圧倒的他者視点の魅力ライターします。までの道のり。その5。そろそろ終わりにしたい
ご訪問ありがとうございます。魅力ライターあそゆかです。
どうしてライターになったのか、どんな道があったのか、そう聞かれることが続いたので、描き始めた、マイストーリー。思いがけず長編になりました。いや、長編にしたのは、私自身。
最初から読みたい方はこちらから。
これまでを読んだ友人知人からは「感情、出したねー」「吹っ切れたな」「全開だね」との言葉。
何でこんなことになっちゃったんだろう。笑 言葉をこうして綴るときは、いつも頭の上のところから、タイピングする手先に何かが直結して打ち込んで文章になってるので、もう、任せるがままです。
でも、もう気持ちのまんまに、書いてみようと思います。
世界に自分を全開するって、やっぱりなんか怖かったりする。
こんなに自分のこと書いて、厚かましいとか、高慢だって思われるんじゃないかとか、
いろんなごちゃごちゃした気持ちの最終着地点は「嫌われるのが怖い」「孤独になりたくない」
でも、それを恐れて自分を引っ込めて誰かとほどほどに繋がれる世界と
自分を出し切って、そこで「そんなあそゆかの文章を読みたい、書いてもらいたい」と思ってもらえる世界と
どっちがいいって言ったら
やっぱり、後者。
私の気持ちだって、大事にしていいし、表現していい。それで嫌われることを恐れるより、「だから、繋がれる」の可能性に賭けてみていいと思う
そう言うことなのだろうなと、この長編を書きながら感じています。
言葉で世界の美しさを切り取り表現したい。否定し合うことのない世界の中で生きていきたい。
その先はどんな世界かって、
誰もが、捉え切れないほどの多様性の中の唯一として、大事にされる世界であり、互いに、みんなが、我慢や押し付けや義務感で生きることのない、できることで自然に貢献しあえる、好意や愛情でつながり合う、調和した世界なのだろうと思っていて。
そう言う世界を、私は見て行きたいし、そう言う世界を、私の生きる世界に広げて行きたい。
うん、でも今考えてみたら、もう今、そうなってる気もする。あれ?もう、だいぶそれになってないかな、ワタシの世界。おやおや??笑
話を戻します。
いろんな時を経て、いろんなことがあって、それでもやっぱり残ったのは、「書きたい、言葉で表現したい」と言うこと。
本当に、こうしてただ書くことが好きなだけ。でも、それこそが、「生きている実感ができることのひとつ」
だから、書いてみよう、もう一度。そう思って、今年から心を決めてもう一度声を大にして始めたのが、shutterです。
前回のヒモ解きの鈴木深雪さんが言ってくれた「あそゆかさんの言葉で好きに書いて!」もう、これで勝負しよう、そう思って始めたこと。
フリースタイルで対談して、感じたことをそのままに、その方のことを表現する。
時には、その方のことだけじゃなくて、この対談から、私のものとかけ合わせて伝えたら、きっと読む人にもっと深く伝わることがあるな(そしてそれは、ご依頼者様にとっても、きっと意味あること)そう思うことも盛り込んで、ストーリーにする。
完全オリジナルでオーダーメイドの、私とご依頼者様の1対1の関係性の中からしか生まれない言葉たち。
ご依頼者様の多くの動機は、もちろん「あそゆかさんの言葉で私を書いて欲しい」「他の人(=あそゆか)からみた自分を知りたい」
だから、もう、存分に、私視点で書いて良い。
時には「なんかすごいサービスですよね。笑」とも言われます。だってあそゆかさんの書きたいように書くんですよね?と。
でも、考えてみたら、この世の中に生み出されたもので、「作り手の作りたいように作ったものではないもの」「生み出した人の視点が入ってないもの」なんて、あるんだろうか。きっとないはず。私がこうして大々的に打ち出しているから、そう思うだけで、作り手の意図のないものなんて、何一つないんです。
だから、私は、自分の言葉に責任を持って、私はあなたのことをこんな風に感じたし、ここが素敵だし、あなたとの中から感じる、伝えたいメッセージはこれです、と正直に、嘘偽りなく、書いて、お渡しします。
時にそれは、その方の未来のお客様へのご紹介記事になったり、私からご依頼者様へのラブレターになったり、一つのエッセイのような物語になったり、実にさまざまです。
中には、ご自分でこれまでやって来たことを対話の中でお話しされて、そこから感じた「あなたと言う人の軌跡」を私が書くこともあります。
対談の先で、どんなストーリーになるか、それは、びっくり宝箱みたいなもので、私にも予感がつきません。
でも、いつも願っていることはただ一つ、読み終えた時、これまでと、今とこれからが、輝かしく感じられるような言葉を送りたいと思う。
それが、人によっては、慰めや癒しの言葉として届くこともあるようだし、叱咤激励のように届くこともあるようだし、自分を信じて背中を押してもらえた、勇気の言葉として届くこともあるようです。
どう、届くかはわからない、でも、私からあなたに差し出せる1番の言葉を、思いを馳せて、馳せて、いつ、どう描こうかなって思ってしたためます。
あなたの今までもこれまでもこれからも、素敵だから、と。
2月から対談を始め、これまで50人以上の方にお申し込みいただいて、順次記事をお渡しして来ました。
時には、ちょっと怖くなる時もあります。
私の言葉で、決めつけてしまわないだろうか、傷つけてしまうことがあるかもしれない。こんなことやっていいのだろうか、独りよがりじゃない?私のしていることは、今より1ミリでも幸せになることに寄与できることなのだろうか、って。
でも、フォーカスすべきはきっとそこじゃない。
信頼して、申し込んでくれて、決して安くないお金をお支払いいただいて、オープンに心の言葉を聞かせてくれたのなら、それに対してベストを尽くすだけ。
本当にそれでしかないのですよね。
こうして書いていて、やっと私も覚悟が固まったように思います。
ご依頼者様が委ねてくれる分、私は返せるものを、偽りない言葉で、どこまでも正直に書いて、言葉に表現してお渡しする、そこに、妥協をしない。
ほんと、それだけ、ですね。
だって、今私が出会う人は、みんな誰しもに、素敵だなぁと思うところがあるし、未来の可能性しか、感じないのだから。
だからこそ、そこをキャッチして言葉にしたい。どんな言葉にしたら素敵かな、届くかな。今この人に必要な言葉は、なんだろう?そう思う時間は、愛おしい。
私はいわゆる機能不全家族の中で育ったのかもしれません。でも、その両親、祖母や家族の一人一人の人生だって、ものすごい歴史の中で紡がれた生き様。そこに善悪なんてなくて、やっぱり、その生きた道は、かけがえのないものだと思う。
あんなにいろんな憎悪を繰り返しても、笑えなかった時があっても、絶望しかないような日々があっても。
人って許しあえるし、和解できる。
決して器用ではない、でも、たくさん、愛してくれた人たち。
愛したかった人たち。
いろんなことがあった、何年もの時間の先で、母と父は、まるで過去の同士を讃えあうかのように、人としての愛情と信頼を持って、関わり合い、助け合って生きました。残念ながら父は難病を患い、過日療養病院に入院。もうこの時世ではいつ会えるかわからないけれど、その時にも母は私とともに父に付き添い、その背中や肩をさすり、入院していく姿を見送り、父が1人で過ごした実家を、綺麗に整えました。
ずっと我慢を重ねてきて自分で自分を苦しめていた母は、家を出たあの日から「自分を生きる」と決めて、父との離婚が成立してからはどんどん垢抜けて。自分の時間を生きた先、みそめられて再婚もして。残念ながら、旦那様は数年前に亡くなったけど、その旦那様は、母と、私と私の娘たちに「もう1人の新しい家族」という素敵な時間をくれました。今はその悲しみからも立ち直って、絵を描くことが私は好きだった、と、毎日、飽きるほどに絵手紙を書いて過ごしています。
父は父で、まぁ、あつい恋もして、その恋にも敗れたようだけど、確かに、「家族」に対しては、だいぶ、迷惑をかけたのかもしれない。でも、私は、そんな父が嫌いじゃない。自分の気持ちのままに、自分の人生を選んだ父は、それはそれで、「お父さん、やるじゃん。」とも思うのです。「我慢しないとダメ」それが前提で生きてきた母に、もっと自由に生きろと、その人生で教えるかのように、見せてくれた人でもあると思う。不器用な人で、多くを語らないし、何を考えているのか、関わった時間も短いから、父のことがわからなくて、私は何度も困惑したけれど、晩年は、娘の私が可愛いと、デレっとした顔も時は見せて、入所した施設では家族のようにみんなと仲良くして、再婚した母のことを、あたたかく、不器用ながらも見守っていたと思います。
夫婦だから、結婚してるから、離婚してるから、そう言う枠を超えて、関わり合う2人をみて、私は素晴らしい人たちだなと感じたし
下手な恋愛連ドラなんかよりも、この人生、誰もの人生の方が、よっぽどドラマティックで素晴らしいじゃないか、そんなことを思いました。
どんな人の人生にも、素晴らしさがあり、誰の生き様もなにものにも変えがたい、美しい、かっこいい、素敵なドラマである。それは、溢れるほどの多様性の中の、輝かしい唯一である。
本当にそう思う。だから、それを切り取り綴ることができたなら、素敵だなと思う。
そうして、誰もが、自分自身の人生に可能性と信頼を
誰かの人生のこともそんな風に見ることができて
互いに敬意と尊重を持って、否定し合うことなく、大切に関わり合えたら。
なんかいい世界になるよね。素敵じゃない?
今私が、魅力ライターとして、誰かのことを綴るのは、そんな気持ちが、原点。
だから、これからも書いて生きて行きたいな。そんなことを、思います。
言葉って、素敵なのだ。
昨日ふと思いついてから、取り憑かれたかのように書き上げた、マイストーリー。とっても長かったけど、とっても濃かった。
これもまた、自分のためのライティング、ですね。
お読みいただき、本当にありがとうございました。
落ち着いた頃に、編集後記でも、書こうかな。
shutterのご依頼はいつでもどうぞ。こちらから。
最後の編集後記