LUNATIC SUMMER TALE ~水樹奈々ライブに初めて行くまでの話~
※前編は若干センシティブ描写ありの自分語りなので、そういうの苦手な方は後半から読んでね
前編
夏を憎んで生きてきました。
自分には、夏という季節が、この上なくしんどいのです。
自分は両親が教師の家庭に生まれましたので、それなりに豊かで、教育にもそれなりに力を入れて育てられました。
両親は口酸っぱく「勉強しろ」と言ってきました。しかし、自分には勉強の面白さが、これっぽっちもわかりませんでした。勉強の面白さがわからない子供にとって、勉強するモチベイションは、大人から褒めてもらえることでしたが、自分がテストで満点を取っても、褒めてもらえたことは一度もありませんでした。
成績が悪いと、怒号とビンタくらいは当たり前のようにとんできました。それでも自分が反省していないとみると、竹刀で顔を血が出るほど叩かれたり、ご飯を与えられなかったり、家から閉め出されたりしました。2度目の閉め出しをされた時は、そのまま靴も履かずに友達の家に遊びにいきました。
その後は今まで以上にこっぴどく怒られました。3度目の閉め出しをされた時は、家ごと燃やしてやろうか、本気でそう思いました。
そんな自分にとって、夏休みは大変憂鬱でした。勉強のモチベイションが低い自分の成績は、当然ながら良いものではありませんでした。夏休み前に配られる成績表を親に見せると、決まって「なぜこんなに成績が低いんだ」と怒られました。教師のくせにそんなこともわからないのか、と呆れてしまいました。それが顔に出て、余計に怒られ、殴られました。
学校の授業がある日は学校へ行き、授業を聞いていれば一日が終わるのですが(思えばこの頃から既に人生を"やり過ごす"ことを考えるようになっていました)、夏休みはそうはいきません。夏休みは、朝から、親が買ってきたやけに難しい問題集をやらされるのでした。
その問題集を解いて、満点をとれば、午後は友達の家に遊びにいけたのですが、出来が悪いと午後もそれをやり続けなければなりませんでした。問題集が進むにつれて問題が難しくなり、一問も正解ができないペイジもありました。そんなときは、やはり、何発か拳が飛んできました。
午後も問題集をやらなくてはならない日が続き、友達の家に遊びにいくことはだんだんできなくなりました。それによって、友達から仲間外れにされることも多くなりました。家の中も、外も、敵ばかりな気がしてきました。
たまに親が出かける日があるので、その時は録画していたアニメをこっそり観ていました。アニメの中では、主人公が仲間達とファンタスティックな一夏の大冒険をしています。アニメ自体は面白いのですが、観終わって現実に戻ると、それはもう文字通りに、無限大な夢のあとの何も無い世の中でした。
こうして、自分はどんどん夏を憎むようになりました。"家にいることが憂鬱"、この感情は夏休みという一ヶ月半の時間をかけて、真綿で首を絞めるように、精神を蝕んでいくのでした。この感情は決して子供が実感してはいけない感情でした。子供には受け止めきれない感情でした。夏は、夏休みは、子供の自分にそれを否応なく実感させる、無慈悲な季節でした。
自分が中学生になりましたら、親からの暴力は無くなりましたが(単純に物理的に勝てない相手に暴力を振るわなくなっただけの話でしょう)、代わりにご飯を与えない等の経済的な制裁が増えました。おかげで、親の財布から、金を抜くことに、一切の罪悪感を覚えなくなりました。それで親が金に困ったことがあるのかはわかりません。そんなことは、心底どうでもよかったのです。
中学三年の頃には、すっかり無気力になっていました。そんな自分でも、塾に缶詰にされていたので、進学校(笑)くらいの高校には進学できました。
人生で初めての受験を終え、暫くはのんびりと過ごせると思いましたが、高校では今まで以上の勉強量を強いられました。受験勉強をしている(というよりは"させられている")とき、大人たちは決まって「今たくさん勉強しておけば後で楽だから」と言ってきました。薄々気が付いてはいましたが、やはり嘘でした。全てが馬鹿馬鹿しく思えてきました。これからも「今頑張れば後で楽だから」と言われ続けて、一生その"楽"は来ないのだろうと感じました。
こうして自分は、口癖が「早く死にたい」になっていました。当時、どれほど本気で死にたいと思っていたかは忘れましたが、「死にたい」という言葉が口に出るということが全てなのです。信じていた人に裏切られた人が口にする「死にたい」も、全財産を失った人が言う「死にたい」も、ペヤングの湯切りに失敗した人が呟く「死にたい」も、同じなのです。全ての「死にたい」は等しく「死にたい」なのです。
高校のクラスメイトからは「親不孝者」や「死にたがりの厨二病」、「無気力スカし野郎」などと言われました。どれも間違っていないので反論はしませんでした。定期試験では常に赤点ギリギリでした。赤点だと再試になるので、赤点にならない程度の勉強だけをしていました。
そんな自分は、やはり、友達はあまりできませんでした。しかし、アフロ丸刈り君(@marugaries)は「君おもしろいね」と言って、仲良くしてくれました。彼は成績優秀で、見てくれもシュッとしており、初めのうちは、なぜ彼が自分なんかと仲良くしてくれるのかわかりませんでした。
自分が「早く死にたい」と言っても、彼は「あ、そう」と否定も肯定もせず、淡々と、美味しいラァメン屋の話や、野球の話をするのでした。(後々わかったことですが、彼の家族も、うちとはまた別の異常さがありました。そのため「家に帰りたくない」等の自分の愚痴を理解できたのかもしれません。)
高校3年の夏前、クラスメイトが大学受験対策に本気になる頃、自分は相変わらず無気力でした。行きたい大学も、やりたい仕事もありませんでした。しかし、高卒で自分がまともな職に就ける気がしませんでした。逃げるように進学を選び、ただ、親と進学校(笑)の教師達に言われる通りに、受験勉強をやってるフリだけしていました。
夏と受験が近づき、どうしようもない怒りと無力感が湧いてきは自分は、口癖になっていた「早く死にたい」を呟きました。すると、一緒にいたアフロ丸刈り君がこんなことを言いました。
「死ぬ前に水樹奈々のライブ行った方が良いよ。水樹奈々のライブ行かずに死ぬなんて馬鹿だよ」
彼の顔を見ました。冗談を言ってるようには見えませんでした。自分は「そうなの?」と間抜けな声で聞き返しました。彼は「うん、チケット取っておくから」と言って、ライブの日時や場所を話し始めました。
後編
ライブは夏休みの最初の日曜日でした。受験生なのだから夏休みは毎日勉強するものだと思い込んでいた親が、煩いこと言ってきましたが、二回ほど受け流したら何も言ってこなくなりました。自分のあまりの無気力ぶりを見て、何を言っても無駄だと思い始めていたのかもしれません。実際に無駄でした。
ライブ会場には始発で向かいました。アフロ丸刈り君が限定のライブTシャツを買いたいとのことで、物販に並ぶためにできる限り早く行きたいとのことでした。えらく気合が入っているなと思いました。自分は早起きは苦手ですが、家族と顔を合わせずに家を出られるなら好都合だと思い、始発での出発を了承しました。
ライブ会場に着くと、すでに物販待機列は長蛇の列となっていました。こんな暑い日の朝からよくやるもんだ、と関心しました。
並んでいる間、周りの人たちを観察していました。こんな朝早くからライブ会場の物販に並びに来る人は、皆アフロ丸刈り君のような活気に満ちた人間ばかりだと思っていましたが、どうやら、そうでもないようです。自分と同じくらい、いや、自分以上に、無気力そうな、胡乱な目をした人もたくさんいました。
彼らのことを想像しました。大変な仕事しているのだろうか。難しい勉強をしているのだろうか。職場や学校、家庭、あるいは他の居場所でも人間関係に悩まされているのだろうか。自分よりも酷い目に遭っているのではないか。そんな彼らは、今日のライブを心から楽しむことはできるのだろうか……と。
そんなことを考えているうちに物販の待機列が進み、自分はTシャツとタオルとキーリングを購入しました。アフロ丸刈り君も欲しいものを買えたようで、上機嫌でした。
開演時間が近づき、会場に入り自分の席に着きました。開演直前にも周りの人を観察しましたが、この時間になっても、やはり自分のような、胡乱な目をした人もけっこういました。彼らは皆、猫背になってパイプ椅子に腰掛けています。まるで、自分の背中のカーボンコピーみたいでした。そんな中、会場の照明が落ち、ライブが始まりました。
その瞬間、皆が立ち上がり、ペンライトを振り、コールを叫び、跳んでいました。さっきまで、猫背に座って、胡乱な目をしていた人が。それは、自分も同様でした。
ライブDVDを観て、ある程度ライブの雰囲気は知っていましたが、やはり生のライブの迫力は想像以上でした。それは水樹奈々の歌声も、バックバンドの演奏も、ステージの演出も、そうでした。そんなライブを見ながら、自分は今まで感じたことの無い感覚になりました。
自分はライブを「現実を忘れさせてくれる、現実から逃避させてくれるもの」だと思っていました。しかし、水樹奈々のライブには、はっきりとした現実感がありました。自分はライブ中も、夏の憂鬱を忘れることはありませんでした。夏の憂鬱を忘れずに、それでも、ペンライトを振り、コールを叫び、跳ぶことが出来ました。
自分は楽しいことをしている時は、意識的に嫌なことを思い出さないようにしてきました。多くの人は、楽しい時間に嫌なことなど思い出さないようですが、自分は意識的にそうしていなければ、どんなに楽しい時間でも、嫌なことが頭の中を侵食するのでした。
そんな自分が、水樹奈々のライブ中は、意識的に嫌なことをシャットアウトしていないこと、する必要が無いことに気がつきました。意識的に嫌なことをシャットアウトせずに何かを楽しめる時間は、物心がついてからは初めてでした。
それは、「楽しい時間だから嫌なことを思い出さない」というわけではなく、「嫌なことを思い出したとしても、楽しくいられる」という不思議な感覚でした。
なんとなく、さっきまで自分と同じように、胡乱な目をして猫背に座っていた人たちも、同じような感覚なのではないかと感じました。水樹奈々のライブ中の彼らは、間違いなく楽しんでいて、しかし、自身の憂い事から逃避している目はしていませんでした。自分はそれが何故か少し、嬉しかったのです。
ライブの帰り際、アフロ丸刈り君に
「また水樹奈々のライブに行きたい」
と言いました。
彼はちょっと意地悪な顔で
「早く死にたいんじゃなかったの?」
と言い返してきました。
自分はちょっとおどけて、こう言いました。
「次の水樹奈々ライブまでは生きることにした」
完
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