ダイダラボッチがつくった山 高麗・日和田山
高麗、日和田山。ひわだやまと読む、ダイダラボッチがつくったとされる小高い山。
正確(?)には、昔、ダイジャラボッチ(呼称に揺れあり)と言う巨人が、多峯主山と日和田山をモッコに入れて天秤棒の両端につるし担いで、高麗までやってきて、ここで一休みしようと担いできた山を降ろした。その時、日和田山はそっと置いたので高いが、多峯主山(とうのすやま)はどすんと降ろしたため、低くなったと言う。また、日和田山に腰掛け、高麗川で足を洗った所を新井と言うそうな。
その山を実際にみてみると、日和田山は確かにきれいなおにぎり山だ。山頂付近からは、多峯主山が見える。
ここいらは、情報伝達に狼煙を使っていたという。電話がない時代、この見晴らしの良い山から色や形の異なる狼煙をあげ、遠くの仲間に危機や作戦、合図などを伝えていた。
高麗で最も見晴らしの良い場所がこの日和田山だ。ここからは狭山丘陵はもちろん、遠く多摩丘陵、大山まで望むことができる。
白村江の戦いで国を亡くした高句麗の移民たちは、大山の麓の港からこの地まで歩いて来たのだ。
日和田山の形は風水的にも申し分なく、この地を選んだ当時の高麗人たちの見識を窺い知ることができる。
山頂付近はゴツゴツした岩肌が露出している。チャートだ。つまり、火山ではなく太古の海の堆積物の隆起がこの高麗の山をつくっていたのだ。
積層の向きは西側、つまり東西から強い力によって隆起したことを物語っている。
関東山地に属するこの日和田山は、3つのプレートが交錯する関東平野のエッジだ。尖ったチャートのかけらをみながら、この地が大きく動いていた時代のことを想像してみる。
チャートは石英がまじり固く脆く鋭い。旧石器時代、まだ黒曜石が使われる前は、こうしたチャートを刃物として使われていたと言う。
30,000年にもこの山を登った人類がいたのだろう。
このチャートの岩場はクライミングのトレーニングに適しているため、女性初のエベレスト登頂者、田部井淳子さんもこの山で訓練したそうな。
また、この山は修験の聖地としても知られている。所々に五輪塔のカケラが散らばっている。
高句麗の王子、高麗王若光が開いたとされる高麗神社は、古代中世近世までは修験の神社であったと言う。日和田山は籠るにはちょうど良い山なのかもしれない。
山は、その人によって役割や価値、そして風景がかわる。そのパラレルスケープ(勝手に考えた造語です)を日和田山は体現している。