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考察コラム【戸愚呂(弟)が本当に絶望した理由】
どーもこんちわ、先日無事アラフォーへの道を突き進みレベルアップしたマルハボロです(∩´∀`)∩
さて、今回はサムネもといヘッダー画像の通り、普段のHUNTER×HUNTERと同じ作者である冨樫先生のキラータイトルである『幽遊白書』。
そちらに登場し、今もなお爆発的人気を持つキャラクター。タイトルにも書きました戸愚呂(弟)(※以降特に言及がない場合は戸愚呂と書いたら弟だと思ってください)が、何故絶望したか。そしてそもそも彼は何に絶望していたのか。それについて個人的な考察を書き書きしていきます('ω')ノ
とはいえ基本的にはアニヲタwikiで済むような話でもありますし、内容きちんと読んでれば結末もわかりきったことなので今更の話ではあるのです。それでもよかったら是非最後までお付き合いください。
圧倒的なトラウマにして憧れ『潰煉』
一応原作に情報がないので公式なのか微妙なのだけど、戸愚呂も各種wikiにおいて霊光波動拳の継承者もとい高弟として幻海と修行していた旨が書かれてるんですよね。
まあ劇中でも戸愚呂(兄)から「何度襲ってやろうと思ったか」なんて言われてるので、恐らく兄弟共々同門であった可能性は高いです。ただし断言はされてません。
冨樫先生はこういう「別に明言してなくても見てればわかるでしょそれぐらい」なことは絶対本編で言及しないんですよ。いやまじで。
閑話休題。
さて、本題に戻りますが、潰煉の強さは戸愚呂に圧倒的な挫折と絶望……そして憧れを抱かせました。この辺は劇中で幽助も戸愚呂に対して「ブルっちまいながらあんたに憧れちまってたんだ……!」と最後の戦いで吐露しております。
霊光波動拳は、霊光玉が肉体へ与える負担が激烈に大きなことから、そもそも肉体的な修行は苛烈を極めます。それについてこれた、という点から見ても、戸愚呂兄弟の非凡さが感じ取れるのは面白い部分です。
そして、恐らくですが戸愚呂と幻海の実力差は人間としての全盛期においてもほぼ変わらなかったというのがわかります。死後、冥獄界(一万年の苦しみが一万回続き、それらが終わったらただひたすらな無が訪れる場所)へと向かった戸愚呂と幻海の会話でもそれに付いては察しがつきます。
幻海は言います。
「あの時潰煉の強さはどうしようもなかった」と。
ですが、戸愚呂にとってそんなことはどうでもよかったのです。何故なら、戸愚呂にとって最もショックだったのは、他ならぬ潰煉との戦いがあっさり終わってしまったことでしょうから。
見失った憧れと絶望
さて、あっさり終わったとは書いたものの、これは劇中でもアニオリでも一切書かれていません(アニメはあんまり覚えてませんが)。
ですが、恐らくそうだったであろうことは間違いないのです。何故なら、戸愚呂は複数のヒントを劇中で残しています。
まず、ここで彼は言っています。
「初めて敵に会えた」と。
これはどういうことか考えると、恐ろしいことが判明します。戸愚呂が人間としての全盛期、彼の力は幻海と互角だったはずです。
────ですが、それでは潰煉に勝てなかった。そう、幻海自身も認める通り、彼女もまた勝てなかったのです。
そして、暗黒武闘会を前にして戸愚呂は姿を消します。恐らく、この時幻海は霊光玉の継承を行った筈です。なぜそれまでしなかったかを考えれば、それはほぼ間違いなく幻海と戸愚呂の実力が伯仲していたから。
人格面を考えての継承は幻海の性格を考えればほぼないでしょうから、完全に実力主義であったと思われます。そもそも霊光波動拳は別段正義の味方を作る場所ではないですからね。実力が足りていたからこそ、戸愚呂(兄)もまた同門であったわけですから。
そして、そんな彼女よりも戸愚呂は強くなった。これがどれだけ恐ろしいことか。
すなわち、人間であった段階で戸愚呂は少なくとも100%に準じる実力を有していた可能性があるのです。それが如何なる修行、外法によって成し遂げられたかはわかりません。
ですが事実として、戸愚呂は当時の暗黒武術会で潰煉を破り、その後人間を辞めています。
戸愚呂にとって最も想定外だったのは、潰煉の弱さだったと断言します。それはすなわち、全てを捨てて得た強さ。それによって憧れすら抱いた絶望の対象である潰煉。そんな究極の目標でありながら、恐らくあまりにも呆気なく死んでしまったのではないでしょうか。
当時潰煉を殺した戸愚呂は恐らくこう感じたことでしょう。
「こいつがこんなに弱いはずがない」
あまりにも強くなった戸愚呂は、目標を通り越したことで自分の終わりが見えなくなったのです。彼が失うのを恐れたのは、強さや若さではありません。弱くなることで、自身が目指した潰煉という目標そのものを見失うことが、絶望しか残らなかった彼にとって、その絶望を失うことこそが何よりも耐えられなかったと、わたしには感じられるのです。
だからこそ、彼は存在しない潰煉を作り出す為に、自分自身の姿を彼に似せざるを得なくなったのだと。
幽助への助言
思えば戸愚呂は、最終決戦もそうでしたが、序盤はともあれ物語が進むほど、幽助に自分を重ねていきました。
幻海を葬った際もその遺体を可能な限り傷つけず、どんな願いも許されるという、いわば霊界も公認である暗黒武術会のルールを理解し、その願いの選択肢をすら奪っています。
これは恐らく、そもそも自分が勝った際にも幻海を生き返らせるつもりだったからではないかと、わたしは考えてしまうのです。そして、あの時点で幻海を殺すことは万が一にも幽助が自分と同じ道を歩まないことを願ってのことではないだろうかと。
無論、これらは全てわたしの推論です。妄想と言ってもいい。ですが、力を発揮した戸愚呂は幽助へと饒舌に語り掛けます。あの日の自分を重ねるように、何が足りなかったか、何が足りていないのかを淡々と。
この冷たい視線は、幽助に向けられたものではありません。かつて力を手に入れ、強さによって誰よりも満ち足りていると確信していた当時の自分自身へ向けたものでしょう。
死ぬはずがないと。奪われるはずがないと。当然、そんなもんは戸愚呂からしたら唾棄すべき感情です。油断ですらない覚悟の無さ。それこそがあの日、戸愚呂から全てを奪ったのですから。
激高する戸愚呂は尚も幽助に言いつのります。
お前には何もかもが足りていないと言わんばかりに。そして見せしめとして、かつての自分が抱いた状況を再現して見せようとしますが、驚くことにその行動は幻海にそそのかされるまで行っていません。
すなわち、それは彼自身のトラウマでもあるからです。そして幻海はそれを理解していた。だからこそ、戸愚呂は桑原を殺すことが出来なかったのです。それだけは、例え冥府魔道に落ち、外道となりながらも繰り返すことが出来なかった。あまりにも悲しい到達点。それが戸愚呂の強さなのです。
満足な死とは何か
戸愚呂が最後まで望んだのは、自らを終わらせてくれる存在でした。彼には%で己の出力を調整する力がありながら、逆を言えばそれに縛られる強さしか発揮することが出来ませんでした。
その力は圧倒的なほどでしたが、同時に彼から目的を奪った力でもあったのです。
限界を超え、全身の歪が砕け真っ白になって死んだ戸愚呂の背中は、どこか満足そうに見えます。その表情は見えないながら、ひょっとしたら笑っていたのかもしれません。
そして彼は死後、霊界にて裁きを大人しく受けながらも、自らの道は絶対に譲りませんでした。恐らくそのことは、彼がまだ人間だった時に決めていたことなのでしょう。
そしてそれを察していた幻海もまた、彼を見送るしかありませんでした。
彼女との間にあった関係が何なのか。本編では語られていません。ですが敢えて感じるなら、恐らく戸愚呂は幻海への恋慕は無かったと考えています。むしろ、死んだ弟子にこそ恋人がいたのではないかと。
そして幻海は、そんな戸愚呂のことを憎からず想っていた。だからこそ、それをわかった上で彼は最後の言葉を幻海に残しました。
「世話ばかりかけちまったな」と。
それは彼が魅せた、最初で最後の矜持だったのかもしれません。
愚直で、他に生き方を知らず、ゆえに絶望の乗り越え方も知らなかった男。
わたしには、戸愚呂という男はそんな存在に思えてなりませんでした。