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VTuberの"転生"はリスナー目線で『悪』である


このnoteでは、私の「VTuberの"転生"はリスナー目線で悪である」という主張と、その理由を論じます。



はじめに


私は、ちょいベテランVTuberオタクを名乗っている通り、VTuber文化に長く触れてきています。

そんな私は、昔からVTuberの"転生"という行為とそれを取り巻く状況に、えも言えぬ嫌悪感を抱いていました。

本noteでは、私自身が"転生"に嫌悪感を抱いている理由をできる限り言語化したので、ぜひあなたが思考整理する際の参考にしてみて下さい!



前提


まず、私の主張の大前提に「いちリスナーが主観的に感じていること」があります。

私は"転生"したVTuberではないですし、その行為の裏にどのような感情があったのかは分かりません。
ゆえに、私の主張はあくまで観測するリスナー目線で抱いた批評であり、"転生者"本人にとってどういう位置づけだったのかなどは考慮していません。

("転生"せざるを得ない事情があったかなどの背景は考えないという意味です)


私が"転生"を『悪』と主張する理由


本題です。
繰り返しますが、私は「VTuberの"転生"はリスナー目線で『悪』である」と感じています。

そして、そう感じている大きな理由の一つが「演者自身が殺した人格を利用している」点にあります。


この理由を論じるためには、私が考えるVTuberの定義を説明しなければなりません。


私は、VTuberの定義は「仮想の人格」であると考えています。

例えば、化け猫系VTuber「尾無ティブ」とその演者「秋山花子」がいたとします。(現実には存在しません)
そのとき、我々リスナーは「尾無ティブ」の活動から、まるで"化け猫がそのまま生きて活動している"ような認識をします。これこそが「仮想の人格」です。
この尾無ティブの「仮想の人格」は、秋山花子の魂(声や趣味嗜好などの構成要素)と密接に結びついています。つまり、"演者"はVTuberの「仮想の人格」を作り上げる大きな要素の一つであり、”VTuberそのもの”としては考えていないというところがミソです。



そして、この定義が、私は「"転生"は『悪』である」という主張を抱いた理由の背景にあります。


まず、この定義を元に「"転生前"VTuberの活動終了」という事象を考えると、「活動終了=仮想の人格の実質的な"死" 」という構図が読み取れます。
例えば、「尾無ティブ」が活動終了したとき、ファンであるあなたは、はっきりと認識していた”化け猫”の存在が心から消えてしまったような感覚に陥ってしまうことでしょう。情報としての「尾無ティブ」は残っているのにも関わらずです。それが、仮想の人格の”死”です。

そして、リスナー目線から見ると、この構図の中での”演者”の立ち位置は「仮想の人格を殺した者」というほかありません。(もちろんそれは演者が作り上げたものなので生かすも殺すも自由ですが)


次に、この流れからVTuberの”転生”という事象を考えます。仮に、活動終了した「尾無ティブ」の演者「秋山花子」が、新しく”転生”して「羽月ティナ」というVTuberとしてデビューしたとしましょう。その「羽月ティナ」は当然「秋山花子」の構成要素をしっかりと反映しており、それを感じ取った外野は「尾無ティブ」の"転生"なのではないかと騒ぎ立てます。結果的に、通常のVTuberデビューよりも注目度は上がるでしょう。


あなたが「尾無ティブ」の元リスナーだったとき、
この事象に対してどのような感想を抱きますか?


私は、「てめぇが殺した人格を集客のために利用してんじゃねぇよ!」と(演者に)憤りを感じます。これが、私が「VTuberの”転生”が『悪』である」と主張する理由です。感覚的には、「好きだった方の”死”を冒涜されたような気持ち」になります。


これは、”演者”側が意図的に利用していたにしろ、いないにしろ、必然的にそうなってしまう・・・・・・・・がゆえに、リスナー目線では集客に利用している『悪』と判断せざるを得ません。
当然、"演者"側が姿かたちや言動から匂わせるなどして、意図的に利用しようとしていた場合、その『悪』度合いは格段に上がります。("転生"のほとんどの場合はこのパターンなのが悲しいところです…)


そして、私は"転生"に”転生前”の要素を見出し、空いた心の穴を埋めようとする元リスナーに対しても、少しばかりの嫌悪感を抱いています。(気持ちはわからなくもないですが)
彼らは、好きだった"転生前"の人格を殺し、”転生”の集客にそれを利用しようとした上で全く別の人格を作り上げようとしているVTuberを、「”演者”が同じならそれでいい」というスタンスで受け入れている場合が多いですよね?
私の感覚からしてみれば、それは理解不能なことであり、「VTuberではなく"演者"を見ているだけじゃん」と嫌悪の念さえ抱いています。



VTuberの”転生”をとりまく「殺した人格を利用する演者」「演者しか見ていない元リスナー」などの要素をリスナー目線で観測し、主観的に抱いた感想から総合して判断した結果、私はVTuberの”転生”を『悪』と断じます。


まとめ・あとがき


以上のことがらをまとめると、


  • 私はVTuberの”転生”をリスナー目線で『悪』と感じている

  • 私はVTuberの定義を「仮想の人格」として認識している

  • 私が”転生”を『悪』だと主張する理由は、「演者自身が殺した人格を集客に利用しているから」「好きだった方の死を冒涜されたような気持ちになるから」である

  • 同様の背景から、"転生”を受け入れる元リスナーにも嫌悪の念を抱いている


となります。



今回のnoteの内容はいわゆる「厄介リスナーの”お気持ち”」とも捉えられる内容で、賛否両論あると思います。ですが、私にとってこの問題は活動を続ける原動力の大きな一要素となっているため、このタイミングでどうしてもアウトプットしておきたかったものなのです。


ゆえに、今回このnoteを書くにあたり、私が"転生"に感じていたモヤモヤした感情をできる限り言語化してみました。

あなたがVTuberに対して感じている感情を言語化する一助になれたなら幸いです。



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最後まで見てくれてありがとうございました!
また次の記事で会いましょう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


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