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7月第3週:電卓があっても九九は覚えろ

辛いっす。

というのも、僕はIT系の仕事をしているんですけどね。最近は顧客向けにあるシステムの構築をポチポチやってたわけですよ。顧客の要求に応えるために、いろんなソリューションを組み合わせて作って、「やったー!できた!」ってなってたわけです。

そしたら今週、某ソフトウェア会社があるサービスを発表したんですよ。そのサービスが、僕が顧客向けに頑張って作ったシステムを「誰でもすぐにサブスクリプション形式で使えるよ!」みたいなサービスでした。

顧客からしたら、僕が頑張って作ったシステムよりも「某社のサービス使ったほうが早くね?」ってなったわけです。プロジェクトとしてもそっちのサービスに切り替えるか検討してます。

ITとかよう分らんっていう人に説明すると、
お客さんに「TSUTAYAみたいな店やってくれ」と言われたので、DVDやらCDやらを集めてオチオチやってたらNetflixとSpotifyのサービスが始まった。
みたいな話です。

じゃあ、僕がやったことが全て無駄だったかというと、そうではないと思うんですね。これは感覚の話なんですけど、電卓があっても九九は覚えといた方が良いみたいな話です。

高校のころ、僕は虚無を送っていたんです。定期試験では毎回のようにクラス最下位とか取っていました。高校から仲良くしてくれてるアフロ丸刈り君(@marugaries)って方がいまして、アフロ丸刈り君は常に成績上位だったんですね。

ある日アフロ丸刈り君に「なんでそんなに勉強頑張れるの?こんなものや社会に出て何も役に立たないじゃんよ」みたいなことを聞いてみたんですよ。

そしたら「シュタ君はこの感覚わかるかなー?全てレベルUPなのだよ。勉強している内容が大事なわけじゃなく、勉強することが大事」と言われました。

当時の僕はその感覚が全くわからなかったんですけど、最近ちょっとわかるようになりました。

今回の件も「役に立たないから無駄だった」と、切り捨てるのはもったいないと思うんです。こういうのも積み重ねてレベルUPにつなげていくことができればなと思うわけです。

学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。
ーー太宰治『正義と微笑』

やっていきましょう。

◆今週の一曲
Progress
kokua

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