一人は好きだけど独りは嫌い
このタイトルを見て読んでくれたという方は、きっと僕と同じで一人が好きなのだろう。
もしくは、一人が好きというタイプの人間を理解しようとしている心優しいかたなのかもしれない。まあなにかしらこのタイトルに惹かれて読みに来てくれているとして、話を進めていこうと思う。
今自分はひとり旅中の田舎の鉄道で移動してる中、この文を黙々と打っている。
noteを書き始めたおかげでブラインドタッチにも慣れてきた。
東北一周の初日を終え、事故無く予定通りのスケジュールを終えた。
旅先で出会った人とお話をすると大抵の人が、
「友達は?」
と聞いてくる。
「ひとり旅です」
このやり取りはもう恒例化している(笑)
今日はそんな ひとり について考えてみた。
タイトルにもあるように「一人」と「独り」。音は同じ。
意味もほとんど変わりがないように感じる。
でも自分は基本的に一人は好きだが、独りは嫌いだ。
ではその二つの言葉の中にどんな違いがあるのだろうか。
「一人」
一という数字が含まれている通り、単に人の数を表す意味が強い。
英語で表すと **one **であろう。
その中に個人の感情や雰囲気を醸すだけでなく、客観的にどこから見ても変わりようがない不変な状態であると言える。
「独り」
この言葉には「一人」にはない感情や雰囲気が感じ取られる。
英語で表すと、alone や lonely が適切だろう。
このような意味の他に、漢字の「独」には歳をとって子供がいない・結婚していない人という意味もある。
主観的な孤独感、悲壮感、疎外感が含まれている
独りにはネガティブな感情的なイメージが多い。
孤独感、悲壮感、疎外感は生きてくうえで経験すべき感情ではあるが、その感情が心を満たすと押し潰されそうになる。
もちろん「一人」と「独り」はセットである。
一人でいるときと大勢でいるときには言うまでもなく一人でいるときのほうが「独り」の感情が出てくる確率は高い。
しかもそれに加えて自分一人の頭の中で「独り」を加速させてしまうことも良くあるのではないか。
集団でいるときにも「独り」を感じることもあるが、感じる「独り」という感情は、職場環境や人間関係など外部的な要因で感じることがほとんどである。
簡単に言ってしまえば、感情が含まれてるかいないかの表現の差であろう。
なんとなくニュアンスではわかっているだろうが、はっきりわかりづらい人もいると思うので、自分の体験と照らし合わせて考えていく。
「独り旅」「一人旅」「ひとり旅」
どの表記が正しいというものはない。
自分は「ひとり旅」派である(笑)
その理由は最後まで読めば理解していただけると思う。
自分は大学1年でありながら、ひとり旅が好きである。
そのような友達は少なく、ひとりで行って楽しいの?寂しくないの?と聞いてくる人はとても多い。
そのような人たちはきっと、ひとり旅という言葉を勝手に脳内で「独り旅」と変換してしまっているのではないか。
誰もが、「ひとりで旅してくる」と聞くと、鼻で笑ったような反応をする。
しかしそう思っているの本当はこちらにとっては図星である。否定もしない。
常に隣に話を聞いてくれる、笑ってくれる人はいなく、まさに「一人」。
幾度となく仲間が欲しいと思うことはある。
一週間も経つとそれが当たり前になり慣れてくるが、ふとした時に隣に人がいないときはさすがに「独り」と感じる。
ではそれがあってまでなぜ一人で旅に出るのか。
その「独り」のマイナスの感情を遥かに超えるプラスの感情があるからだ。
一人が好きな人はきっと、音楽・写真・旅行・創作・芸術などの一人でできる趣味を持っているはず。
逆かもしれない、そのような趣味があるから一人が好きになるのだろうか。
人に邪魔されたくない。
人に気を使いたくない。
自分の思い通りに過ごしたい。
このような感情により、一人へと駆り出される。
ひとり旅で言えば、自分の好きな時間に行動でき、好きな場所に行ける。友達が遅刻とか寝坊で予定が潰れる、なども無く、良くも悪くもすべてが自分次第である。
その気楽さは「独り」の辛さを遥かに超えている。
先ほども述べたが、やはり至るところで独りを感じることはある。
しかしその「独り」でさえ楽しく感じるのがひとり旅の良い所だ。
都会の喧騒を抜け出し、自然の中に自分だけ置かれた環境に身を置く。
もちろん話し相手などいなくて、ただ一人で様々な感情をループさせる。
見知らぬ地で絶景を追い求め、
シャッターを切り、
全く知らない人と仲良くなり、
その土地を好きになる。
いま若者が使う「エモい」という感情が常にそばにあり、
それがまた、ひとり旅にどんどんはまって行く理由である。
その感情は渋谷で遊んだ帰りの夕焼けのエモさとは比べ物にならない。
「独り」を基本は感じたくはない。
しかしその瞬間は「独り」によって生み出される感情をプラスの意味で心に留める。
自然の中で感じるほどよい寂しさと物足りなさ。
これをしみじみと楽しむということだ。
またこの感情は依存性がある。
好きな音楽を口ずさみながら一人で帰る毎日が好きだという人もある意味「独り」の感情を何処かで欲しているのだろう。
音楽が好きな人はその感情を歌にし、写真家はそれを1枚の写真で表し、芸術家は絵や彫刻としてそれを楽しむ。
タイトルに独りは嫌いと書きましたが、日常で感じる「独り(ぼっち)」の感覚とひとり旅の時の独りの感覚には明らかに違いがある。
後者の感覚おいては、一人が好きな人はきっと好きだと思う。
ひとり旅は、一人で好きなように行動し、独りの感情を上手く感じながら、旅をしていく。
「独り」というネガティブな感情を自分のバイアス下においてどれだけうまくコントロールできるかが一人を好きでいるためには大事ではないのだろうか。
ものすごく話が旅に寄って行っちゃいましたが、
「一人」と「独り」について共感を持ってくれた方や、
いや自分はこういう考えだなという方がいると思います。
もしこのnoteを読んで一人で何か始めてみたり、自分みたいにひとり旅をしてみようと思った方がいたら嬉しいです。
もしそしたらnoteを書いてほしいですね、絶対にすぐ読みに行きます(笑)
一人で何かをするのが好きという方。
「独り」という感情とうまく付き合いながら「一人」を楽しんでいきましょう。
一人でまだ何かをしたことがない方。一人がなんか一匹狼感があったり周りの目があって行動ができない方、是非一人で何かをしてみてください。
何か考え方が変わるかもしれませんよ。
ps. 散々一人と独りについて書いてきましたが、
みんなでわいわいするのももちろん好きです(笑)
人といるのが苦痛だとか、大勢だと楽しくないとかそういう風には全く思っていません。
これに関しては一人が好きな人でも9割は当てはまることだ思います。
今回はいつもの旅記録とは異なり、自分の主観的な気持ちを書かせてもらいました。
大学の授業が始まったら旅に出れなくなりこのようなnoteが増えていくかと思いますが、もしよければまた読みに来てくださいね。
では東北一周、頑張ってきます。
みなさんも体に気を付けて春休みをお過ごしください。
いいなと思ったらスキ、フォロー待ってます。
ではまた
shuto
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