるという芸当すら見せていた。仮に実際の糸のように、その細さと摩擦力の干渉を含めた現象が起きるのであれば、切断という行為があってもいいはずなのに、である。

結論を述べれば変化系とは能力者のイメージによって性質を変化されたオーラであり、そこに宿った概念はシンプルなほど強度や精度に影響するのだ。そしてこれもまた、制約と誓約である。

具現化系とは何か

さて、次に具現化系について語るとしよう。

これについても先ほどの変化系と同じく、まず結論から述べさせてもらう。

具現化系とは肉眼で目視が可能なほどに凝縮されたオーラの集合体である。

わたしは、以前の記事でオーラの持つ性質は水に極めて近いと発言したことがある(過去記事参照)。

これはすなわち、水見式という儀式がコップに注いだ水をもって判断されるように、オーラとの相性が極めていいからだと思われる。

そして水として考えていただければ理解がしやすいとは思うが、例えば水を気体にするのは簡単だが、その水を氷にするのは時間がかかるのがわかりやすいだろうか。無論、これらの条件はあくまで日常生活において、の話である。

しかし念の素材であるオーラとは能力者の意識が反映された存在でもある。それはすなわち、オーラという存在を捉えて固体化する過程の難しさそのものでもあるのだ。

水のように冷蔵庫に入れるわけにもいかないだろう。

だが似たような方法をとることは出来る。

それがイメージ修行だ。

具現化系の能力者は、その修行において徹底的に具現化するモノをイメージできるよう修行する。クラピカのやり方が一般的に思えるが、彼の達成速度はそもそも常軌を逸した速度であるので、本来具現化ができるようになるのは年単位の年月が必要であるのは言うまでもない。

それだけ、ある程度の密度を持った具現化とは難易度が高いのだ。

例えばバイクを具現化しようとした時、内部の細かい構造までをもイメージすることができるだろうか。素材から部品同士の擦れあい、干渉による遊びや熱による変形まで。具現化系が行うイメージ修行とはこれに近い行為である。

実際のバイクが具現化できるかどうかは置いておいて、実際に走るバイクは具現化が可能だろう。この発言は矛盾しているが、現象としては矛盾していない。それこそが具現化系が持つ要素である。

とはいえ、これだけではまだわかりにくいだろう。なので、劇中の具現化系能力を紹介しつつその考察を深めていただきたい。

例えば、作中でわかりやすい具現化系といえば、旅団のメンバーであるシズクの能力である『デメちゃん』であろう。彼女の具現化した掃除機は、ありとあらゆる(彼女がそうと認識した生物以外の存在)非生物を事実上無限に吸い込むことが可能な掃除機である。これは空間系の能力としては極めて凶悪な能力であり、事実彼女もこの能力に関しては理解しきっていない。これに関する考察だけで1つ記事が作れるほどではあるが、今回の本筋からは離れすぎてしまうのでまずは彼女のデメちゃんが持つ『肉眼で見える具現化物である』ということと『無限に吸い込む能力』を認識してほしい。

なぜならば、具現化系とはこの二つがセットになって初めて成り立つ能力であるからだ。

例えば、ティーカップを具現化する能力があったとする。単純に具現化するのであれば、こういった存在でもいいわけだ。だがそれが念能力となれば、話は変わってくる。そこに能力が宿っていなければ、それは単なる具現化されたオーラに過ぎないからだ。変化系との最大の違いはそこにある。

恐らくだが、クラピカは具現化系の修行を幾分かすっ飛ばしている。それこそ、あっさりやりきったのだろう。それが何かと問われれば断言こそ出来ないものの、予測はできる。

すなわち、簡単な具現化物の生成である。

そして我々はそれを既に目にしているのだ。

────そう、水見式である。

水に浮かんだ異物。これらがハッキリするほどに水見式をきっちり可能になること。これはどの念の系統修行にも共通する自己認識である。すなわち、強化系の人間が具現化系に走らないよう、まずは己が何の系統かを確認する術でもあるのだ。自らの血液型を知るように、人間は知る前と知った後では、その認識による行動は驚くほど変わってくる。思春期であれば猶更身に覚えがあるのではないだろうか。

そして、具現化した念に能力が宿っていなければ意味がないとまで言い切ったのは、これが念能力の修行であり、具現化の強みを捨ててしまう行為だからである。

具現化系能力とは、先ほども説明したが具現化されるほどに凝縮されたオーラの塊である。

すなわち、そこに込められる意思の量は、“硬”によって集められたオーラに匹敵すると言ってもいい。この意味がおわかりいただけるだろうか。

すなわち、“硬”が攻撃力として発露する現象であるなら、具現化とは能力という現象に特化した現象を起こすことが可能であるということである。

例えばクラピカは重過ぎる制約と誓約を付けることであの鎖を形にしたが、同様に重い制約と誓約を用いれば、本人の才能で差はあれど、極めて強力な念能力を付与することが可能になるということでもある。

その分、当然だが具現化系能力者は肉弾戦において決定的なほど不利になる。なぜならば、具現化した能力にオーラの大半を常に割いていることにもなるからだ。とはいえ具現化したオーラと“硬”の違いは、現在出せるオーラのみではなく、イメージによって具現化されたオーラであるため、いわば持ち越すことが可能となったオーラでもあるのだ。そうでなければ、クロロが本を出した状態でシルバ及びゼノと戦い続けることは到底不可能であろう。ただしそれは彼の身体能力、オーラの攻防力の移動、格闘センス、戦いの組み立て方などがそれぞれ図抜けているから出来たものであり、あんなことが誰にでもできるわけではないことは留意していただきたい。

変化形と具現化系の違いとは何か

さて、長々と語ってきたが結論を書くとしよう。

これら二つの違いとはすなわちこの三つ。

・精孔が開いていなくても目視出来るか
・発動した能力が持つ形状とは別に能力を持っているか
・形状と能力が必ずしも関係性があるものか

ということである。

まず一つ目であるが、これは最初にも言ったことではあるが、具現化した能力は一般人にも目視することが出来る。一部能力はこの条件を逆手に取って関連付けを行うきっかけを用いる能力も暗黒大陸に登場しているが、あれは特殊な例である。そして登場人物の大半は念能力者であり、彼らの視点での物語なのだから、具現化系と変化系に見た目での違いがわかりにくいのはその為でもあるのだ。

次に二つ目。例えばマチの念糸はそのまま糸としての能力であり、キルアの電気へと変化させる能力もまた見たままのものである。
翻ってクラピカの能力は鎖という見た目からイメージできるのは精々拘束能力ぐらいであり、ダウジングや相手の体内へ侵入したり、オーラを奪ったりといったものは完全なるイメージによる後付けである。後付けといったが、これは作中都合の後付けという意味ではないので注意してもらいたい。
そしてこれは三つ目の内容でもあるが、デメちゃんも同じく、彼女の具現化系は吸うという見た目そのままの能力であるが、その規模と範囲がけた違いに広い。連続性があるから違和感を抱きにくいかもしれないが、どんな掃除機であれ指定したからといって相手の血を吸いつくすことは出来ない。あれは彼女が無意識に相手との打撃を通じた紐づけと認識によって一方的に起こした現象でもあり、シンプルな思考でもあるためその対策もまた実はシンプルだったことが彼女の口から語られている。

これらが、変化系と具現化系に見られる違いである。簡単にまとめてはいるものの、これだけの文章量になったことから、冨樫先生が読者に求めているハードルをご理解いただけただろうか。

ぶっちゃけ、序盤のレオリオが怒った理由からして無茶ぶりである。大半の読者は雰囲気で読んでおり、なんで彼が怒ったかなど理解できていない。わたしだってHUNTER×HUNTERをひたすら読む機会がなければ、そしてわたし以上に熱くあのシーンについて比較と検証をする考察記事に出会わなければ、決して今のように記事を書いてはいなかったであろう。

質問者の方へ。ひとまず今回はこのような結論となりました。さらにシンプルな回答が欲しい場合は、わたしにDMをください(笑)

その時はさらなる内緒の考察を披露させていただきます♤

あとがき

さて、今回のコラムは如何だったでしょうか。
以前から書き上げてきた念能力の考察があったからこそ書けたようにも感じますが、その内容は詳細を詰めてこそいますが、ほとんど変わっていないものばかりだったりします。

また今回の記事でHUNTER×HUNTERが気になった方は、コンビニコミックスverで安くまとめ読みも出来ますので、そちらもおすすめです。

大丈夫です、あの人は今更(違法じゃなければ)どんな媒体であれ原作を読んでくれることがあれば喜んでくれますので。

それでは今回の考察はここまで。またネタが来れば早めに投稿するかもしれません(笑)

では、またお会いしましょう────。

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