ロマンポルノ無能助監督日記・第10回[『高校大パニック』パニック続報]
『高校大パニック』での、フォース助監督・金子の役割としては、数学の問題式を、撮影前に、黒板に白墨でそれらしく書いておくこと、生徒のノートがアップになった場合に備えて、計算式を手書きで埋め尽くしておくこと、であった。
3月に辛くも卒業出来た東京学芸大学は国立なので、入試は5教科で、小学校教員養成・国語学科といえども数学はあったが、受験科目は「数IIB」(すうにびー)。
この映画で必要なのは、その上のレベルの「数III」である。
博多の名門受験高校の設定だから、相当に難しく見える問題を書いておかないとならない。
これをスタッフの前で、スラスラ板書したらカッコいい、みんな労働者階級だから「インテリ助監督さんだね、ほほ〜」とばかり一目置かれるだろう、と妄想してみたものだが、数IIIだとスラスラ書けないから、新たに参考書を経費で紀伊國屋に買いに行って、それを書き写すしかないが、「何が正解か、どこが間違いかを現場で聞かれたら、教師のように答えられないといけない」と思っていたので、クランクイン前は、かなりアタマを悩ませた。
だが、いざ撮影が始まると、誰も、黒板の数学式なんて、見やしない。
正しいか間違っているかなど、分からないから、東大卒の鈴木潤一セカンド助監督が、サラッと確認する素振りを見せるくらいで、
「オッケーだね、金子くん・・・なつかしいね、積分かこれは。あ、もう見たくないや」
と言って、笑って立ち去った。
もう一人の東大卒、サード那須さんは、銃や弾着のことに夢中だ。
フィフス松井君は、カチンコを覚えることに必死だし、チーフ菅野さんは、ほとんど現場にいない。
澤田さんも石井君も、黒板見ても分からないだろう。
間違っていたら撮り直しもあり得るが、それらしく見えれば、誰からも問題にはされない。僕がOKなら、OKという世界だったので楽だった。
また、自分の高三の時の数学ノートを、エキストラ生徒用小道具として、十冊以上「必ず返して欲しい」と言って提供したが、これは撮影後、全部は返されて来なかった。
装飾の倉さんが、申し訳なさそうに「ごめんな」と言っていたのを思い出す。
僕は65歳になった今でも、高校の教科書を、本棚の裏側だが、すぐ分かるところに並べてある。
英語、数学、日本史、世界史、生物、化学、物理、古典・・・“アンチョコ”と呼ばれた教科書ガイドも。
物理や化学は受験科目では無かったが、知識として重要だと思っていたから、せっかく勉強したものを、忘れたくない想いで取ってある。
この47年間に“何回か”、知識を確認するために開いた・・・“何回か”、だけど。
撮影時に提供した数学ノートも、数冊は戻って来たので、段ボール箱に戻してある。・・・捨てられない・・
僕が死んだら、家族が廃棄するしかないが、自分では捨てられないのよね。
それとも、いつかある時「捨ててしまおう」と思うのだろうか・・・父親が「資本論」5巻を捨てたのは、いつだったっけ・・・ソ連崩壊の後だろうけど。
しかし、思い返すと受験勉強って、たいして苦しく無かった。
助監督の、“理不尽”が多い仕事に比べれば。
『高校大パニック』の仕事は、精神的には、“助監督の理不尽さ”に抵抗しながらも多少は慣れだした頃に感じた、“受験時代の「理屈にあった人生観」に戻れるノスタルジックな時間”という一服の清涼剤だったろうか・・・
・・・屁理屈だな。何気取ってんの、仕事が出来ないんで、受験勉強の方がまだ良かったと思ってただけじゃ(゚∀゚)
数学は、足算引き算でよく間違え、得意では無かったが、問題が解けて答え合わせで正解だと分ると、単純な快感を得た。だから、その途中の思考過程が分る式が書いてあるノートを捨てられないのだな・・・って、もういい加減捨てろよー
だから、この「数学出来んのが、なんで悪いぃぃぃ!」と叫んで教師を撃ち殺す、というのは、マンガ的短絡の面白さとして受け取った。
それほど悪い先生とは思えなくとも、教師が銃で撃たれて血まみれになって倒れるところは、現場で見ていてスカッとする気分は、確かにあった。
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