絶望
すごく難しい本に出会った時、本を読むのをやめてしまいそうになる。なぜなら、一つの文章ごとに聞いたことのない単語に出会うからだ。その単語の意味を調べて、理解して、ようやく文章を読み進めていく事ができる。それは非常にストレスのいる作業であり、できればそんなストレスなく読み進めていきたいが、わからないなら調べる他ない。僕はその類のストレスを「絶望」と呼ぶようにしている。
村上春樹氏は毎年のようにノーベル文学賞の候補にノミネートされている超有名な作家であるが、彼の小説を気持ちよく読み終わった試しがない。「ねじまき鳥クロニクル」という全3部完結の小説があるが、僕は1部を読み終えるのに精一杯だった。確かに、一つの場面を説明するときの例えや比喩はすごいけど、それが本当に凄いのかはわからず、僕は作業として読み進め、読み終えた時は「もう終わってしまった」という寂しさよりも、「やっと読み終えた」という達成感の方が勝った。これは明らかに僕の知識不足による彼への偏見であり、世間の意見とは乖離した感想である。
分からないことを分かるようになるためにあるのがまさに「勉強」であり「学問」であるから、生きていく上で「勉強」をすることは必要不可欠な作業であり、死ぬまで続く所謂「修行」とも言える、あくまで持論。だから、この「ねじまき鳥クロニクル」を何のストレスなく読めるようになると、一つのフェーズを突破できたことになる。そうやって学んでいく。
「サッカーにおいての絶望」、僕がサッカーにおいて絶望に陥った事があるのは人生で2回ある。1つはデンソーチャレンジカップで関東A選抜vs中四国選抜を見た時である。結論から述べると、大学生vs高校生の試合なのかと思うくらいのレベル差だった。大学サッカー最高峰クラスの関東リーグの選抜はそりゃ上手いに決まってるけど、あまりにも異次元すぎて絶望に陥った。後に、関東A選抜のスタメンは全員プロになっていた。あゝこれがプロになるレベルなのか、と絶望を超えて関心したのを今でも覚えている。(余談:当時見た現FC東京の渡辺剛選手はマジでバケモンだった)
あと1つは20/21シーズンCL決勝のバイエルンvs PSG。この試合も言わずもがな、世界最高峰の試合であり、異次元の世界である、という前提を前にしてもなお、僕は絶望に陥った。とにかく早い、速い、疾い。圧倒的に早い。早いの上をいくくらい早い。説明が付かない。呆気に取られる。そんな90分間。風のように過ぎ去った。
一見、小説とサッカーを結ぶつけるのはあまりにも無理があるように思うが、僕の中では一致していて説明がつく。小説における絶望、つまり文章が難しすぎて読み終えるのが精一杯な状態。サッカーにおける絶望、つまり今の自分には到底辿り着けそうもなく、自分には分からないレベルでプレーしている選手を見た時、肌で感じた時。これが絶望。
世の中のほんの一部にしか過ぎない事例を挙げて絶望を考えてみた。今後生きていく中で様々な絶望に出会うことだろう。その時に、どう思い、どう行動するかは個人の自由であり正解も不正解もない。ただ、絶望を放っておくと、永遠に自分の夢には辿り着けない。絶望に陥ったから、それをバネになにクソ根性で頑張るのか、絶望に陥り、諦め、自分はダメだと落ち込み、それでも前に進むのか、とて自由である。ダメなのは放っておくこと。諦めても、そこで終わったら何も残らない。絶望を希望に。