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【短編】快速夏号1番ホーム

光りかがやく葉っぱが、列車のスピードにあわせつぎつぎと流れていきます。新緑のこの季節、窓の外はみがきぬかれた大粒のエメラルドがごろごろ流れていく川のようではありませんか。
空が一駅ごとにひろくなるのですから、樹々もおもいきり葉をゆさぶれるというものです。

「なんだか鼻がむずむずするなあ」

たかふみ君はそんな景色にも気をとめず、鼻のあたまをこすっています。
むずむずするのはお家を出る前からのこと、花粉症のせいではありませんでした。
入学式もオリエンテーションも終わってひと月ほどたった頃、たかふみ君は「なんでこんな田舎の学校に来ちゃたんだろう」とぼやき気味です。
でもほんとうのたかふみ君は、雨の日にカタツムリを見ているのが好きな男の子です。カタツムリさんはアジサイの葉っぱの上で雨の雫をなめては休み、なめては休み、君の視線なんて気づいていませんよと澄まし顔、たかふみ君はのんびりとした自然を地味に、けれどちゃくじつに好いていました。
よく日焼けをした元気な男の子、たかふみ君。
ぱっと見かけっこが得意そうですが、見た目ほど速くありません。高校じだいのクラスでは、真ん中あたりでしょうか。
それでも今日のいでたちはサマになっていました。
紺色にオレンジの差し色のはいったジャージです。
上着は長袖で下はショート丈。オレンジのストライプが、腕とショートパンツの両わきに入っています。ショートパンツからは、短い訳ではけしてないのですが道産子のような太い脚が、にょこっと出ています。
渓流つりとトレッキングできたえた脚は日焼けをして、そこに19才にしてはしょうしょう濃いめのすね毛が、ふわっと巻きついています。縁日でわたあめ屋のおじさんがフワフワ白綿をまきつけていく、あの4、5回巻いた頃、いえいえ10回巻いたあたりでしょうか、それくらい柔らかそうに巻きついたすね毛です。
とはいえ、ふれてみればやっぱり威勢のいいすね毛らしく、ゴワッゴワッとするのです。

今日は学校でスポーツ大会がありました。かけっこは速くなくても体をうごかすのは大好きですから、こんなイベントがきらいなはずはありません。それなのに朝からちょっぴり気が重いのです。

入学式をすぎたばかりの頃、たかふみ君は驚きっ放しでした。
男の子も女の子も、だれもがお洒落ではありませんか。
これまでの彼のお洋服は、学校では制服でしたし、お家で着る物は、年のはなれたお兄さんや従兄のおさがりばかり、自分で服を買ったことなどないのです。
すてきなお洋服の学生たちは、光り輝くお星さまです。コンペイトウみたいなツノをたくさんつけて、たかふみ君のあたまの上にポカポカ・ポカポカ落ちてきます。
みんなよりちょっと、ひょっとしたらうんと劣っていると思ってしまったたかふみ君ですので、教室ではキラキラをとくべつ放っている人たちを、避けてしまいます。隣の席のおとなしい服装の、でもオーバーサイズの黒いTシャツをこなれた感じで着こなす子にだって、話し掛けるのをためらっていました。
たかふみ君はお兄さん伝来のほうじ茶色のボタンダウンシャツと、従兄がつけたロールアップの折皺がけしてとれないリーヴァイスの501に目を落とし、ため息をつきました。
実は、どちらの服もお気に入り。
ため息をつくと不思議なもので、なんだか少し賢くなったような気がします。おしゃべりに夢中な教室の子たちが、軽薄なものに見えてきました。
あいつらときたら、どうせかじか浮鮴うきごりの区別もつかないし、山奥の宿で塩焼きにしてもらった天魚あまごの旨さだってしらないんだ。ふん。
鼻を鳴らすと、こんどは自分がいやになります。まぶしいコンペイトウの皆さんにひけ目を感じているから、こんな考えが浮かぶのです。
今日のスポーツ大会では、入学後すっかり仲よくなった子たちが、競技をおやつにキラキラの青春もりつけ大会を開催するのでしょう。たかふみ君は今から、運動場でぽつねんとしている自分を想像しました。

列車はいつのまにか、土手のような傾斜のなかをすすんでいました。
傾斜には五月になって一斉に生えそろった早緑色の雑草が、たかふみ君のすね毛のようにもふもふっ、モフモフっとしています。
だれかが車両の連結ぶぶんの扉を開けました。
紺色にオレンジの差し色の入ったジャージの男の子が、もふもふのすね毛、いえいえまぶしい早緑色の窓を左右にしたがえて、こちらに進んできます。語学のクラスがいっしょのタカアキ君ではありませんか。タカアキ君のほうでも、たかふみ君に気がつきました。
「あ」
まだ半分眠っているような声でした。ひょろりと縦に長いタカアキ君は、なかづり広告にふれないように頭をさげると、ごくごく自然にたかふみ君のとなりに腰かけます。
「ふう。おはよ」
ため息とあいさつがまざっていました。
たかふみ君は、ドキドキしていました。このタカアキ君こそ、たかふみ君が知るかぎり学校の中でいちばんお洒落でいちばんキラキラしている男子だったからです。
いつも大勢の友だちにかこまれているタカアキ君を、たかふみ君は教室のはなれた席から「すてきだなあ」とながめ、「でもあんまりすてきって思わないようにしよう」とあわてて目をそらしていました。
こんな近くに座るのは、初めてです。
タカアキ君のジャージも学校の購買部で売っている物なのに、たかふみ君のジャージとはちがう物のように見えました。前身ごろのファスナーを襟もとまで上げています。くびの白さがくっきり際立ちます。
「なんだか、すてきだなあ」
それをストイックな魅力と表現するのだとは、まだ知らないたかふみ君でした。
ショートパンツからは長くて細やかな脚が、シュ―――――――ッという擬態音つきで伸びています。なんとまっしろできれいな脚なのでしょう。ムダ毛が一本もない脚でした。朝、開店してまもないケーキ屋さんの静けさにみちたショーケースの中、うつむきながらまだ見ぬお客さんへひそかな恋をよせているレアチーズケーキのようなうつくしさです。
たかふみ君は軽いめまいをおぼえます。その目に茶色く不格好なものが映りました。日焼けとすね毛にまみれた自分の脚でした。
タカアキ君の脚がシュ―――――なら、こちらはモッシャモッシャのドスコイです。たましいの抜けるような声で言いました。
「タ、タカアキ君って、モデルやってるの?」
なんとまあ、あからさまな表現なのでしょう。かっこいいから即モデルとは……、少々ステレオタイプ過ぎませんか。しかし作者の心配も知らないたかふみ君は、タカアキ君のつぎ言葉でさらに打ちのめされました。
「うん、やってるよ」
同じ男子とはおもえないピンク色のくちびるから、歯がキラッ。
レアチーズケーキの上にのったミントの葉の香りさえします。
ほほえんだ黒い瞳は、ホテルのプールサイドで耀くコーヒーゼリーでしょうか。たかふみ君はその瞳に吸い込まれそう。
あらあら。タカアキ君が素敵すぎるので、私もずいぶんステレオタイプではありませんか。ともあれ、タカアキ君はそんなふうにたかふみ君をノックアウトすると、今度はおちゃめに言いました。
「う・そ」
たかふみ君には「う・そ」の方が嘘に思えます。「う」ですぼめたくちびるは、圧倒的なかわいらしさの中にほんのちょっぴり、なんと言いますか、ひわいさ、、、、が交ざっているのですが、たかふみ君は「オトコノコってこんな可愛いくちびるができるんだあ~」と驚くばかりです。
歩いているのも素敵、となりに座っても素敵、ウソと言っても素敵、そんなタカアキ君とくらべたら、彼のまわりの子のかっこよさなんて、紙でこさえた服を着ているような具合なのです。実を言うと、タカアキ君は小学校の6年生までモデルをしていたので、まるっきりの嘘ではなかったのです。
「ああ、かゆっ」
タカアキ君は前かがみになりました。ふくらはぎをさすっています。
「ど、どうしたの」
「すね毛って、剃るとかゆくない?」
たかふみ君は自分のすね毛を、猥雑きわまりない不潔物体と思いはじめていました。ですから、タカアキ君の可愛らしく動くお口から猥雑な言葉がこぼれると、キスされたら困るところにキスされてしまったようなきまり悪さです。
おまけに、いままで面倒でろくに考えなかったムダ毛問題、すね毛って剃った方が良くありません?というサジェスチョンまでさり気なくほのめかされ、ここはグリム童話?とでも言うような、とてもノッポで、とても堅牢な壁のはるか上の上、雲の上まで見上げ、「適わねぇぇ…」と唸ってもいました。
「ここ、赤くなってるし」
タカアキ君が脚を上げてさすっているのは、かみそり負けのあとでした。
その近くでは、黒い点々が浮かび上がっています。剃られたすね毛たちが、ほんのちょっぴり頭を出していたのです。
たかふみ君は、レアチーズケーキの肌に自分のひげより太い毛穴が浮かんでいるのを見つけ、びっくりします。
高い背たけのわりにあどけなく見えた色白の頬っぺたも、もみあげの剃りあとが日光をはねかえし、青くテラテラしています。タカアキ君は深剃り派でした。
「一本みっけ」
タカアキ君が自分のひざに顔を近づけていました。
つまんでいるのは、剃り残しのすね毛です。
太々しいまでに立派なそいつを、タカアキ君は「やだなあ」と数回さすってから「えいっ」とひっこぬきました。さらに「フーッ」と、通路へ吹きとばします。
照れ隠しで指をジャージで拭く真似をすると、たかふみ君と目が合います。「タカアキ君のいろいろなところ、見ちゃった」たかふみ君の茶色の目は、興味しんしんでそう言っています。「驚いちゃったけど、ボクはどのタカアキ君もへっちゃらだよ」とも言っています。もっとも、そんなことを言ったなんてちっとも気づいていないのが、たかふみ君のたかふみ君らしいところなのです。
土手のような傾斜が低くなった辺りで、列車がとまります。
乗り込んできたのは、ヨシダヤマ君です。彼も、二人と授業がおなじでした。
「おう」
ヨシダヤマ君はタカアキ君にだけあいさつをしました。
DIESELのロゴ入りTシャツとThe North Faceのショートパンツをタカアキ君にほめてもらいたいので、正面にたちます。
もっとモテますようにと願いをこめ、脚を日焼けサロンでいい色にしあげていますが、数日前のかみそり負けがいくつも赤茶色のまだらとなっています。「こいつ、頑張りすぎじゃね?」たかふみ君には、ヨシダヤマ君が必死にタカアキ君に追いつこうとしているように見えてなりません。
彼のすねには、すでに数ミリの長さで真っ黒いすね毛がブブブブブブブブブブブブブブブブブと上から下まで生えそろっています。「お前らも頑張りすぎなんだよ」
一方タカアキ君のすね毛はと見ると、こちらは「生えてきちゃってスミマセン(汗)」なんて、さくら色のような薄むらさきのようなため息が耳たぶをサワサワかすめます。
「あー!」
ヨシダヤマ君が、素っとん狂な声をあげました。向かいの席のハイキング姿のおばさんがびっくりします。

「タカアキ、おまえ鼻毛でてるぜー!」

たかふみ君が見ると、たしかにきれいな形の鼻の穴から、スラリと細い鼻毛が3ミリほど出ています。
「マジ!?」
「マジマジ」
タカアキ君は鼻をさすります。頬っぺたは真っ赤です。
「あ~あ、鼻毛なんて出しちゃっていいと思ってるの~?言ってやろぉ~!」
かっこいい男子の弱みを握って、ヨシダヤマ君は有頂天です。
ヘンな拍子をつけて、通路をねり歩きます。
「鼻毛っ!ハナゲッ!鼻毛っ!ハナゲ!!」
タカアキ君の真っ赤な顔は、あいそ笑いで歪みながら、目にはうっすら涙が浮いていました。弱虫な自分に、いっそう恥ずかしくなります。
すくっと立ち上がったのは、たかふみ君です。
ヨシダヤマ君の前に立ちふさがりました。
腰に両手をあて、鼻息を鳴らします。
フン!!!
すると鼻の穴からビョビョ~~~ンっと、元気よく鼻毛が飛び出すではありませんか。
それはたかふみ君がお家を出る前に、いそいで鼻のあなに押し込んだ、とても長くてとても太い鼻毛でした。そうですね、健康的なゴキブリさんの脚のような鼻毛です。
穴から出ようとずっとうごめいていたそいつは、今やのびのびとたかふみ君の鼻の下をくすぐります。
「おれの鼻毛、出てる?」
「うっ……」
「遠慮しないで言っていいぜ」
うまい具合に鼻毛を出したたかふみ君は、不敵な笑み。とはいえ、その先にハナクソのおまけが着いていることには、さすがに気づいていません。
ぶちん!!
たかふみ君は鼻毛を引っこ抜くと、ハナクソごとヨシダヤマ君へ吹き飛ばしました。
「わ~~~!!」
めでたし・めでたし。なんてナレーションが聞こえそうな逃げっぷり、ヨシダヤマ君はとなりの車両へ去りました。
「ふんっ」
たかふみ君は得意顔で座り直します。
「あ……、あ……」
タカアキ君は口を開けっぱなしで驚いていましたが、同時にまた、胸がほっこりするのも感じていました。いびつに大きくなったけれどハート形に似ていなくもないさつま芋をホクホク焼き芋にして、心臓のところにキュンと押し込んだような温かさでした。
つまりは、〝ありがとうっ!〟と言いたかったのです。
けれど口を突いて出てきたのは、なんともトンチンカンな言葉でした。
「た、たかふみ君って、かけっこ速いでしょ…?」
それ鼻毛と関係ないですよ、なんて思っているのは作者の私だけでした。たかふみ君もまた、タカアキ君に負け劣らずマイペースです。
「う~ん、真ん中だね」
「真ん中かあ。いいなあ」
タカアキ君は前にかがんで、髪の毛に指をもしゃもしゃと突っ込みます。
「真ん中って結局、いちばん、いい」
「そう?」
「おれ、……かけっこ遅いんだよ…、ビリか、ビリから二番目」
こんなに長い脚をもっているのに、走るとぶきっちょにも脚と脚がこんがらがってしまうのです。なまじ、顔とスタイルが完璧なだけに、そのブザマな走りを見た人たちの衝撃たるや……。
小学校6年の時、最後のモデルの仕事は、スポーツウェアで駆けてみて、という注文でした。駆けっこはその当時だって苦手です。結局、写真は一枚も撮れませんでした。
お家の人しか知らないその話を、たかふみ君になら話してもよさそう……。たかふみ君をチラリと見ると、その茶色の目はクリクリッと「キミがどんなにカッコ悪くても、ボクは受け止めるよ」と言っているではありませんか。タカアキ君は急に自分が恥ずかしくなります。だから、えいっ!
たかふみ君のモッシャモッシャの毛を、すねごとつかみます。
「なにするの!」
「あ、けっこう硬い」
たかふみ君のすね毛がやわらかそうに見えたのは、髪の毛もからだの毛も、すこぅしばかり色素がうすいからなのです。
「ほら、ここの毛も、ゴワゴワ。ここの毛も、ジョリジョリ」
「くすぐったいって」
タカアキ君は、たかふみ君のももの剛毛に手をおいたまま、すこしほほえんでたかふみ君を見ています。
目のふちには、さっきほんのちょっとですが泣きべそをかいてしまった涙のはしっこが、砂時計の砂の最後のひとしずく、上半分のガラス世界から光りながら消えていくあの1秒間の砂のように、ちょっぴり輝いています。そんなタカアキ君をみて、たかふみ君は小学校のころ、彼の飼っていたカブト虫におっかなびっくりさわった、とくべつ仲のいい子を思い出していました。
列車が駅につきました。
「降りよう」
タカアキ君がそう言います。たかふみ君が言おうかな、と思ったのと同時でした。
駅は白いペンキをぬった平屋です。窓の外を見たとたん、たかふみ君は「あ、ここ見たことある!」と声に出しそうになりました。毎日かよう学校のもより駅、でもそれが理由ではありません。
まだ見たこともない白い小さな駅を、どういう訳かたかふみ君が知っていて、ここがその駅にとても似ているような気がしたのです。なつかしい、そんな気持ちが一瞬わきました。
「どうしたの?」
「ううん。何でもない」
でも改札口をぬけると、不思議ななつかしさはもっと強くなりました。
駅の前は小さなバスロータリーです。
駅舎の影から出る瞬間、あふれる日射しのせいで、バスロータリーは一面まっ白にハレーションを起こしました。その白さが消える直前、なつかしいとしか言いようのない川、森、山々が見えました。
川には渓流釣りをする二人の人物———遠くに見えるのは、たかふみ君とタカアキ君でした。せせらぎの音に乗せて、たしかに二人の笑い声が届きます。その景色が消える直前、二人の顔がぐっと近づきます。

タカアキ君の歯が、キラッ。
たかふみ君の歯まで、キラッ。

こちらにいるたかふみ君は、目をパチクリ。
「なに、ぽかんとしてるの?」
「えーと、えーと……」
「たかふみって、見てるとたのしい」
タカアキ君の足取りは、昨日までよりずっと軽快です。
たかふみ君も、昨日までよりうんとたのしいのです。
たかふみ君が一瞬見た二人———それは、彼がまだ知らない未来の夏の、たかふみ君とタカアキ君でした。
小さな駅舎から出てきた二人のリュックサックに入っているのは、それぞれの釣り道具とお弁当、それからキャンプ道具———それらがまるで5歳のこどもの宝物のように、いえいえ、ご主人様に使ってもらう出番を「今か今か」と待つ勇者の剣や魔法のランプのように、ワクワクしながら肩をよせ合っているのでした。





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[一行あとがき]
男の子って、ちょっときたいないのが当たり前。


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