ロマンポルノ無能助監督日記・第28回[中原俊監督デビュー『犯され志願』脚本直して『聖子の太股ザ・チアガール』脚本書いて大失恋]
81年末に小原宏裕監督『ズームアップ聖子の太股』(公開は82/2/26 )の脚本を書いてセカンドに就いたり、評判は良く無いが “エロビデオプロジェクト”でも1本撮ったり、TVアニメの脚本書いたりもしているということで、社内では26歳の、ちょっと目立つ助監督になっていたはずで、それもこれも発端は城戸賞最終選考まで残って「落ちた」のが“勲章”のように作用したみたいだ。
中原俊弘さんは、那須さんと同じ2期先輩4歳年長の優秀助監督として評判高かったが、その中原さん30歳の監督デビュー作『犯され志願』の脚本直しに呼ばれた。
82年の2月だ。
中原さんは、完成した映画には「中原俊」のクレジットになっていて、僕はそれを見て「なに気取ってんだよ〜」と思ったが、ロマンポルノに本名が出ることを家族と地元に気を使ったらしい。鹿児島ラサール→東大のエリートだし。
ただ、“俊”というカオじゃないだろ、と・・やっぱり「としひろ」じゃないすか?
中原さんは、“東大逆コンプレックス”とでも言うか、「東大ですいません」というオーラを放っていて、全く面白く無い冗談の末尾から自分でケタケタ笑うことでコミニュケーションをとっているので、人当たりは良いけど、隙が無い。相好を崩しても、眼鏡の奥の目は笑ってない。撮影のダンドリ考えるのが楽しくて好きだと言っていた。(僕は今でも好きじゃない)
『遠雷』のチーフ助監督をやっている。
日活撮影所から多摩川沿いに大映方面に歩いたら1時間かかる「たてべ旅館」に、2/9,10,11と泊まり込み、毎日、午前中は中原さんとの打ち合わせと指示があり、一緒に書けるところは書いて、午後は、中原さんが準備でいなくなるので一人で書いて、最後の日は徹夜した。
非常に的確な指示で、やりやすく、ストレスの少ない仕事だった。
今まで書き忘れていたが、この頃は、鉛筆書き。電気炬燵で2Bで書いていた。
一度、主演の有明祥子が中原さんとやって来て、炬燵に入り、どんなふうに演じたいかを喋った言葉を参考にして、セリフを書いた。
野生的な長い髪の美人で、頭の回転が早かった。
東映の『天使の欲望』でデビュー、84年まで活動している。
僕のクレジットは無い。そういう約束では無かったし、手当ても貰ってないが、文句も無く、それが普通だと思っていた。社員だから。
クレジットされている三井優の元ホンは跡形も残って無いと思うが、僕の書いたものを、中原さんは更に現場で直しているから、「ここは自分が書いたんだ」と言える箇所は思い当たらない。
つい一昨日、映画大学で中原さんに聞いたら、プロデューサーの秋山みよさんが旅館に来て「ああしてこうして」と言ったのを中原さんは良く聞いて頷き、秋山さんが帰った後、僕が「そんなにプロデューサーの言うことばっかり聞いていいんですか?」と言っていたそうだが、それはすっかり忘れていた。言われてみれば、そうだったか、と薄ら思い出した。
キネ旬の「読者の映画評」投稿者から映画評論家になった寺脇研さん(この時期は文部省官僚)は、中原さんとはラサール時代の映研で出会い、学生当時は「感じの悪い奴だ」と嫌っていたので、どんな映画になってるのだろうと思って『犯され志願』を見たら面白くて感動して、その年のベストワンに選んだと、寺脇さん本人から何度も聞いた。日活に入ったことは以前から知っていたから、俊弘が俊になっても当人だと分かっていた、という。
僕はシナリオを渡してからは、現場にも就かず、撮影所初号以来39年見直して無かったが、記憶では、悪く無いが、それほど良いとも思えず、だが、どこが良いとも悪いとも指摘出来ず、スマートな雰囲気は確かにあったが、自分が何を書いたかは忘れたし、やたらに時計が出て来た。
目覚まし時計が何個も。
中原さんも「時計の映画にしたい」と言っていた。
というのを確認しようとAmazonで39年ぶりに見たら、結構面白かったし、エロかった・・・というのは、女が「セックスしたい」と思いたち、女の側からセックスしてゆく過程が丁寧に描かれているからだ。
当時は、那須さんと「時計なんか、映画的じゃないだろ」と言って、これはダメだ、と断定していた。
「動かない時計をアップで撮ったって、しゃーねーじゃん」
と、アクション映画志向の那須さんは笑って言った。
インテリアデザイナー24歳の捻子(有明祥子)は、飲み屋に入り浸って、ベロベロに酔っ払って男(小池雄介)を部屋に連れ込むが、二人とも酔い潰れてしまい、男は翌朝、飛行機の時間に遅れる!と焦って出てゆく。
後に、この男=鈴木は時計を海外土産に持って現れる。
発注先のますみ(風祭ゆき)の愛人の氏田(宇南山宏)は父親くらい年長だが、車に乗せてもらって左折の瞬間、危うく大事故になりかけ(カースタント)、命の危険を共有した勢いでホッとしたら「めし食おうか」となり、そのまま郊外の料亭でご馳走になり、酒を酌み交わすうちにムラっとなり、その料亭で大人のセックスを堪能する。
このムラっとする瞬間の描写が見事かな。若い時、それ見ても、分からなかったろう。女の子が、ムラっとするもんだ、というのを知らないので。
だが、後からこの氏田は詐欺師で、ますみからマンションの頭金400万を盗んで消えた、と聞いて驚く。捻子に金銭的被害は無いが、ショックであった。
消える前に、捻子の部屋に来た氏田は、可愛いキス時計をプレゼントした。
再度、冒頭の酔っ払いの鈴木が部屋に来た時、捻子はデザインの仕事が忙しく、鈴木はやはりベッドで眠ってしまう。
夜中に仕事を終えて鈴木を起こそうとした捻子だが、鈴木は起きない。寝ながらも勃起しているのを見た捻子は、鈴木のパンツをおろし、自ら挿入して感じるが、鈴木は寝たまま、毛布を頭から被る。
捻子が働く事務所は、社長の公一(鬼丸善光)とふく子(夏麗子)との三人しかいない小さなオフィスで、捻子は公一を好きらしいが関係は持っていない。捻子は遅刻が多く、公一は目覚まし時計をプレゼントする。
徹夜の作業の時、ふく子と公一が二人だけとなり、ふく子は献身的に公一をアシストして、徹夜明けのオフィス内でセックスに至る。
机の下でフェラチオされている時に中華出前が食器を取りに来て、机の上に上半身だけ覗かせている公一とやり取りするのが可笑しい。
この出前を、証明技師の木村誠作さんがやっている。
他にもウチトラが沢山出ていて、最初と最後の居酒屋客が、予告編事件で日活を退社した白石宏一さんだった。
ふく子から「公一とやっちゃった」話を聞いた捻子は、氏田が消えたショックもあり、電話で公一を呼びつけ、自分の部屋で公一と激しくセックスする。
2年間何もなかった二人だったが、初めてこうなって、いつかこうなる気がしたと言いながら、それでも捻子は、「ふく子を幸せにしてあげて」と言って、セックスはしっかりしておきながら、身を引くのだった。
最後に、男たちからプレゼントされた時計が、一斉に鳴り響く・・・
前田米造さんのカメラが、ハイセンスな画を作っていて、24歳の女性の、ナルシスティックではない、自分の性欲に忠実な生き生きした姿が、浮き彫りにされて見え、女性がエロくなる時の気持ちが良く分かる、という映画になっていたのだった。
『犯され志願』は、美保純主演・川崎善広監督『セーラー服鑑別所』とのカップリングで82/3/26に公開された。成績はちょっと分からないが、悪くなかったのではないか。中原さんは助監督に戻らなかった。
この直後、中原さんは、松川ナミ主演でハードな『奴隷契約書・鞭とハイヒール』(5/28公開)を撮り、軽いタッチで『聖子の太股・女湯小町』(10/29公開)と続け、この年ロマンポルノ3本撮って、ヨコハマ映画祭新人監督賞を獲った。
(二年後、金子も同様にロマンポルノ3本撮ってヨコハマ映画祭新人賞を受賞するんですよ!)
(中原さんに対する突き放した書き様は、要するに金子の対抗心てやつですから)
(『1999年の夏休み』が無冠で中原さんの『桜の園』がベストワンという嫉妬ですから)
同じ二月、「うる星やつら」のシリーズ構成をしていた山本優さんから、「ブライガー」一本と、吾妻ひでお原作の「コロコロポロン」の発注があり、アニメ2本を書いている。
2月末には三日間だけの撮影だが、『東京地検物語』という16ミリ30分の文化映画を鈴木潤一さんが監督するので、そのチーフ助監督に就いた。
30分と言えども初チーフ昇進で張り切り、三日間のスケジュールを切って、撮影所に泊まり込んだ。
同期の瀬川からは、「よっ、チーフ」と声をかけられ、こそばゆいが嬉しかった。
カチンコ、もう叩かないで済む解放感たるや!
この作品はネット上で探しても、名前も見つからないが、実際に東京地検からの発注だったから、今でも地検の倉庫に眠っているのではないだろうか。
若原瞳が検察官役の劇映画仕立てで、塩見三省が追求される犯人役。
法廷なども、実際の場所で撮影している。
劇団「円」から来た34歳の塩見さんは、世間的にはまだ無名だったが、すっごいリアルで怖い殺人犯人を演じ、それまでロマンポルノなどで目の前で直接見てきた
役者の演技とは“質が違うもの”を感じたので、現場で休み時間中話しかけて仲良くなり、いつか一緒に仕事出来ないか、と思っていた。自分が、この人を使えば、評判になるだろう、と思わせる俳優だった。
翌年のデビュー作『濡れて打つ』のテニス部鬼コーチ役でオファーしたが、悩んだ末に断って来て、ごめんなさい出来ません、と言われた。それ以来、残念ながら縁は無い。今でもいつか、とは思っているが・・・
3/3には、引越しをして、アパート住まいが始まった。
社長秘書のNさんも24歳で何度か飲み、「好き」になってきた、というより、「落としたい」と思うようになっていた。美人とか色っぽいとかスタイルが良いとかいうのではなく、とにかく気になる「女」としての存在感が迫って来た。
飲んで話すのが好きな人で、朝帰りも平気なので、いつかこのアパートに連れて来たい、と思っていた。
『犯され志願』の捻子と同じ年だった。
仕事の話もいっぱいしたが、映画の話は殆どしなかった。
結婚は・・・まったく意識しなかった。僕にムラっと来たろうか?
仕事としてはもう、次はセカンドは無く、ロマンポルノのチーフか脚本の仕事が来るだろう、と思っていたが、来たのは2時間TVのまたもセカンドで、心底ガックリした。カチンコは免れたが。
加藤彰監督が、初めてTVでビデオ撮りするので、ビデオ撮影経験ある助監督を希望したためだ。金子、ビデオやったんだろ、と。
パラオのセクシービデオを撮っていた僕の他には、ビデオ撮影の現場を経験した助監督は日活にはいない、という、今から考えると驚くべき理由だ。
当時、映画屋の多くは、「ビデオには機動力が無く、スタジオ撮影以外向いていない」と思っていたから、TVムービーも、16ミリフィルム撮りが普通であった。
木曜ゴールデンドラマ、4/29オンエア市原悦子主演『運命の殺意』である。
カメラマンは『犯され志願』の前田米造さんだが、ビデオカメラでの仕事は初めてだったのではないか。
残っている資料によると、これはとんでもない物語である。
義理の弟にレイプされた過去を持つ女(市原悦子)。暗い秘密を抱えたまま夫と息子と一見幸せな生活を送っていたが、息子の実の父親は義理の弟で、そのことを知りショックを受けた息子(坂上忍)はついにある行動に出る。そこから母子の転落が始まるが…。(TVドラマデータベースより)
・・・ここに書かれた「ある行動」というのは、母親を犯してしまう、ということで、最後には、母息子で、過ちを償い、信濃の雪の中で心中する、という壮絶なドラマであった。
天才子役と呼ばれていた坂上忍は15歳の美少年で、僕が「うる星やつら」や「聖子の太股」のシナリオを書いたのを知って、衣装合わせの後、食堂へ、にやにやしながら着いて来て、僕のことを遠巻きに見つめて「そんけいのまなざしぃ〜」とか言ってくれて、こそばゆかった。
将来はシナリオライターになりたいんだ、テレビではライターが一番えらいから、監督じゃなくて、と言っていた。可愛いやつ、と思った。本当に甘い顔で可愛いのだった。
この9年後に『就職戦線異状無し』でオファーして出てもらった時は、器用な役者だな、と感心したが、天才では無く、勉強家の秀才だと思った。
セットにNさんが友達と見学に来て、「僕に手を振って胸キュンとなった」ということが書かれてある。
ロマンポルノでは無いので、セット見学が可能だったのだ。
現場では、やはり役に立たないセカンドだった。
覚えているのは・・・
信濃に向かって走る列車内の撮影。
トンネルが多いので、トンネルに入って暗くなる前に撮ろうとして、僕が窓から顔を出して進行方向を見ていて、トンネルがないタイミングを見計ってキューを出すのだが、そこからVTRが立ち上がる時間が分からず、撮影可能になったらトンネルにゴォーッと入ってしまう、ということが何度もおこった。
フィルムであれば、立ち上がりの時間はかからない。
窓からでは、トンネルが迫る具合が読めないというのもあって、何度も同じ失敗を繰り返し、VTRの人が怒ってしまって、キュー出し係は交代になった。
坂上くんからは、尊敬の眼差しは返上となった。
加藤監督としても、そういうVTR立ち上がりの時間なんて金子は当然知っていると思ってたろうし、チーフ黒沢直輔さんからすれば、「○線で○時発の列車」と予定表には書いてあるのだから、セカンド金子が、事前にトンネルの数とか、トンネルが無くて撮影可能な区間とかを、地図見て調べておくのは当然の事だから、あえて言わなかった、ということだった。
その当然の事が、僕には気が回らない。
ダイアリーにはその事は書かず、Nさんのことばかり・・・否、他の女子のことも(汗)。
3/6から始まったこの仕事が終わったのが3/21。
直後にプロデューサーの海野義幸さんから電話があった。
『聖子の太股』がヒットしたらしく、続編を作ることが決まったが、寺島まゆみ=聖子で女子大生という設定以外は全部刷新するという企画で、寺島にチアガールをやらせることでのオーダーが来て、3/26に新宿居酒屋「くらわんか」に呼ばれ、監督の川崎善広さん、企画の進藤さんらと飲み会打ち合わせとなった。これはアイデア出しの楽しい飲み会だ。
海野プロデューサーは、あまり厳しいことを言わないし、川崎監督は34歳で若手でも、あまり我が強く無い職人肌で、これが3本目。
打ち合わせでは、僕が主導してアイデアを出して書いていったから、結構イージーな脚本になってしまった、と、今になって再見してみると思うが、当時は、サラサラと結構上手く書けた、といい気になっていたが、川崎さんは頭を抱えていた。
企画部を通して紹介されて取材した、某女子大チア部の部長さんも、可愛い人で、これまたなんかしようとしたことをダイアリーに書いている(汗)。
それでも、その彼女に取材して作った物語は・・・
T大女子大生になったばかりの聖子=寺島まゆみ(役名はまたも寺島聖子)はメガネちゃんだったが、百恵先輩(『聖子の太股』で奈保子をやった浜口じゅん)に憧れてチアガール部に入る。
入部テストで、ラジオ体操をするが、ズレまくるというギャグに対して、
伊代(森村陽子)は上手なダンスとレオタード、わざと陰毛アデランスをはみ出させて、審査員に注目されて入部。
百恵先輩に夜中に体育館に呼び出された聖子は、何者かにレイプされる。
実は、百恵から「レイプごっこ」を誘われた梨本(平光琢也)が、百恵だと思って背後からレイプしていて、それを百恵は別な部屋から覗いて楽しんでいたのだった。
聖子はメガネが割れてしまい、相手が誰だか分からない。
梨本は罪の意識に苛まれるが聖子には言えず、聖子は、相手が誰だったか、ワセド大学の応援団だろうか?と追いかけて、試すが、大きさが違うと・・・つまり、レイプされたのにシンデレラの靴のように、サイズを求めるという、今だったらフェミニズムの観点から吊し上げられるような展開になっている。
聖子はコンタクトにして、次第に可愛くなってゆく。
ちょっと笑えるのは、江川卓のソックリさん(麿のぼる)を出して、「興奮しないで」とか言わせているところか・・・
六大学の決勝戦がT大とワセドになり、そこにチア部が間に合うかどうかのタイムサスペンスを設定して、ワセドの応援団を、T大チア部が、海岸での集団セックスで籠絡し、全員倒れて神宮に行けず、T大が優勝という展開に・・・
川崎さん、真面目に良く撮ってくれたな〜
海岸で聖子も梨本とセックスして、あ、これだこれだこれがピッタリ、となる・・・
ラストは、みんなでチアダンスを踊って、太股を見せまくる、という大団円。
この『聖子の太股ザ・チアガール』は、7/23美保純主演・上垣保郎監督『ピンクのカーテン』とのカップリングで、日活としては大ヒットした。
82年のロマンポルノは、4/23公開で西村昭五郎監督が五月みどりで『マダムスキャンダル10秒死なせて』を大ヒットさせ、美保純や寺島まゆみのアイドル路線も相まって、前年比2割増近い興業収入を得ている。
イケイケとまではいかないが、前年の「映画もう終わりだ」感は薄らいで、崖っぷちの焦りはなくなっていたかも知れない。
その、ちょっとぬるま湯気分のなかで書いたシナリオもいい加減だったが、この頃の生活も、一人暮らしを初めて夜遊びが増えている。
仕事で知り合った、全く別業界の美女Sさんのアパートに連泊したら、彼女のカレの名前で呼ばれちゃって「へ?」となった、とか・・・Nさんのことは、この時は忘れている。
4/4は井の頭公園の花見に一人で行って、見知らぬいろいろな花見グループに顔を突っ込んで「たかり酒」をしていった。
こんなアホなことが自分に出来るのか、というカイカンがあった。
酔っ払いのオバサンに手を握られたり、乱舞している集団に混ざって踊ってシンバルを叩いたり、知らない女子と手をつないで踊り・・・
女子グループにナンパふうに割り込み、迷惑がられたり・・当然、空振りの率は高い。てゆうか、みんな空振り。
夜は寒くなって、盛り上がっているキスカップルのミニスカートの太股を触ったりして・・犯罪じゃん(汗)
バブル時代の予兆が空気として漂い初め、僕にも影響を与えて、浮き足立っていたのだろうか・・・?
もうロマンポルノのセカンドは無いだろう、と思っていたら、ファンキー小原宏裕監督からエロス大作だからやってくれ、と言われ、断るわけにはいかなかったのが三崎奈美主演『白薔薇学園・そして全員犯された』。
伴一彦さんの脚本によるバスジャックの話である。
猟銃を持って、名門女子高35人のバス旅行のバスに乗り込んでくる犯人はピンク映画で「犯し屋」という異名を持ち強姦魔にはピッタリの港雄一と、『聖子の太股』主演の上野淳らで、引率の先生は可愛らしい美乳の三崎奈美。この頃の女優さんのなかでは、いちばん、好きだったかな・・・綺麗でいい人。
観光バスをセット内に入れての撮影となった。
もちろん、ロケもあり、新宿スバル前から出発して、本栖湖まで行った。
バスジャックの動機は最後に分かる仕組みだが、それでも相当に不可解な理由であり「?」となる。
港雄一は、この日いきなり初対面の上野淳に誘われて仲間に加わり、それもかなり無理な話だが、勢いで、走るバス内での大量強姦場面を見せてゆき、「ブスは降りろ」というギャグもある。
自分はブスでは無いと自負する女子たちが、人質から解放されたのに、渋々バスから降りて文句を垂れたり、「ブスに産んでくれてお母さんありがとう」と言ったりして、苦笑させられる。
撮影は5/12〜5/21の8日間で、唯一の撮休前日に、那須さんの『ワイセツ家族・母と娘』を吉祥寺に見に行ったら那須さん夫婦もいて、友人も参加して朝まで飲んだ。
日活内の大江戸食堂で打ち上げをして、織田和歌が「私はエキストラじゃない!」と言って泣いたのを覚えている。
バスの中での集団レイプシーンでは、誰が誰だか分からない撮り方になってしまい、女優も不満爆発寸前だった。
『そして全員犯された』は、6/25根岸吉太郎監督の『遠雷』から日活復帰した『キャバレー日記』と同時上映で、かなりなヒットとなった。
当時は、どっちが客を引っ張っているのか、と、社内で話題になったが、やっぱり、『キャバレー日記』の方だったろう。
エネルギーいっぱいの映画だった。根岸さんが羨ましかった。
『そして全員犯された』現場が終わってアフレコの時・・・
Nさんは、労働条件のことで、会社と揉めていて、長電話で詳細を聞いたが、話を聞いてあげたいと言って吉祥寺のお洒落な店でデートしてお酒を飲ませ、「インドで撮った8ミリ映画でも見ない?」と言って、タクシーでアパートに連れて来た。計画通り。
「金子さんは策士ね」と言われた。
・・・
ま、それで、そういうことになったんだが、そうなると会社で会っても逆に親しく出来ない。素通りするわけじゃないけども、挨拶くらいしか・・
『そして全員犯された』で、女子の声が足りず、アフレコを手伝ってもらったりしたが・・・
夜、家に電話するといなかったりする。
え?あれ?昨日と同じワインカラーのワンピじゃん、ナゼ!?と思って焦ったりしてるうちに、恋狂いになって来て、ぐるぐる翻弄されてる気分に・・・
そしてNさんは5月一杯で勤務終了となり、送別会が開かれた。
その送別会で、彼女の隣に座って“実は秘密の恋人気分”でいたんだが、なんか向こう隣の奴を口説いているように見えるんだが・・ハンサムで有名なスタッフ。え?、そうなの、そいつ口説いてるの?
え、あ?、え?と思っているうちに、そいつとスッと立ち去ってしまった。エ〜!
・・・
ま、それで、そういうことで、いろいろ他の奴もいろいろからんで、恋狂いも頂点に達した。結局、何角関係だったんだよ〜?
6/8の誕生日、2年後輩だが同年齢のTV部員で、部長にまでなった後に日本TVに入って『家なき子』をプロデュースして大出世する佐藤敦と、2年後輩だが2歳年上の制作課員で、後に『プライド』や『青いソラ白い雲』をプロデュースしてくれる新津岳人に、調布の居酒屋に付き合って貰って、苦しい胸のうちを告白。
・・・
酔っ払って店から出て、公衆電話でNさんのウチに電話している背後には、その二人が立っている。もう12時過ぎている。
電話しているうちに泣き出し、「さようなら、君のことは忘れません」と言った。
佐藤敦は「いやあ、この年で女に電話して、さめざめと泣ける男って新鮮でいいですねえ。なかなかいいものを見たなあハハハ」と大笑いし、新津岳人は気の毒笑いしながら「まあまあ」と肩を叩いてくれた。新津くん、君もNさんの一角に入ってなかったっけ?
あとから、その電話でNさんは「あきらめてくれてホッとした」と言ってた、と聞いた。「何もなかったのに」だって・・・
僕は27歳となった。
...to be continued
(恥文なので無料)