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ウクライナに行ったという話。
はじめに
戦争前から一緒にWebサイトのプロジェクトをウクライナのチームとやっていて以前から繋がりがあったウクライナ。
ベトナムで同じくITをやっている方と「ウクライナ復興のために何ができるのか」という話になり、そこからウクライナ関連で様々な人とコンタクトしつつ、お話する機会をいただきました。
今回は復興という観点でウクライナの「現状」を視察するためキーウとハルキウに行ってきました。
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外務省が出している危険情報はレベル4の「退避勧告」になっています。これは、「どんな理由があっても新たな渡航は行わないこと」との強い警告を意味します。私がウクライナを訪れたのは、事前の十分な情報収集や準備を通じて、万が一、自分自身が死傷を負っても他者に迷惑をかけない、そして邦人保護のための公的資源が生じないよう最善を尽くす覚悟のもとでの決断でした。この記事を読んで興味から渡航を考える方は、絶対に控えてください。私はウクライナの現状を伝えることで、国の復興を支援するための情報提供を目的としています。政治的な意見や立場は取り上げず、「ウクライナの早期復興には何が必要か」に絞った内容となっています。
今回は渡航の概要を共有しますが、次回以降、ウクライナのIT業界の現状や日本食レストランの事情。現地で活躍されてる日本人の方々とお会いしてきた記事をアップしていこうとおもいます。
ポーランドからウクライナへ入国
戦時中のためウクライナ上空は飛行機が飛べず、ウクライナ国内の空港も閉鎖されています。そのため、飛行機での入国は一切できません。バスか電車しか入国手段がなく、電車のチケットはすぐに完売するため、今回はポーランドのワルシャワからバスでの移動での入国を試みました。
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バスはほぼ満席。飛行機の代替手段はバスか電車しかないため、昼夜問わず、ウクライナ行きのバスが行き来しています。
また運転手さんのアナウンスはすべてウクライナ語かポーランド語になるので、外国人からするとかなり難易度が高い移動手段です。隣りにいたセルゲイさんというウクライナの方と、オフラインでも使える翻訳アプリとボディーランゲージを駆使しながらバスの運転手さんが何を言っていてるのか、いまどこにいるのかなどを教えてもらいました。
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キーウに到着
ポーランドのワルシャワからキーウまで800kmほどの距離を、入国審査など含めて約14時間かけてようやく到着。深夜0時に出発し、到着する頃には夕方になっていました。
国境の入国審査は軍?警備隊?の方が物々しい雰囲気でチェックを行っており、緊張感がありますが、入国後は道中も含めて、戦時下を感じさせる雰囲気はほとんどありませんでした。電車やバスは通常通り運行されており、ショッピングモールも普段通りの営業をしているように見えます。
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夜も賑わっている
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1年近く経つがそのままになっている。
ただし、街のあちこちを見ると、窓ガラスが割れたままのビルや、戦争の爪痕が残る光景が目に入ります。
人気な日本食レストラン
キーウには多くの日本食レストランがあります。今回の視察では、ウクライナにおける日本食レストランの現状を把握するため、ラーメン店や寿司店を訪れました。
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何店舗もウクライナにフランチャイズがある麺屋武蔵のオーナーさんにもお話を伺ったり、非常に貴重な時間を過ごせました。
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ロシア国境に近いハルキウへ
ハルキにある一緒に仕事をしていた会社と、現地で活動されている日本人の方に会うため、キーウからハルキウに移動しました。ハルキウへはキーウから寝台電車で6時間程度かかります。
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ハルキウはロシアまで数十キロに位置する街で、開戦当時はかなりの被害がでていました。修復工事こそ各所で行われていますが、街は平和そのものでした。
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この穏やかな風景が永久に続いてほしいと願うばかり。
ハルキウはキーウと比べて少しローカルな雰囲気が感じられますが、夜は若者たちが屋外での飲み会を楽しんでおり、戦争の雰囲気はまったく感じられません。
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ただ、キーウと違うのはガラスに木の板が貼ってある店。キーウにところどころありましたが、ハルキウは量が違いました。おそらく爆風などで割れたあとの保護か、また割れないための補強のためかと思います。人々は普通ですが、少し異様な雰囲気でもあります。
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ハルキウで活躍する日本人
ハルキウでは、現地で1日1000食あまりの食事を、生活に困っている現地の人々向けに無料で提供しているFuMi Cafeの土子 文則さん(Fumiさんと現地では呼ばれている)にもお会いしました。
私も微力ながら支援物資を持っていきつつ、現地の状況などをFumiさんから伺いました。開戦時の地下鉄での生活や、今ハルキウに住む人達への支援の方がかなり切実であることを知りました。
ハルキウ周辺もご案内いただいたのですが、ハルキウではFumiさんを知るウクライナの人が多く、行き交う人がFumiさんを見るたびに感謝を伝えていたのが印象的でした。
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爆発の音で目覚める
翌朝5時、キーウに戻る日。「ドーン」という音で目が覚め、飛び起きてカーテンを開けると、遠くの方から(後に調べると1kmぐらい先)煙が上がっていました。間もなく数回また同じような爆発の音が聞こえ、急いで地下に避難するために外にでました。
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しかし、慌ててるのは私ぐらいで、街の人は平然と外を歩いていましたし、バスや電車も普通に運行していました。
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その時、私は明らかに戦時下であることを認識しましたが、ハルキウに住む人々にとっては、そうした状況も日常の一部となっていることも感じました。
普通の生活を取り戻せるか
今回の渡航で「普通の生活をどう取り戻すか」がいかに困難で、大事かを感じる視察となりました。
戦時下の国となると「〇〇で被害があった」「〇〇の戦況がこうなっている」というニュースがほとんどで、それが国内全土で起きていると錯覚してしまいそうになります。
私も現地に行くまではそう思ってました。が、それはほんの一部分であり、大部分の人々は普通に生活をしています。ハルキウの件でもあったように、たとえ攻撃がすぐ隣にあったとしても、生活するために、働いてお金を稼いでいかなければなりません。
戦争を終わらせることや、戦況を変えられることは僕らの力ではなかなか出来ませんが、現地で生活している人たちを、普通の生活をしてもらうために応援をすることはできるかもしれません。
今回お会いした人たちは隣国や、現地からウクライナの人々の生活、経済のために奮闘されてる方々ばかりでした。