文学的ゲシュタルト崩壊

 ゲシュタルト崩壊とは、知覚的な錯覚であり、視覚的情報は全体を捉えるが個々のパーツを認知してしまう事で全体を観ても認知できない事である。

 文章を読む時にも同じことが起こる。私だけかもしれない。本を読んでると別のことを考えてしまう。頭に入ってこない。そんな体験はないだろうか?

 コンサートに行った時にも私はゲシュタルト崩壊を起こしてしまう。演奏が入ってこないのである。人の頭、頭、頭。振動。スポットライト。コードを巻くスタッフ。挙げられた両手。手拍子を止めるタイミング。全体性を持たないとならないパーツ達が私の中で自立していく。

 文章を書く時もまた、同じ現象が起こってしまう支離滅裂な言葉達が不格好な正装を纏い手を繋いで不協和音を奏でる。

 本を読みますがあなたは今から家にいることと同じ感覚で白川の前にも書く様なお兄さん達がいる。希望される方はお迎えください。言葉は時折耳にするけど大事なのは自分自身が何時までいるか、寂しがりのタイヤ交換は可能性として人間じみている。ショーケースの中に細々したコバンザメの写真付き、ありがとうの声はパンツの裾から並々の状態。放たれる事、聴き慣れない曲、為になるには良い。表を伸ばすには至近距離で約半年間ゆるキャラに肉刺を潰される。香の物の徒競走が宗教的に認知されて思った通り。テーブルの足元気をつけてしまいました斜め切りボーナス制度。トドめさん北極海航路にて頬紫色。


頭ん中ぐっちゃぐちゃ、咀嚼音がする

シュウマイガール

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