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小鹿焼とは、柳瀬朝夫さんのことだった
小鹿焼の柳瀬朝夫さんが亡くなられたという訃報を聞いた。享年76歳。
大分県を代表する民陶である小鹿焼。
僕にとって、小鹿焼とは柳瀬朝夫さんの器の事だった(完全に個人の見解です、はい)。
朝夫さんのお仕事は晩年のものしか僕は知らないのだけど、朝夫さんは、まず大量に作る人だった。小鹿焼のなかでもその量は群を抜いていた。
だからか、頭より目より、手の思考が強く宿っているような器にみえた。おびただしい数の器を作っているうちに、身体が器をつくるかたちになっているようだった。
よくできたものも、ちょっと崩れたのも、みんな器だという大らかさがある。
そういうものを粗野というのだな、と朝夫さんの器から教えてもらった気がしている。
「いいかげん」ということは、僕にとってポジティブな意味になっていた。
朝夫さんの窯にいくと、みんなすこしづつ器のかたちが違う。だから宝探しの様に、お見合いの様に、自分に合う器に出会う楽しさがあった。一方で、割れてもまたあそこに行けば見つかるはずという安心感もあった。「陶器は割れるもんばい。割れたらまたこしらえたらええ」。器より、窯元への愛着があった気がする。
でも、もう新しくは生まれない。これからは、今ある器を大事に使っていきます。もちろん、裕之さんや他の窯の器も。
朝夫さん、ありがとうございました。おつかれさまでした。