「何者」かになりたくて焦ってるあなたへ
SNSやインターネットが恐ろしいほどのスピードで毎日成長していく現代。
では自分自身は成長できているのだろうか。
「何者」かにならなきゃいけない不安が心を押し潰していないだろうか。
自分は今青春18切符を使った東日本一周旅の真っ最中である。
折り返し地点を超え、徐々に南下している電車の中だ。
毎日7,8時間の電車移動の中なにをしているか。
元気がある旅の初めは文章を書いたり本を読んだりと有意義な時間を過ごしていたが今はそんな気力が無く、物思いに耽るか、だらだらケータイをいじるかのどちらかになってしまっている。
今回のnoteはその電車内で深く考えたあることについてである。
1年前。同じように電車のみで西日本を巡った旅をした。 noteにも綴ってある。
高校3年間の厳しい部活が終わり体力があり余った3月下旬。8日間の旅である。
今この瞬間自分がしている旅と時期も期間もほとんど変わりがない。強いて異なるところを見つけるとしたら、去年は途中まで友達がいたこと、今年はものすごい暖冬だということくらいだろうか。
大きく違うのが、去年と比べて1年大人に近づいた状態である。ということである。
リュックを背負い電車を乗り継ぎはるか遠い絶景を探しに行く。去年は8日間たいして疲れを感じることなく乗り切った。
今年はどうだろう。3,4日目で頭も体も驚くぐらいに疲弊していた。
なぜだろう。去年の旅に出るまでは毎日部活をしていたが、今年は大学生となり体を動かすことが急激に減ったことによる体力の低下はもちろんだろう。しかし、確実に自分を悩ませている理由があった。
今回のテーマだ。
「何者かにならなきゃいけない」
大学生という子供と大人の狭間にいる存在。
周りには
すでに社会に出て働きだしている奴もいる。
同い年で世界で活躍している人なんて数えきれないほどいる。
何かを成し遂げないとと何者にはなれない訳だが、その何かを見つけることも、極めることも非常に難しい。
そんな「何者」かとは異なり、私たちは毎日ろくな勉強もせず、なあなあに生きている。気づけば1年があっという間に過ぎていった。
その中で理由の知れない不安感や焦燥感がじわじわと生まれてきたのは今に起こったことではない。
しかし最近になって、将来のために何かアクションを自ら起こさないといけない気持ちがよく出てきた
この「何者」かにならなきゃいけない衝動。相当めんどくさい。
この心の鉛が、去年に比べて驚くべき疲弊を生んでいるのは、自分でもはっきりとわかった。
去年は部活を引退し、大学入学前の春休みであり、ただ純粋に旅というものを楽しんでいた。もちろんこの頃にnoteなど書いてはいない。
そこで旅にはまり、ただ単純に楽しさを伝えたいがために始めたものだった。
しかしこの心の鉛は
noteを始めてから、旅の楽しさを伝えるだけでなく、
ライターとして活動するか、
アドセンスで広告収入を得るためにブログ解説してみるか、
就職で役に立つのか、
など多くの考えを持つように変えていったのも事実である。
良い変化でもあるが、悪い変化でもあった。
今年は大学一年の春。大学生活に慣れた所で約2か月の何もない時期がやってくる。
各々旅行に行ったり、毎日のように飲み歩いたり、働きづめの生活を送ったりと好きなことをして過ごしている。
夢に向かって行動したり、将来を見据えて動き始めてる人もいる。
そのようなほんの僅か一部の人たちに感化され、自分は「旅の意義」とはなにかを最近よく考えるようになった。
そう。
自分にとっての「何か」は「旅」であり、「何者」は「旅人」である。
このnoteを書き始めたきっかけは、旅の楽しさを伝えたいがためであった。
しかし将来的に旅を仕事にすることが難しい環境の中で、
自分はなんのために「旅」をしているのか
「旅」を口実にすることで将来のための勉強から目を背けているのではないか
この「旅」は将来どう生きてくるのか
など多数の考えを起こすことになった。
これが「何者かにならなきゃいけない」思いへと続いていくのだ。
正直に言うと、これらが常に頭をよぎり純粋に旅を楽しみ切れていないのだった。
焦燥感を生む要素とは何だろう。
大学生になり、この焦燥感を感じる人は少なくないはずである。
時間が多くあり、何でも好きなことを選んでできる時期だからこそ、何かをしていないと不安を生む。
なんならあと数年でいざ社会に出るってなった時に自分は4年間何もせず空白の期間であるわけにはいかない。
だと言っても何をすれば、何者になればいいのかもわからない。
明確な解決方法が見つからないこの不安と焦りは、承認欲求が関係している。
他人から見た自分の認識をはっきりとさせ、自分が満足するような認識になってほしいと人間は誰もが思う。
SNSが不安と焦りを加速させている。
自分のプロフィールを設定し、何秒かですぐに他人と繋がれる時代。
「何者」かとして他人に認識されたい、され続けたいという心の表れである。
SNSを多用する人ほど、この焦燥感は強いと思う。
自己のアイデンティティを確立するのも難しい(なんなら生まれてもない)のに、他人からの「何者」と認識されているのかを悩み、もがき苦しむ。
一方で他人は充実してるように見えてしまい、その結果自分を飾ってしまうのだ。
自分自身の能力は変えられないが、ネットワーク上ならいくらでも自分を偽ることは可能で、理想の自分を描きたくなるものだ。
20代前半はインスタグラムで複数アカウントをもって、1番のアカウントは着飾ってますよみたいな人は多いだろう。
そしてサブのアカウントでは全く映えてなんかいない日常を周りの目など気にせずに他者に伝える。
スマホの1つ奥の世界で華やかな自分が存在していても、そのスマホを持っている自分はネットワークに存在している自分とは全く別人なのだ。
その2つの自分の世界観が開いていけばいくほど大変なことになる。
ネットワーク内に限った虚像の自分の世界観だけがどんどんと広がっていくが、実像はそこに追いつくどころか差を縮めていくことすらできない。
ネットワーク上の人の繋がりと現実の人の繋がりのスピードを比べてみればどれだけそれが恐ろしいことか考えなくてもわかる。
そうしたら実像はどうすることもできず、ネットワーク上にだけ自分の心の安定を求めてしまってさらに虚像を大きく描いてしまうのである
そんな「何者かにならなきゃいけない」感情を他人に押し付けて解決するのは心にとって非常に良くない。今すぐやめるべきだ。
焦りを強く感じたらどうすればいいのか。焦りに身を任せて勢い任せで行動しても成功率は低いだろう。
あくまで解消法を見つけたほうが早い。
強い焦燥感と不安はどのようにしたら和らぐのか。
正解は
わかるわけがない自分はただの大学生である。
でもそんな自分がこのような焦燥感に襲われたときは、このようにしている。
本気で自分の好きなことをやる。
心から親しいと思える人と共に過ごす。
1つめは簡単。これをすればこのこと自体を意識外に置くことができる。
自分にとってはサッカーで、している最中は全てを忘れられるし、終わった後もなぜかすっきりする。
旅も好きだが、ゆったりとした時間が流れていて、感傷的になる瞬間が多いのでよく転がるかよくない方向に転がるかはその時次第だろう(笑)
2つ目は、定義が難しいだろう。
心から親しい人というよりか、等身大の実像を知っている人であろう。この2つがイコールで結ばれるかは100%そうであるとは言えないが、まあだいたい一緒だろう。
実像と虚像の違いを理解してくれて、着飾らずにいられるというのは思ったより自分の心を安心させるのである。
高校時代の部活仲間が自分ではそれにあたる。3年間毎日一緒に過ごしたのもあり、つまらない自分を認めてくれて何よりじぶんのことを理解してくれている。
彼らといるとき自分はたいしてしゃべらないしはしゃいだりしない(でも心の中では本当に楽しんでいる)し、彼らといるときも1人でプラプラどこかに行ったり、急にテンションあがってはしゃぎ出すこともあるが何をしても理解してくれている(と信じてる(笑))
そのような彼らと好きなサッカーを毎日できていた高校時代の自分は、「何者」かなんか考えることはなく純粋に人生を楽しんでいた。
最後に
少し自分語りが最後長くなってしまったが、もし同じような事で悩んでいる人がいたら、参考にしてくれたら嬉しい。
解決策というよりかは逃げではあるが、少しは何も考えず楽しく過ごす時間というのは大事だと思う。
自分の心が満たされているのが1番である。自分の人生なんだから。
他人からの目なんて一旦気にしないで自分の好きなことをしてみては?
他人なんてあなたが想像するより遥かにあなたのことなんて考えてませんから。大丈夫です。
自分も残された旅をとりあえず全力で楽しんで、帰ったら飽きるまでボールを蹴りに行ってきます。
なんてことを電車の中で考え続けた1日でした。
旅も残すは後2日。純粋に楽しんできます。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
ではまた。
shuto
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