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「セクシー田中さん」問題を風化させないために(「権利」と「責任」の話)

こんばんは。いつもお疲れ様です。楓です。

今回クリエイターさま全員に向けた文章にしたいと思いながら淡々と表現したかったです。

それでも正直ブチギレています。「事なかれ主義のクソすぎる末路」すら思っています。

たった7日間noteを書いた自分ですら思いました。
「契約初期からの破綻」「報連相すらできていない」「現状のメディアミックスの形は創作者・脚本家・どちらの苦痛を分かち合えない。形を変えるべきだ」と。

原作サイド・制作サイド、どちらの権利も守られない誰も得しない話です。

そして肝心の芦原先生の気持ちは遺書が公表されていない以上、わからない。

日テレも今の形でやるなら

「そもそも原作者ありきの形でその言い方ならやめろ、自分たちで作れ」と思います。

感情が全面に出てしまい、どうしようもないので、あえて資料だけ出します。

手を抜いているのではなく、この制作の形に憎悪すらしているのです。

芦原先生は「完全に原作に忠実に」ではなく、「作品の世界観を守ってほしい」「キャラクターの価値観やメッセージを守ってほしい」だけだったんです。

もちろん、中途の制作に関係した脚本家さんにも、もちろん二次著作権があります。

ですが、私は「脚本家はあくまで黒子であるべきだ」というスタンスはあります。

ただ、「脚本家に今回問題はかった」これは言えます。

その上で、読む人は見てください。ただただ互いの憎悪を煽る話です。

気分はとても悪いです。時系列も無茶苦茶です。どう考えるかは読み手の自由です。

あえて言うなら
「御託はいいから第三者委員会開け。本当にお前らはこれでいいのか?」です。


日テレサイド報告書
https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-2.pdf

小学館サイド報告書

https://doc.shogakukan.co.jp/20240603a.pdf

日テレ側・小学館側両者公式声明


ただし、司法ではこう取り上げられています。

文庫化やメディアミックスで契約書を作らないのは論外ですが、出版社が契約書に消極的な文化なのは理由のないことではなくて、要するに、正式に契約を締結したのに作家から原稿が上がってこないと未達の契約書が宙に浮いてしまうわけです。皆さんも面倒でしょ、腫れ物と化した書類の不発弾処理。

昔は作家が逃げるなんて日常茶飯事だったから、こんな赤ちゃんどもと契約書なんて結ぶのは自殺行為だって意識だったんじゃないですかね。知りませんけど。

しゃいん@shine_sann 様より。

ちなみに、私はしゃいん様の意見に痛感されられた側です。

クリエイターさま方は、この問題、どう考えますか?

そして、最大の害悪は、この問題から来てます。

これはもう流石に読まれてください、。課金すらされてない良い記事です。聖書かと思いました。

というより読まないと創作活動なんて全くできないよ…すべてが無価値になる…

最後までご拝読、ありがとうございました。

このような文面になってしまい大変申し訳ありません。

それでもなお、わたしをフォローいただけたら大変嬉しいです。拝読ありがとうございました。

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