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【日本語了解力♡】
日本人同士で日本語で話しているのに通じない!家族や友だち同士でも、そう言うことはままある。お互いに言ったつもり、わかったつもりで会話を重ねて、誤解が生じて、行き違いがあって、腹が立って喧嘩になることもある。
子どもの頃、両親が夫婦喧嘩でよく怒鳴り合っていたのを思い出すが、喧嘩の種はそう言った言葉の行き違いだった。(苦笑)
ただ、これが仕事上のこととなると話は違ってくる。お客様相手に言った言わないの喧嘩は出来ない。お客様に誤解のないように、窓口の案内では分かりやすく伝える必要がある。
スタッフには「トークフロー」が展開されて、応対する人によって案内の内容が違ってしまわぬよう細心の注意を払う。
特に新人は、応対品質を均一にする為にトレーニングを受ける。が、同じ日本語なのに通じない。このように案内してくださいねと、そのままお客様へ伝えられるようにこちらで言ってみせるが、聴いた通りに再現して言うことができない。聴き取る力がないからだ。どこか自己流に変換して、違う言い回しなっている。それでは相手に伝わるニュワンスが変わってしまうので、結果、違う内容を案内していることとなる。が、本人は自己流に変換していることや、違った案内をしている自覚が無いので、なぜやり直しさせられるのか理解が出来ずに、注意されたことを悩んで、自信を失っていく。同じ日本語で話しているにも関わらず、この悪循環が続くのだ。新人も悩むが、私も悩んで悲しくなる。
日本語了解力が無いとこんな苦労をするととなるのだが、こちらも、違いの分からない人たちに、どのように指導したら良いのか、どうやって伝えれば分かってもらえるのか途方に暮れてしまう。
そして、このように聴き分ける力のない人たちに共通して言える事は、日本語の発音が明瞭でないということ。ボソボソと何を言っているのか分かりづらい言葉なのだ。つまり、「母音」の発音がはっきりしていない。一体、子どもの頃にどんな音の中で育てられたのか?ついつい音読指導者として分析を始めてしまう。
本来なら、音読道場でやっているような、「母音」と「子音」の発音からやり直して、日本語音読をしてもらったら簡単に解決することだと分かっているが、職場でそのような機会は与えられない。
彼、彼女たちは、これから先も、この不明瞭な「音」の言葉の中で、無自覚の誤解をしながら、不自由に生きていくのかと思うと、何だかやるせない氣持ちになる。
全ての学習の基は日本語能力なのだ。日本語に問題あると言うことは、長い人生に置いて、かなり不幸なことになのではないかと考えさせられる一日だった。