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文章の役割に関して定期的に考えてみる。20241012追記

文章ってなんのためにあるのかなって考えることが多くて、なかなか明確な答えを見つけられないでいたところ、幸いなことになんとなくそれが見つかったので今回シェアします。

もちろん偶然ではありません。私はかれこれ5年近く個人ブロガーとして活動しており、この文章という科目に関して考えることがよくあります。

今後文章に関する情報をインプットしたり、アウトプットしたりする工程の中でこの問題に関しては定期的に追記していくつもりです。

私がこの文章に関して熱心に情報発信しているブログがこちら。

また上のブログでは「文章の目的」という、少し今回のテーマとニアリーな記事も書いているので、ある人は参考にしてみてください。

さて問題の答えを導き出したい、その答えを導き出すためにはひたすらその事柄についてとその周辺の情報を題材にして考え抜く以外方法はないことを改めて知りました。

いわゆる「文章脳」にしていくんですね。文章とは何か、文章の役割とは何か、今後の文章のあり方は?そういったことをあえて考えるようにすること。

しかしまたなぜそのようなことを考えるのかというと、

  • 文章で稼げなくなるのが嫌だから

  • 将来文章で稼げなくなるのか不安だから

  • 現状の収益をもっと上げられるのではないか

といった要するに根本にお金の問題があるからなんです。

やっぱりお金欲しいじゃないですか。

それでは文章とは何か、文章の役割とは何か、今後の文章のあり方とは?を明らかにすることがなぜ今の私の収益に関連するのかというと、文章があるところには同時にお金の発生も存在しうるからだと思っているんです。

文章とお金は非常に密接な関係だからなんですね。

例えば今日の我々のインターネット上での消費活動というのは、それが商品であれば商品のレビューを参考にしますし、映画や音楽といったその他サービスであれば、他の人が回答した口コミを確認しに行くはずです。

そしてそこで自分自身が購入してみたいなと思えた時に、商品の売買が行われます。つまりお金が発生しているんですね。

インターネット上がわかりやすいのでさらに例にして考えてみると、例えば気になるインフルエンサーがいたとして、そのインフルエンサーの声が鶴の一声となって、そのインフルエンサーが使っている商品を購入してしまったなんて経験も皆さん結構あるはずです。

簡単に言えば文章で感動させられらたんですね。

人を感動させること、それこそ文章の役割であり、その感動があれば人間はその文章に何百万もお金を払う仕組みになっているんです。

なので文章を書く上ではこの感動が一つのキーポイントとなり、この感動を誘うことこそ文章の役割なのではと考えているんですね。

しかし読者にその感動をさせるというのがこれまた難しいんです。例えばその商品やサービスについてただ単に知識が豊富にあれば、読者を感動させるでしょうか?

違いますね。文章は知識があればいいというわけではないんです。

文章における感動させる何か。これが何かを見つけるために、私はより根本的な部分、そう文章の役割について考えてみようと思ったわけです。

話が前後してしまい恐縮なのですが、例えばどんな道具にも役割というものがあります。目薬であれば人の目の疲れを癒すこと。また充電器であればPCの充電バッテリーを増やすこと。こういったことが個々の役割としてちゃんとあります。そしてそれを的確に用いることでその道具の効果を最大限に引き上げることができます。

文章も所詮は道具なので、仮にその道具であれば役割があるはずですが、それが何なのかわからない。もしそれが明らかになった時、文章の最大の魅力に到達できるはずだと思ったのです。

その暁には例えば人を感動させ、その文章を通して購入をさせたりだったり、逆にあえて憤らせるといったことも可能になるかもしれません。この文章の最大の力というものが未だ私にはわかりませんが、おそらくとんでもない見返りがあるのではないかと考えているんですね。

何にせよ、どの道具においてもその役割をきちんと明らかにすることで、その道具の効果を最大限に引き上げることができる。またそれを知っているのと知らないのとでは、我々の生活の豊かさも180度変わってくると思うんですね。

文章においても同じで、文章の役割。これを抑えておけば、商品レビューで誰かを感動させることも、あなたの口コミをきっかけに誰かがそのサービスを購入してくれたりできるようになるはずです。その効果は計り知れません。

またどんな文章を書くにおいてもそれが道標となり、目的を持って毎回スラスラ書けるようにもなるのではないでしょうか。

少し漠然としたテーマですが、文章の役割とは何か?ここから少し考えてみたいと思います。

とあるTV番組がきっかけで知った1つの文章の役割


先日の世界仰天ニュース、そこではかつて甚大な被害をもたらした日航ジャンボ機墜落の話を扱っておりました。

こんな個人ブログでは簡単には取り上げるべき問題ではなく、事件が起きてから月日が経った今となってもご遺族の方々の悲しみは想像を絶するものでしょう。

しかし文章の目的に関してこの拙いブログでも言及することで、もしかしたらこのブログを読んだ誰かの人生にちょっとした光が差し込むかもしれない。そのためであればナイーブな話題も取り上げるべきだと思ってご紹介させていただきます。

さて仰天ニュースといえば、その実際の事件を想像させやすくするために、今は亡き人でも契約タレントさんに演じさえ、より再現性を強くして、ドラマ調に演出する番組です。

今回の話においても同じで、今回の日航ジャンボ機の事件に際してとある方にスポットをあて、ドラマ調に仕上げられておりました。

そのかたは仕事で出張していて、帰路に着く最中だった。少しでも早く家族に会いたい。幸運なことに目当ての飛行機にキャンセルが出たため、たまたま乗ることができた。

これで家族に会うことができる。その思いで乗った飛行機。

しかし不運にもその飛行機が急降下を始めてしまう。こんなはずではなかった。被害者の当時の思いは仮に想像することもできませんので、ここまでといたします。おそらく無念で仕方なかったはずです。それからご本人はもうダメだと悟るんですね。

そこで近くにあったペンと紙切れをとっさに持ち、その急降下の中、視界もままならない中、会いたかった家族に、また会うことのできたはずの家族にメッセージを残すんですね。そのメッセージがあとから見つかりました。

そこには、

愛する息子へ、ママのことをよろしく、俺の人生は幸せだった

とこう書かれていたんです。

今回文章の目的についてお伝えしているわけですが、まさにこれだと思ったんですね。

日本の歴史にも名を残すほどの今回の事件。この凄惨な事故について恐れ多くも取り上げさせていただき、これだけかよ!と思われた方も中にはいたかもしれません。

しかし私にとってこれはとてもありがたい、感謝の発見となったのです。

文章は人生が終わるもうじき終わるとわかっていても書くものだということなんです。

愛する人を自分がいなくなっても悲しませないよう、愛するひとがこれからも力強く生きていけるよう、なんとか自分の思いを届けたい、その思いで書くのが本当の文章のあり方なのです。

それを読んだ人はそれを糧に生きていける。

このように本当の文章というのは人の命そのものになるんです。人の命を救うんです。人の支えとなるんです。これが本来の文章の目的であると本当に思ったわけなんですね。

大袈裟にも文章の役割だの目的だの大旗をふり掲げた割に、その程度かと失望される人も中にはいるかもしれない。

しかし私にとって、これまでずっと喉の奥に引っかかっていた魚の骨が取れたかのような、そんな清々しさを今回の仰天ニュースを通して体験したんですね。

常に文章について頭を捻らせている私ですが、ここまであっさりとほぞ落ちができたのは珍しいです。

そんな大切なことを私は今回の仰天ニュース、もとより日本史に名を残すほどの凄惨な事件を通して教わったんです。

それはとても綺麗な字とは言えませんでした。とても読めたものではない。それもそのはず、急降下している飛行機の中で書かれたものなのですから。しかし同時に本来の文章には字の上手い下手は関係ないことがわかる。

愛するもののために書く、これが本来の文章です。そして文章は最後に「俺は自幸せだった」と、その文章で人生を締めくくくれるように我々は文章を書くものかもしれない。

さて今回はこの程度で。今後もこの文章の役割に関して新しい発見があれば追記していくようにしますね!


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