たまには己の気持ち

じめじめ    して   まいりました。

つい先日、息子2が   鉢植えを倒して、
割ってしまいました。

リビングルームに置いてあった、観葉植物の大きな鉢です。

白色の 細い筒型のフォルムで、1メートル位高さのあります。
高さがあるので、少し不安定な面もありますが、
縦長の細いシルエットに美しさを感じ、気に入って購入したものでした。


いつもは  その周りには 近付かないのですが、
お友達が、遊びに来ていたので、
テンションが上がり、悪ふざけをして、
ぶら下がり  倒してしまったようです。

最近は、悪ふざけが  何よりも楽しいらしく
手におえません。始末が、悪いです。
悪戯をして、相手の驚く反応をみるのが楽しいようで
本当に、目が離せないです。

この時も、一瞬の出来事でした。

ぐるぐる走り回って、勢い余ってふざけて、植木の枝を掴み
『ガッシャーン!』

私も   あまりにも、びっくりして、数秒沈黙…
返す言葉が、見つかりませんでした。
どんどん重い空気になり、ただならぬ雰囲気に
やっと気づいた息子2は、もじもじ  逃げ腰です。


“まずい…僕は  度を超えた悪い事をしてしまった…” 
と、いう表情の変化をしていました。

それを、見ていると私はだんだん   腹が立ってきました。
最近の悪事も、脳裏をかすめ、
(沢山ある)
カチン!!。

私・『…ねぇ。ちょっと。
あんたさ、今すぐ 同じの買ってきてよっ。』

この言葉は、母親としての叱る言葉では、ありません。私  という、1人の女性の言葉。

自分でも、分かりましたが、もう二度、同じ事を言いました。

この時の、私の 最終的な気持ちを  
至極シンプルに 素直に、出力してみたら、出た言葉です。

いつも   親から目線で、全てを見ていて、
注意したり、怒ったり、諭したり、を している訳ですが、毎日  そうしていると、疲れる。
なんだか自分の感情を忘れてしまう。

『それはダメだよ、危ないよ、違うよ、こうだよetc…..』
四角四面、いつも正しい事ばかり、毎日言っていると上っ面な人間になったような、
自分の個がすり減っていくような感じが、してくるのです。

こんなに陳腐で、些細な、セリフですが、
これを普通に   気持ちと共に
口にだしたら、なんだか気持ちが楽になりました。
友達のお母様もいらっしゃたけど、人目も気にせず
感情を出したら、爽快でした。

まぁ、いいや…
怒りも何処へやら  
(半分くらいだけど)
お母さんだから、の台詞ばかり、言ってちゃ駄目だな….
なんて、 割れた植木鉢を見ながら、思いました。


勿論    時と、場合によるけれど、
“お母さん” 役を、やってる  私にだって色々あって、
お気に入りの物や、大切にしてる物もあって、
壊されたり、悪戯されたら、嫌だし、
泣きたいくらいな、気持ちになる事もある。
そういうのは、体面  気にせず見せてもいいんじゃない。

と、  素の私が  思いました。

その後、息子2は、植木に、向かって  謝罪し
そして遊びに来ていてくれていた、
お友達と一緒に大掃除をしました。
皆様、ありがとうございました。

今では 笑い話です。
  本当に、一瞬の出来事でしたが、
私の頭をかすめた  素の感情でした。

その後、 同じ植木鉢は、もうなかったので
  ネットで 色々探して  買いました。

そして、届いたのですが、
これが……また

大きすぎた…。

なんだか違う。


なんでこれ買ったんだろう・・・。
 どうしよう。 落ち込む私に、
 『ちょっと大きいけど、お母さん、これもいいよ。』


と、子供達に励まされました。
ありがとう。
君達によって  毎日がつくられているよ。


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