ロマンポルノ無能助監督日記・第17回[原悦子主演『看護婦日記 いたずらな指』と男優たち。

1978年4月、日活に入社して以来『情事の方程式』、6月『人妻集団暴行致死事件』、7月『高校大パニック』、8月『蝶の骨』、9月『暴る!』、10月『縄化粧』、11・12月『炎の舞』、79年1月『宇能鴻一郎の看護婦寮日記』、3月『桃尻娘・ラブアタック』で一年が過ぎ、TV『悪女の仮面』でゴールデンウィークが過ぎ、無能カチンコ助監督2年生が約一名出来上がった。

・・・というところまでは、現場の記憶が結構ハッキリしている。

ビジネスダイアリーに「S」(セット)「L」(ロケ)と書いて、短いメモをしておけば、鮮やかに記憶が蘇る。

ところが、無能なりに仕事を覚えてからのこれ以降は、あんまり面白いこと楽しいことが思い出せないし、書き込みも、「準備」「S」「L」「撮休」とかだけになって、その代わり、広島カープの試合の記録が、詳細を極めてくる。
先発投手〜中継ぎ〜抑えが誰だとか、ギャレット2ランとか、山本浩21号とか、衣笠タイムリーとか、高橋よく走った池谷よく投げた、とか、三村がエラーしたとか・・・
巨人戦しかTVで見れないから、他のチームとの対戦はラジオで聴いていた。

全く何も書かないと1日を失くすような恐れがあって、必ず何か書こうとしているが、何も書いていない日もあり、仕事の書き込みは極端に減ってゆく。

多少慣れて刺激が少なくなり、ルーティンワークに飽きて来た・・・というより、「うんざりしてきた」と言う方が正確かな。

この後は、年末まで『看護婦日記・いたずらな指』『宇能鴻一郎のあつく湿って』『桃子夫人の冒険』『昭和エロチカ薔薇の貴婦人』という、さほど話題作とは言えない作品が続いて、モチベーションが下がっていた。

作品と作品のあいだの休みも多くなっているので、映画はたくさん見て、本も良く読んでいた。それは記録している。
生意気にも現場で映画を学ぶことは余りない気がして、「労働者になっちゃしょうがない」と言う人もいたし、本を読んで映画を見なきゃ、と自分に言い聞かせながら、やっぱり何かしら焦りのようなものを、常に感じていた。

78年に『高校エマニエル 濡れた土曜日』で監督デビューし、二本目がまだの斉藤信幸さんは、いつもブルーのジージャンを着ているクールな先輩。
ちょっと取っつきにくい、人を寄せ付けない感じがする人。
助監督身分のまま、この年公開の『クライマックスレイプ 剥ぐ!』(監督・藤井克彦/主演・水島美奈子)の脚本を書いて、クレジットされている。
旧・社青同解放派(青カイ)の活動家だと言われていた。何のことか分からない人もいるだろうが、理論的な過激派セクトだ。
その斉藤さんが「推理小説を1日2冊読むのを自分に課している」と言うので、焦った。
「推理小説が、いちばんシナリオの勉強になる」と言った。

シナリオは、スタッフに理解させるために、分かりにくい文学的な曖昧な描写はせず、具体的な事柄を書いてゆき、役者に考えさせて演じさせるために、登場人物の心理をセリフに凝縮し、物語の展開も、予期されないようにしなければいけないから、ハードボイルドの推理小説と構造が同じだ、と言う。
なるほど・・・(こんなふうに丁寧に言ってくれたわけではないが)

それで、僕も、創元推理文庫を読み漁った。ハドリー・チェイスはこの時期に全部読んだ。
ハドリー・チェイスは、那須さんから「どれも面白いぜ」と推薦されたから。

また、『エイリアン』を吉祥寺スカラ座で見て、相当なショックを受けた。
『スターウォーズ』よりゼンゼン面白い。撮りたかったタイプの映画だ。
SFマインドと、光と影を繊細に使った映像美、ホラーショッカーとしての商品性、うるさい女だと思っていたシガニー・ウィーバーが、最後、下着で戦うヒロインになってカッコいい。
ロマンポルノやってて、そこに辿り着けるのか・・・アセる・・自分も何かシナリオ書かなければ・・・

仕事は、8月になって二度目の白鳥信一監督で原悦子主演の『看護婦日記・いたずらな指』にセカンドで就いた。
主役が逃げて水島美奈子に交代した『宇能鴻一郎の看護婦寮日記』と同じ白鳥監督なので、記憶も少し混同してしまうが・・・

白鳥監督としては、俳優は誰も繋がっていないが、前回が看護婦寮の中の話だったので、今回は、原悦子の看護婦が寮からアパートへ引っ越す、という話の発端を作って、そこから始めている。
引っ越した向いのアパートの浪人生が、彼女に一目惚れ。
監督には、何かしら、そうした“物語の動機付け”が必要だ。
今、思い返すと、白鳥さんから指名されてたのかな・・・「空いている金子でどうか」と聞かれて、「ああいいよ」と答えてくれたのであろうか。

助監督は『高校大パニック』のチーフ菅野隆さんと二人だけ。
殆ど現場にはいないチーフ。食堂でお茶飲んでる。
(スケジュール書いてるが、そんなもの15分で書けるだろー、殆どセットだけなんだから。でも、現場来られてもすることないか)
撮影は森勝さんで、8/2〜8/20の間の11日間。
間にお盆休みが12〜15の4日挟まっている。

そのお盆休みに岩波ホールの『旅芸人の記録』を見に行ったら満席で入れず、日劇文化に周って『木靴の樹』を見て、満員の客のなかで、そのリアリズムに感動した。100年前の北イタリア農家の貧しいが、心は豊かな生活をカラーで美しく描いたというか・・

この映画に触発されたわけでは無いが、“城戸賞目指して”の脚本を、この頃、仕事の合間に書き出している。
題材は、中学3年の頃にB6版のノートに書いていた小説「期末テスト叙事詩」で、その時発見したと思えた“この世界の真実”=“中三2学期の期末テストで人生が決まる”、“勉強・スポーツ・顔”の三要素で、クラスのなかの階級が別れている“というテーマで書いていた小説だ。これを素にして、中学3年生の群像映画を考え始めた・・・タイトルは「冬の少年たち」。

『看護婦日記』の方は、涼子=原悦子のアパートの部屋、向いの浪人生の部屋、病院の診察室などのセット、三鷹中央病院へのロケ1日、というくらいの設定しかなかったし、やはり白鳥監督の定時は3時で、チーフがいなくても進行は僕一人で充分で、特に大きな現場の失敗は無く、予告編も担当した。

「今やアイドルは山口百恵ちゃんでも石野真子ちゃんでも榊原郁恵ちゃんでもない。そうです、この人こそ飛んでる男のセクシーアイドル、原悦子ちゃん」

というナレーションを考えて(“セクシーアイドル”というのは宣伝部とは関係なく、自分で考えた。予告編は宣伝部は殆ど関知しない)、田舎から出て来ている浪人青年役の荒川保男に言わせて、白衣の原さんが病院の屋上で振り返ってニッコリ(このカットは、予告編用単独で、原さんを演出して撮った。初めてのことだ)、そして次は本人のナレーションで「わたし、看護婦寮からアパートに引っ越したんです。だって、寮にいると先生との危険な関係、バレちゃうんだもん」と言わせ、男の先生にお姫様だっこされる全裸の原悦子・・

原さんは、華奢な体つきで肌が真っ白、いたいけで、はかなげな感じがした。
人気沸騰中。色っぽいお姉さん、という感じであろうか。

物語は、結構、笑えて、爽やかな後味の青春ポルノである。

爽やかなのは、2年続いているこの病院先生との腐れ縁を切って、向いアパートに住む浪人の純朴な田舎青年と一緒になってもいいかと迷う涼子が、最後には両方とも別れ、すっきりした朝を迎え、伸びをしたら爪に気がつき、「あ、爪がのびてる」と言って画面STOPして終わる、という“日常感”にあったのかな・・・
どろどろになりかけて、ならない軽いドラマを、ポルノシーンが繋いでいった。

“しょうも無い笑い”もある。
涼子が部屋でレオタードでヨガをやっているのを覗いて興奮した向かいの浪人が、掃除機で自分のを吸わせてオナニーして抜けなくなり、病院に駆け込むと、これを診察するのが涼子と愛人関係になってる先生だ。

この病院先生役の宇南山宏さんは、当時43歳で、早稲田〜俳優座養成所〜青年坐〜というエリート俳優というかインテリジェンス溢れる人で、話も面白かった。
若い頃、『天国と地獄』では、刑事役で、セリフは一言だが映画初出演している。

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僕はベータマックスのビデオに黒澤明作品のテレビ放送を録画していて(CMの時には録画を一時ストップしてCMを抜く技術が磨かれ)、家で何度も繰り返し見ていた。『用心棒』『椿三十郎』『天国と地獄』と・・・

『天国と地獄』は、ノートにセリフを書き写して、コンテも記録した。
半分くらいまで、ですが・・・

だから、チョイ役でも宇南山さんの事は、良く覚えていて、その話をすると嬉しそうにいろいろ話してくれた。
日活でも重宝がられて、多くの出演作があり、脚本にノンクレジットで協力した中原俊監督のデビュー作『犯され志願』(82年)にも、重要な役で出演している。

金子の監督デビュー直前の83年8月に「監督お試し」みたいな意味であろうか、修禅寺の大京日活ホテルで2泊3日撮影の“生撮りビデオ”と称される井上麻衣主演の30分『ブルーレイプ・襲やれる』でアダルトビデオドラマの監督をしたが、この時にも宇南山さんに出てもらい、ポルノシーンでは上手くリードしてもらって、有り難かった。

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だから、翌84年6月に、宇南山さんが鉄道自殺した時には愕然とした。信じられなかった。

新聞の記事でしか知らないことだが、同人との小劇場での初舞台・初主演の初日に、開始して暫くしたら(30分だったと記憶しているが)セリフが出なくなり、最初から芝居全部をやり直ししてもらい、二度目は最後まで演じきったが、その帰り道に飛び込んだ、ということだった。
記事では、息子さんが見に来ていて、「再開した舞台は素晴らしいもので感動したが、父親には内緒で来ていたから先に帰り、そのことを告げられずに悔やまれる」と、語っていた・・・痛ましい悲劇だ。
それ以上のことは、何も分からない。

ロマンポルノの現場では、助監督は女優よりも男優と親しくなる傾向がある。
なんと言ってもハダカの付き合いだし。
女優さんもハダカだが、こちらは“商品”だし・・・という書き方は今や、いかんのでしょうか・・・でも、皆そのように言っていた。

純朴な浪人青年を演じた荒川保男さんとも、休み時間で結構話した。この人も青年座出身で、とにかく一所懸命で、仕事に飢えていた。
男優にとっては、ロマンポルノはステップアップの場であったろう。
風間杜夫さんが、ロマンポルノ出演をきっかけに、名前が売れ出した頃である。
荒川保男は、この他に『泉大八の女子大生の金曜日』『浴場まんかい若妻同窓会』の計三本に出ているが、ステップアップとまでは、行かなかったようだ。

僕は、監督デビューした後、86年に三鷹から下北沢に移り住んだが、西口近くの「だいこんの花」というスパゲティ屋のカウンター内で調理している店長が、荒川さんに似ていた。
仕事後7年経っていて、それ以来会っていないから、似ているが確信は持てない、いろいろ話したと言っても、友人とまでは言えないので、声はかけられなかった。

が、やっぱりそうなんじゃないかな・・と思っていたら、更にそれから20年経って、歌手のDAIGOが「ポストマン」というTV番組で、「売れない頃に通った下北沢の“だいこんの花”の店長にもう一度会いたい」という趣向で、「店長は、元俳優の荒川さん」とされて本人も出て来た。やっぱり荒川さんだった。店は事情があって閉店したという。

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更に調べるとDAIGOは「人生最高レストラン」という番組でも「だいこんの花」を紹介して、「ここのボンゴレバジリコは全世界の人に一口でもいいから食べてほしい。マスターが暖かい人で愛情が溢れていて、悩んでいる時に相談していた。デビューしたときにCDを持っていたら飾ってくれた。僕の中で思いでが詰まっていて今でも食べたいし、自分の記憶の中で永遠に残り続けるお店だ」と言っている。
店は79年頃に始まっているらしいから、結構、映画の直後からだ。

後年、そういうことになる荒川さんの演じた浪人青年だが、『看護婦日記』では、親の病気で大学を諦めて田舎に帰る決意をしたら、原悦子が、一瞬彼にホロリとなった、そのわけは、宇南山さんの先生との不倫が奥さんにバレて気持ちが揺れていたから、こっちの純朴な浪人青年の想いにほだされて、ふらっとセックスし、浪人青年は大喜びで彼女を田舎に連れて帰ろうと考えるが、先生が戻って来たら、そんな気は無いと、すぐ振られる、という役回りであった。

そういう“性の天使”のようなキャラで「飛んでる男のセクシーアイドル」という宣伝惹句を思いついたのだった。

原さんは、この翌80 年、再度の白鳥監督でR18でない一般映画の『おさな妻』、西村昭五郎監督で『看護婦日記 わいせつなカルテ』(これも役名は「涼子」で同じく看護婦で、設定も共通する部分はあるが、続編では無い)に出た後、僕もセカンドで就いた三度目の白鳥監督『クライマックスレイプ 犯される花嫁』を最後に、日活出演を終える。

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それでも大学の文化祭で引っ張りだことなり、ファンクラブは松田聖子が1万人の時代に70万人いたらしい。日本武道館でサイン会をやったが、日活映画では、さほど動員に結びつかなかった。

その後、大学生向けのミニコミ情報誌「カレッジ・コミュニティ」を立ち上げ、運営して28年間続けた。
2014年には、僕の監督した『百年の時計』の相模女子大ホールでの上映にも、ひょいと顔を出してくれて驚いた。年齢は重ねたが、可愛らしい笑顔の印象は変わらない。
現在は学童指導員として、小学生を指導しているそうだ。


.....to be continued


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