しゅわわ邸アートスタジオFAQ

朝来市生野町で運営しているしゅわわ邸アートスタジオ。
有料の子どもアトリエです。
でも、この場所の大切にしているものが何なのかイマイチわかりづらい。
そんなアナタのご質問にここでお答えします。

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Q「親としてはもっと芸術の基礎や技術を教えてほしい」

A 大人向け絵画教室でも指導していた経験があるのでもちろん対応は出来ます。

たとえば、小学校高学年以上の子どもや大人の方など、もっと上達したい、美大に入りたいなどの意思が本人にある場合には技術面への指導もしております。
でもまずは当事者(子ども)の気持ちが最優先。
年齢問わず、「アナタのしたい表現のために私にできるかかわりは何ですか?」というスタンスで相手に向き合うことを大前提としています。


「絵の具が思うように伸びない」
→絵の具の量、水分量、筆やパレットの大きさなどについて気づきを得られるような声かけ
「本物みたいに上手く描きたい」
→本物って何だろう、上手いって何だろう、形や色の比べ方についての声かけ

答えを提示することはあまりなく、どちらかというとヒントを与え気づきを促す感じです。

逆に言うと、子どもがノリノリで制作している時の不用意な声かけは、集中を削ぐ結果になる場合がほとんど。
なので基本的には見守るのが私の仕事です。


ちなみに保育士をしていた経験から、それぞれの月齢で私が大切にしているポイントをお伝えします。

2~3歳 色、光、肌触りなどを五感で楽しむ
4~5歳 心の中にあるものを素直に表現する
6歳以上 観念をぶち壊すw(親御さんにとっても)

これらを大切にしながら、その都度タイミングを見て子どもに伝わる言葉で声かけをしています。

「触ってみてもいいよ」→(絵の具の水分量どんな感じですか?)
「どっちが好き?」→(二つのものを比較すると色や形の狂いなどを見つけられます)
「失敗してもいいんだよ」→(まずカタチにしてみてからブラッシュアップしましょう)
大人にとって若干物足りない声かけにも聞こえますが、読み解くとめちゃめちゃアートの本質に触れる問題提起をしていると考えています。



Q「自由すぎて預かり保育と変わらないのでは」

A たしかにこの場所でおこなっていることは、教室というよりもお預かりや見守りに近い内容です。
他のお預かりとの差を挙げるなら、お預かりだけでなくプラスαで多くの体験をしてもらえる点かと思います。

「○○しちゃダメ」「○○しなさい」は、基本的に言いません。
子どもが委縮してしまうのは表現においてマイナスでしかないからです。
(安全面についてと、お友だちの作品を大事にしてくれない時にだけ注意します)



Q「実際に拝見して、親同伴でないと未就学児の安全が保たれないように感じた」

A 安全面については、私が森のようちえんで働いていた時の経験から設計しています。
子どもの人数に対して大人が私だけの場合と、親御さんが同席していらっしゃる場合では対応が変わります。
なので、大人の目がひとりぶんの時には、死角が生まれないような配慮は当然しています。
親同伴でないと危険、、ではなく、親御さん同伴の際には子どもに普段より多くのチャレンジを味わってもらう場合があるという認識です。



Q「空間が楽しすぎて描いたり作ったりというところまでいかない子もいるのでは」

A 制作だけでなく、体験や鑑賞を通してアートを味わうことも大切にしています。成果物を持ち帰るよりも、どちらかといえば“表現”に重きを置いています。



Q「レッスンの途中で公園や畑に行ったり、遊んだりするのは何故ですか?」

A 彼らが自身の気持ちと向き合い、瞬間瞬間で表現できる環境を大切にしています。
子どもはアートと遊びの境目がきわめて曖昧です。
2時間をどう過ごすかは本人の自由なので、活動内容は非常に流動的です。

たとえば、
工作をする→作ったもので遊ぶ→改造する
絵を描く→川に行く→室内に戻ると絵に魚を描き足し始める
畑に行く→落ち葉に気づく→室内に戻り落ち葉を使って制作する
(もちろんすべてのアートは自発的に生まれます)

こんな風にわかりやすくアートにつながる時もあれば、単なる気分転換のような時もあります。
ただその場合も複数の遊び(アート)を横断することでインプットとアウトプットを交互に繰り返し、脳からあふれ出しそうな情報を彼らなりに処理しているのだと考えます。

子どもによっては、体を動かすことで気持ちをほぐし、その後の自己表現がしやすくなるケースもあります。



Q「中高生が無料で遊んでいる状況との差別化が必要なのでは」

A 無料でおこなっている小中高生の場づくりと、コンセプトの根本は同じものです。
なので差別化する考えはありません。
「アナタの表現したいことを保障する」「アナタの中に答えはある」私はそれを応援する。
その上で敢えて違いを挙げるならば、場と道具の制約があるかないかでしょうか。

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簡潔に言えば、私は子ども達の表現を、いちファンとして心からリスペクトしています。

ピカソの言葉にこんなものがあります。

「子どもは誰でもアーティストだ。問題なのは大人になってもアーティストでいられるかどうかである。」


先日、とある小学1年の女の子がこのようなセリフを言いました。

「目はこうやって描くって学校の先生が教えてくれたんだよ」(だからそれ以外は不正解なんだよ)

脅す訳ではありませんが、この状況はある日突然訪れます。


しゅわわ邸アートスタジオが大切にしていること。

それは「アナタの表現はアナタ自身のものである」という考えです。

そしてそれは


「アナタの人生の主役はアナタ自身である」


という意味でもあります。



幼いうちに自分の意思でゼロをイチにする経験は、大きくなってから必ず彼らを支える糧となります。


子ども達の心の深いところに大切な種を蒔くお手伝いをさせてください。


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