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10月第1週:『盗作』の受け取り方


入れものがない両手で受ける

尾崎放哉


誰も、何も言わなかった。
その場にいる誰もが、ただ、ステージ見つめて拍手していた。

その拍手は決して大きなものではなかった。

だが、その拍手が形式的なものではなく、祈るように、この時間が終わることを惜しむように、何かが込められた拍手であることは、その場にいる全員がわかっていた。

「以上を持ちまして、本日の公演は全て終了となります」

無機質なアナウンスが流れ、拍手は鳴り止んだ。

現実に戻った観客達の「感想第一声」で会場はザワザワしだす。多くの人がステージの大型ディスプレイに映されたイチリンソウの絵にスマホのカメラを向ける。私はそのイチリンソウをぼうっと眺めていた。

連番者のあまがいが
「ファンクラブ会員の特典を貰ってから行きたい」
と言ったので、私は
「うん、わかった」
と言った。

あまがいがファンクラブ会員特典を貰ってから会場をあとにする。私たちはほぼ無言で歩いていた。

あまがいは大学の同期で、卒業後も定期的に会っている数少ない友人の一人だ。彼と一緒にいるときはいつもくだらない話をゲラゲラとする。だが、今日は、この時間は、彼も、私も、ほとんど言葉を発さなかった。

「どこでご飯にする?この辺で行きたい店ある?」

「いや、特には」

「じゃあ、夜遅くまで開いてる店が多い新宿三丁目で食べよう」

そうして私たちは地下鉄に乗った。

地下鉄に乗ってようやく現実感を取り戻してきた私たちは、いつものようにくだらない会話をした。ライブの感想ではなく。それは新宿三丁目の飲み屋でも同様だった。

帰り際、あまがいが
ライブの感想を何も話していないな
と苦笑いしながら言った。

私は曖昧な返事をして、彼と同じように苦笑いをした。

おそらく彼も、私も、ヨルシカのライブ「盗作」という作品を受け止め切れていなかった。この作品を、作品として受け止められるだけの入れ物を持っていなかった。

ライブの感想を語るには、ある程度、ライブを俯瞰で見られるだけの器が必要になる。ライブを楽しむためには「ライブに夢中になる」方が良いだろう。しかし、感想を語るには、その「夢中になった状態」をいったん器に収め、それを外から見なくてはならない。

「あの時のあの歌、あの演出が良かった」と言えるのは、良かったと感じている自分を外から見ることができている状態なのだ。

私はヨルシカのライブ「盗作」で、それが出来なかった。多分、あまがいも。

だからライブ後の食事ですら感想を語らなかった。

彼も、私も、それで良かった。

――――

10月1日
東京国際フォーラム Aホール
ヨルシカ LIVE TOUR 2021 「盗作」



◆今週の一曲
盗作
ヨルシカ


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