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北海道、開拓史、母の実家とその歴史と

先週はいくつかの用事があり、温泉地別府から雪の北海道へ。
旭川の友人宅に一泊した後、母の実家がある上富良野へ向かう。『北の国から』の舞台となったあの富良野、の少し北にある土地だ。

盆地である富良野地域は、北海道の中でも特に気温が下がる。この日も、11月にも関わらず-14℃まで気温が下がっていて、寒冷仕様でない軽油はたちまち凍ってしまう。普通に考えたら好んで住む環境とはいえないこの土地に、しかし、僕の曽祖父達はここを目指して移り住んで来た。

富良野という地名はアイヌ語「フラヌーイ=臭くにおう泥土」からきている。硫黄が噴き出す十勝岳の麓であるこの地は、いくつかの川が硫黄で汚されており、川魚が住めないところも多い。その為かアイヌの人たちもここには住まなかったそうだ(縄文人の遺跡はかなり出土している)。

本土からの移民である僕の曽祖父たちは、縄文時代以来、人が殆ど住まなかったこの土地の木を切り倒し、根を掘り起こし、藪を焼き、厄介な泥炭土を改善し、農業の出来る土地に作り変えていった。慣れない気候と地質、並大抵のことではなかった筈だ。

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当時の新聞にもその過酷さが記されている。

"気候は兎角不順。本年四月二十四日頃積雪は消えたれども、其後二回の降雪あり。其最後の雪は五月二十一日にして、其日の冷気云はん許りなく、次いで降霜屢々あり。中にも去る三日の降霜は、雪かと許り思はるヽ程厚く、旁々農家は本年の作附に就て大心配を為し居れり"(『北海道毎日新聞』明31・6・10) 
"土地肥沃の箇所は樹林地にして、草原地は小砂利交り赤土黒土の混合にて農作物の成育好良ならず"(『北海道毎日新聞』明32・10・3)

※『上富良野百年史』より

役場に保管してあった謄本をみる限り、母の父方は兵庫県福崎から、母方は福島県相馬から、それぞれこの地に入植してきている。前いた土地を捨てこの地に来たのは、それなりの理由があるだろう。

親戚のおじさんはこの地で今も農業を続けてる。明治34年に国から払い下げられたこの土地は、ほぼその形のまま残されている。つまり再来年で入植120年になるのだ。

「君のおじいちゃんは相撲がめっぽう強かったんだ」と、祖父の弟の子であるおじさんが話をしてくれた。祖父のことをよく知る近所の老人たちから教えてもらったらしい。
電気も何もなかった開拓当時の富良野。娯楽といえばもっぱら相撲とのことで、祖父はそのチャンピオンだった。屈強な体格と気丈を備えていた彼は、戦争時には伍長として満州へ赴く。そこで恐らく人も切ったのだろう、と。祖父の刀は今もおじさんの家の屋根裏に眠っている。

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対して祖母は、貧しい小作人の子で、姑からよくいびられていたそうだ。姑=祖父の母は、北海道に来る前は何だかそれなりの家の人だったようで、小作人の子である彼女に、優しい言葉をかけるような人ではなかったのかもしれない。

そんな祖母は、母を産んだ1年後、25歳の若さで肺結核で死んでしまう。その3年後には、祖父も肺結核で死んだ。享年31歳。当時、肺結核は不治の病だった。

そうして僕の母は、曽祖母の膝の上で育てられることとなった。だから、母には両親の記憶がない。
当然、僕は祖父母の思い出など存在せず、そのせいか分からないけど、この土地への愛着もさして持てずに今に至る。

でも、今回この土地に再び来て、もう少し母の歴史を知ろうと思うようになった。母がこの土地で経験したことや、母が記憶しなかったことなどを。

父は既に死んでしまったが、母はまだ生きてる。それくらいの動機ではあるのだけれど。

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