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【エッセイ】得体の知れない何かに出会う。

写真を撮る傍ら、普段は社会人としてきちんと働いている。

去年の暮れの話である。

職場が海に面していることから時折、窓から海辺を見ることがあり、先日驚くべき光景を見た。なんと砂浜にマンボウの死骸が打ち上げられていたのだ。

こんな内海でしかもマンボウ?と思わず目を疑った。なにせ普段は外洋に暮らす魚のはずであるし、水族館以外では見たこともない。

しかし、冬の日本海は強い北風のため、さまざまなものが漂着する。大半は韓国や中国などのゴミがほとんどだが、何らかの理由で絶命し、それらに紛れてここまで流れ着いたのだろうか。

仕事中であったため、いったんは業務に戻ったものの、やはりどうしてもマンボウのことが気になって仕方がない。

合間を縫って再びマンボウを見てみると、そこには一羽のカラスがいた。だが、どうにも様子がおかしい。近づくわけでもなく、遠ざかるわけでもなく、ましてや嘴で突くこともせず、周囲をウロウロしているのだ。

「一体これは何だ?生き物なのか?食べることができるのか?」というカラスの声が数十メートル越しの建物の中までも聞こえるようだった。実際、カラスの心の声を聞くことはできないが、私自身もマンボウの存在に驚き、屋外で初めて見たのである。カラスにとって名前はおろか、その存在すら知り得ないため"得体の知れない何か"であることは間違いないだろう。

私自身、マンボウを食べることができるのか皆目検討もつかない。フグ目である事からカワハギのように美味しい出汁を取ることができるのだろうか(後日、調べたところによると一部地域では食用として流通しているそうだ)。

しばらく行く末を見守っていたが、結局カラスはマンボウに触れる事なく飛び去ってしまった。頭の良いカラスのことだ、賢明な判断と言えるだろう。


またしばらくして、件のマンボウを見てみると先ほどのカラスがもう一羽、別のカラスを連れてマンボウの周りを囲んでいた。
先ほどのカラスより幾分身体が大きい事を考えると群れの先輩だろうか。
先輩カラスの「先人の知恵を借りる」いや、この場合「先鳥の知恵を借りる」といったところだろうか。分からない場合は他者に聞くということをカラスがやってのけており、しみじみ感じ入ってしまった。

先輩カラスも、もちろん"得体の知れない何か"を初めて見たと思われるが、先ほどの後輩カラスと違い、果敢に嘴で突いたり、上に登るなどして存在を確かめていた。
人間社会でも後輩から頼まれると大きな顔をして挑まざるを得ないというのは先輩の宿命であり、どうやら鳥社会でも同じらしい。

カワハギの皮は厚く、どうやら二羽のカラスも食べることはできないと踏んだのか、やがて飛び立って、再び姿を現すことはなかった。


私たち人間社会もひと昔前は分からないことは人に聞いていたはずだ。それが、伝記や辞書になり、今やスマートフォンに取って代わってしまった。
鳥社会にはもちろん、そのような便利な道具は存在しないため、分からないことは今も群れの中で伝えられているのだろうか。

調べ物をする場合はつい、インターネットに頼ってしまうが、今度何か分からないことがあったらメモをして、近しい友人たちとの飲みの席で聞いてみようと思う。誰か答えを知っているかもしれない。


冬の北風に乗って様々なものが漂着する海

撮影機材 Konica pearl III

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