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「そうでないもの」を持つ準備(2024年目標)

「責任と責任感の違いがわかるかい?」(中略)
「押しつけられたものか 、そうでないかの違いだ」

森博嗣『冷たい密室と博士たち』より

明けました。明けてから随分と経ったかもしれません。

相変わらず誕生日を非公開にしているので(そういうアホみたいな拘りがガキっぽいことは自覚している)、「◯月◯日で何歳になりました」みたいな報告はしてないんだけど、2024年中に30歳になることを報告しておく。

「30歳!節目の歳!大人になろう!」などと俺は一ミリも思わない。30という数字がキリが良いように感じるのは、我々人間が普段は10進数を使っているからにすぎない。2進数であれば11110だし、16進数であれば1Eであり、とくに美しい数字でもない。

個人的に人生で節目となりえる年齢は(日本人であれば)32歳だと思っている。義務教育が16年である日本において32歳という年齢は、義務教育を終えてから16年経った歳になる。つまり、義務教育の年月ぶんの"義務教育ではない年月"を過ごしたことになるのが32歳である。

義務教育期間中の人間は本当に無力だ。全てのものが家族、または用意される環境に依存するといっていい。それがどんなに酷い環境であろうとそこから抜け出せない。そこから抜け出すには金がかかる。しかし、義務教育期間中はそもそも労働ができない。金が得られないのだ。(法律上はね)

義務教育期間を終え、ようやく合法的に金を得る手段が与えられる。ここからようやく「自分で選択する人生」が始まる。様々な要因で完全に「自分で選択する人生」を手に入れるのは至難の業だろう。だけど、あくまで、法律上は労働して金を得られるのだ。俺はそれを「自分で選択する人生」だと思いたい。法律的には全てが自分次第となるのだから。(結婚とかの例外はあるけど)

そして20歳になると成人式とかで「成人したのだから社会的に責任を持って生きなさい」みたいなことを言われたりするわけだ。まだ「自分で選択する人生」を始めて4年しか経っていないのに。どうやってその責任を持たなければならない成人年齢とやらを決めたんだろう。多分「20歳という節目だから」って、10進数狂信者がなんとなく決めたんだろうな。

そうやって我々日本人は20歳で社会的責任を押し付けられる。まあこれは仕方のないことだ。責任はいつだって一方的に押し付けられる。20歳以降はその「押し付けられた責任」を持って生きることになる。

俺はその「押し付けられた責任」を全く貴いとは思わない。 だって押し付けられたものだもん。俺が貴いと思うのは「そうでないもの」だ。自らの意思で持つもの。それをしっかりと持つためには、人生全体のうち「自分で選択する人生」のほうが長くなるまで時間をかけて良いと思っている。あと2年、しっかりそれを持つ準備をしたい。それは俺の意思で持つものなので。




というわけで、2024年の目標です。30歳になるのだから頑張ってなんかデカいことしちゃう?!?!とかいう10進数狂信者みたいなことはしません。焦らず行きます。

  • 引っ越しする(狭い)

  • 家のカレンダーを毎月ちゃんとめくる(まだ去年の12月になっている)

  • 歯医者、美容院、脱毛等の予約したのを忘れてすっぽかさない(まじで)

  • 月一以上の頻度でnoteを書く(既に2月になっているというのにこれが今年初note)


今年もよろしくお願いいたします。

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