株式会社NISHINOを卒業しました。
明るい話です。
2020年3月31日。
僕は、株式会社NISHINOを卒業しました。
振り返えれば、去年の8月にインターンとして入社してから、丸8ヶ月もの時間が経っていました。
本当に素晴らしい経験をさせてくれた株式会社NISHINOには感謝で胸がいっぱいです。
気持ちが溢れすぎて文章が長くなってしまいましたが、気合を入れて書いたので、最後まで読んでくれたら嬉しいです。
新型コロナウイルスの影響で、テレワークになってしまい、お世話になった方々にまともにご挨拶も出来ないので、この場を借りて、僕の「これまで」と「これから」について報告しようと思います。
(直接、ご挨拶出来ないのが、本当に寂しい気持ちでいっぱいです。お世話になった方々には、またすぐに会えることを信じてます。)
そして、僕のことを応援して頂いた方へ。
この記録(ブログ)が、「感謝」と何かの「チャレンジの後押し」として、届くことを願ってます。
▼株式会社NISHINOで働くようになったきっかけ
NISHINOに入社する前は、大学でマーケティングを専門的に学んでました。学業の傍で、趣味のカメラを使って制作をしてきました。(NISHINOインターンでマーケティングを学べたお陰で、大学で学んだマーケティングが、今の時代に、全く通用しないことに気が付きました笑)
入社のきっかけは、西野さんのこのブログでした。
小さい頃からTVが大好きで、芸人としての西野さんをずっとTVで見てきました。
(当時はフジテレビに入って、「はねトび」「めちゃいけ」のようなバラエティ番組を作るのが、本気で夢でした。)
「炎上」とメディアに流されて、西野さんにいいイメージがなかった時期もありましたが、僕は絵本を見た時に圧倒的な努力を作品に感じ、この人は絶対にエンタメの最前線になる人だと自分の中で確信しました。
その頃から、西野さんの動きを色々とチェックしていて、去年の5月にtwitterに流れてきた株式会社NISHINO(旧:株式会社にしのあきひろ)のインターン募集記事を見つけ、オンラインサロン入会とほぼ同時にインターンに応募しました。
(このインターンの応募見た時、なんだかすごくワクワクしたのを今でも覚えています。)
インターンの応募の動機では、もともと経験のあった、写真や動画の作品作りを通して、西野さんの活動に貢献したいという思いを伝えました。
西野さんのいる最終面接では、「西野さんが人生をかけて挑戦する映画作りに、興味があります。」と言ったのを覚えています。
そこから、内定を頂きました。
このインターンに中途半端に取り組んでは、インターンに応募していた大学生や、なによりも西野さんに申し訳ないと思い、大学の休学を決意して、フルタイムで働くことを決めました。
「やるからには誰よりも結果を出したい。」そう思い、インターンに望みました。
▼株式会社NISHINOで何をしたか
面接の段階では、自分が携わるプロジェクトがわからなかったので、「本当にやらせてくれるのかな?」と少し半信半疑な部分もあったのですが、いざインターンが始まってみると、携わるプロジェクトの大きさに、驚きました。
面接で話した通り、「作品を作ること」をメインに携わらせていただきました。
本当にありがとうございます。
①戸田恵子さん朗読・絵本「Tick-Tock~約束の時計台~」の撮影現場のディレクター。
初めての現場が、戸田さんと西野さんを仕切るというの大仕事でした。リラックスしてやろうと心がけていたのですが、結果的にヤバい顔になってしまっていました。(泣)
右も左もわからない僕に、現場のディレクションを教えて下さったサロンメンバーの上田さん・ピーマンさん、ありがとうございました。
この仕事では、演者の方の目線で物事を考える大切さを学びました。
②LINEスタンプ『革命さん』のプロデュース
どう進めていいかわからずにイラストレーターの東野さんに沢山迷惑をかけてしまいましたが、初めて自分が携わったものがリリースできた忘れられない仕事でした。
まだ購入されてない方、是非、上のURLからご覧ください!
③『光る絵本展 in エッフェル塔』記録映像のディレクター
10月に個展が終わってから、
このメイキングムービーの編集に、5ヶ月もかかってしまいました。
西野さん、田村さんや上田さんから、何度もチェックを頂いて、編集を繰り返しました。
未熟な作品ながらも、なんとか公開していただくことが出来ました。
同時に、仕事の進め方、自分の弱さなど、反省点が沢山見つかりる経験になりました。
↑メイキングムービーの制作をする最中で、向き合っていた自分についてまとめた記事です。
④キネマ倶楽部で同期のセトちゃんと「NISHINO活動報告会」の主催。
チケットを売り切った矢先に、コロナが流行り始めて無観客で生配信配信に切り替えるなど、イベントの本番が始まるまでドタバタしてました。
セトちゃんとの共同主催、演者としての出演、チケットの手売り、クラファン運営 など。
沢山の「初めて」を経験出来た仕事でもありました。
相方のセトちゃんに多くの場面で助けられながら、「ピンチはチャンスに変えられる」を強く感じた出来事でした。
この他にも、オンラインサロンの運営など、細々とした作業もありましたが、
どの仕事も、本当に心躍るような企画ばかりでした。
僕は、
西野さんの現場で、求められるものを出すことが出来ず、何度も躓きました。
プロ相手にした現場では自分のこれまでの考え方・経験が、全く歯が立たず、ヤンさん・田村さんやサロンメンバーさんに助けていただいて、やっとプロジェクトが進むような出来でした。
躓くたびに落ち込んで、「次こそはやってやるぞ」という気持ちで、もがいている8ヶ月でもありました。
▼「西野亮廣」という看板
もともと、アート・映像・お笑い・イベントなどのエンタメに興味があり、お客さんが鳥肌が立つような仕事を作ってみたいと思っていました。
ただ、僕の身内は、落語家を目指していたのですが、志半ばで廃業していったことから、厳しい世界ということは身を持って感じていて、エンタメの世界に入ることに少し躊躇っている自分がいました。
沢山の人がエンタメで生きていく夢見る一方で、エンタメの世界は、「運を持った特別な人」だけが、生き残っていける世界というイメージがありました。
しかし、西野さんが見せてくれたエンタメは、想像とは全く異なった、エンターテイメントの世界でした。
まず、安全で快適な生活環境の中で、お給料を頂きながら、さっき挙げたようなワクワクするような仕事に向き合わせていただくことができました。
これ以上ないくらいの快適な生活でした。本当にありがとうございます。
その上で、西野さんの看板を背負うことで、
一番助けてもらったのが、
「集客」と「予算集め」でした。
西野さんの会社ということで、各地に行っても、サロン内・外で、多くの方との出会うことができました。
(インターン初日に、急遽兵庫県川西市の銭湯に行くと告知して、3時間後には一緒に同じお風呂に入って、焼き肉をご馳走していただいたり、なんでもない自分が、歓迎されているというはじめての体験が、不思議思えるんだけど、かなり嬉しかったのが印象に残ってます。)
そして、なんと言ってもスナックCandyの代理ママ。
(4回の代理ママを経験しました。
毎度毎度、年齢・性別・趣味・職業関係なしに、
いろんな人が話を聞きに尋ねて来てくれて、それもすごい嬉しかったです。
代理ママ、またやりたいな。)
先日の株式会社NISHINO活動報告会では、沢山の方にチケットを買って頂きました。
(この会では、西野さんは出演のみだったのですが、) 西野さんが関わっている仕事ということで、スタッフさん達が内容の詳細や、金額の交渉をする以前に話を受けて頂いたり、スタッフさんから携わりたいと手を挙げていただりしました。
西野さんはお客さんだけではなく、スタッフさんたちをも引き寄せる、最強の看板でした。
西野さんの看板を背負わせて頂いた僕たちは、裏を返すと、純粋な「集客」や「予算集め」の難しさを知らないのかもしれませんが、
しっかりと収益が回るエンタメの世界があることを肌で感じることができた。
西野さん。本当にありがとうございます。
そして、西野さんの身近にいて学べることは、いくつあげてもキリがないです。
仕事の進め方。
リーダーの振る舞い方。
ビジネスの感覚。
成功させるための熱量。
形にする実行力。
自治の精神。
知りたくなったらとことん探究する心。
アイデアの出し方。
ゴールへの嗅覚。
興味を惹く話し方。
誰もを受け入れるコミュニケーション。
などなど
(西野さんの全部のスキルが、本当に最強すぎました。)
西野さんは、才能とか関係なしに、四六時中エンタメについて考え抜いていて、それで答えを出しているからこそ、結果がついて来ているんだなと確信しました。
収益を回すことができるほどのエンタメを作れる人は、「運を持った特別な人」ではなくて、努力で作り上げることができる人なんだなと確信しました。
エンタメを学ぶには、株式会社NISHINOはこれ以上ない最高の環境だと思います。
今、まーちゃんや、べーくんがインターンをしているように、
株式会社NISHINO第3期、第4期のインターンの募集があったら、絶対に応募してみて欲しいと思います!
きっと、僕みたい人生が変わる体験が待ってると思います。超絶お勧めします。
▼株式会社NISHINOで何を学んだか
本当に沢山のことを学びました。
中でも一つ選ぶとすると、「発信の大事さ」です。
このnoteの大事も、その会社で学びました。
本心は、
多くの人にもっと
自分のことを知ってもらいたい、
見つけてもらいたいという気持ちがあったのですが、
なかなか踏み出せずに、この在籍した期間で、同期のセトちゃんのように自分を表現・発信をすることが出来ませんでした。
残酷ですが、「知られていない」と、好きとも、嫌いとも思って貰えないという、悲しい現実があることに、遅ればせながら気がつきました。
(ありがたいことに、数少ない発信を見つけてくれて、僕のことを見つけてくれる人もいました。)
幸いにも、僕たちは、西野さんの築き上げたコミュニティを使うことができました。
株式会社NISHINOの最大の福利厚生こそ、常にサロンメンバーのみなさん4万人(+α)に見てもらえる環境であることだと、遅ればせながら思っています。
上手く行く時でも、結果が振るわないと時でも、自分という一人の人物を、時間をかけて成長過程を見てもらうことが、すごく大事なんだなということを身をもって体感しました。
▼卒業という決断
活動報告会をご覧いただいた方は、突然のことで驚いたかもしれませんが、
社長のヤンさんから、僕の今この瞬間を大事にするために、ある提案をして頂きました。
その提案とは、「このタイミングで、一度、株式会社NISHINOを卒業して、外の世界を見てくること」です。
というのも、
西野さんが「株式会社NISHINOは、若手が自分の手で生きていって「極上の踏み台」として利用できる環境を作る」と仰っていました。
振り返ってみると、自ら提案して動いて結果を出していくセトちゃんに比べ、やりたいと手を挙げた仕事も、いつからか頼まれたことを粛々と仕事に向き合う態勢になってしまっていました。
今のままの自分ではもったいないので、
会社を上手く使えるように、一度会社を離れて、色んなものに触れて可能性を探ってほしいとの提案でした。
西野さんの映画・プペルイヤーを中心として、これから盛り上がって行くこのタイミングで、船を降りるという、悔しさもあります。更に、焦りもありました。
でも、
今回のタイミングをチャンスと捉えて、
フラットに自分を見つめ直して、自分の新たな可能性を探ってみたいと思います。
西野さんに沢山、目をかけて頂いた分、しっかり成長した姿でまたお会いしたいと思っています。
今月からは大学に復学しようと思ってます。(ただ、コロナの影響で大学自体がどうなるかわからないですが...)
そして、勤務の最終日に、田村さんからさんから、こんな激励の言葉を頂きました。
「あの時、大学に戻ったから」
このことばを言えるように、
信じて、走っていきたいと思います。
▼最後に
発信が大事ということは痛いほど感じました。
加えて、こんな時期で、ずっと家にいなくてはいけないので、家でできるYouTubeをはじめてみようかなと思います。
詳細は、まだ何も決まってませんが、これから気にしてくれたら嬉しいです。
頂いたチャンス、関わって頂いた方々全員に本当に感謝しています。
株式会社NISHINOは本当に最高の会社でした。
そして、働いていた先輩方はこんな大人になりたいと思える大人たちでした!
めちゃくちゃお世話になりました!
僕は株式会社NISHINOは卒業しますが、
僕は永遠にチーム西野です!
本当にありがとうございました!!!!!
最初と最後。顔変わったかな?
最後までお読み頂きありがとうございました。