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スライドする風景 具象と抽象について 〈目〉『埼玉古墳抽象景色』
行田市にある埼玉古墳。
居間からそれを眺めている。のだけど、しかし、その景色は少し不可思議だ。
スライドし続けている。
これは。目の作品『埼玉古墳抽象景色』からの眺め。居間、移動する景色、古墳、抽象、どれも交わらなさそうで、繋がってる。
南川さんと話した時、「抽象の景色は、具体の景色をレイヤーにして初めて目の前に迫ってくる」というようなことを言っていた。
別府で発表された作品『奥行きの近く』とも繋がる関心領域だ。
画家の久松知子さんも、最近は抽象というフレーズを使っていた。場の特殊性に絡め取られる事から逃る手段としての抽象。
そういえば昔、抽象という言葉は、メディウムスペシフィックとか自立、純粋性とかいった言葉で使われていたような気がする。
でも、彼らは、そのようなものとは少し違うような気もする。抽象にはまだ奥行きがあるのかしら。それとも、文脈や"つながり"過多な社会への反動なのか。鴻池さんならば「それは言葉でしかない」と喝破するのかもしれないけど。
彼らは、探求している。目の冒険を続けている。
そのことが僕にはとても心強く感じられ、勇気づけられる。次回の研究発表?もとても楽しみ。
この日は気持ちのよい快晴で、古墳とともに抽象的な風景をつくりだしていた。抽象と具象の差なんて案外あやふやなものなのかも知れない。