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チリに行く!⑥帰国編 #33

チリは南北に長細い国で、北は赤道付近から南は南極まであり、さまざまな気候がある。

私が生活していた、サンティアゴという街は地中海性気候といって、雨があまり降らないとても乾燥してイル気候なので、夏でも家の中や日陰はとても涼しく、クーラーのいらないところでした。ただ、日中はプールや海に入って遊べても夜は長袖を着ていないと寒いという、とても昼夜の温暖さの激しい気候でした。

私は、そのせいもあり、常に朝晩くしゃみが出たり鼻が詰まっている状態で、そこから喉が腫れたりするなどで熱を出すなど、体調を整えるのに苦しみました。また、芝に入るとくしゃみがひどくなり、芝の上に座ったりすると芝に触れたところが痒くいなるなど、サッカーしに行ったのに何故か芝生アレルギーのようになるという、非常に笑えない状況となってしまいました。

いくつもの病院を周り見てもらいましたが、原因はわからず、最後にはおそらくこの地域にある1番大きな病院へ行って、おもちゃかと思うほどの大きな注射を打たれましたが、全く改善されることもなく日々が過ぎました。

そして一年近くになった時、日本へ帰ることを決めました。

体調が良くなく精神的にも疲弊していたのと、自分の将来を考えてこのままここにいていいのかという思いとなり決断しました。今思えば弱気な決断だったのかなとも思います。今、もしその時の自分に声をかけれるとすれば、「もう少し粘ってみろ!」と言いたい気持ちがあります。サッカー選手としても、それ以外の人生のためにも、もう数年いることができれば「もっと違う未来が待っていたのかな?」と思う自分もいます。

そんな想いで、日本へ帰ったきたのですが、帰って来た時、まずはじめに思ったのは、“夢から覚めたような感覚”でした。何もかも違う世界から現実に戻ってきたような感覚は今も忘れません。当時はそれくらい、違ったような感覚でした。

帰国後は、何かといろんなものの見方が変わったような感覚でした。もちろん、比較し過ぎていたのかもしれませんし、少し大袈裟に考えていた自分もいたと思います。しかし、当時の自分はそのギャップを見つけては何かと深く考え、自分なりの答えを見つけていたことをよくやっていたような気がします。

特にサッカーに関しては、いろんなギャップを感じました。

その後もプレーは続きましたが、色々とぬるく全く違う感性でプレーしなければいけない感じがして、プレーする興味が薄れていった自分もいたと思います。

またその時に、私の恩師から指導者のお話をいただいたことから、サッカーの指導者の道が始まりました。そこから約27年指導者として、いい思いも大変な思いをさせていただきましたが、私の中の全てと言っていいほど多くをサッカーから学ぶことができました。今は、サッカーから離れてはいますが、またいつか未来ある子供たちのための環境を作れるような力をつけていきたいと考えています。

そのように考えられるのも、あの時代に決して長くはないけれど、日本から離れて外の世界を見れたからだと思っています。

長くなりましたが、私の『チリに行く!』はここまでとさせて頂きます。


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BBQクリエイター 森島周太郎
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