【カタカムナ音読法と出会って♡】
普段何氣なく使っている日本語。
あまりに当たり前過ぎて、その特徴や魅力などを意識したことは無い。学生の頃は、寧ろ文法が他の英語や仏語などとかけ離れているからこそ、日本人の外国語の習得が困難になっている厄介な言語としか思っていなかった。
が、実際に松永暢史先生の発する「音」に耳を傾け、カタカムナを始めとする古典の音読を進めて行くと…日本語に対する考えが一変してしまう。
何と奥深い響きを持った、美しく、魅力的な言葉なのだろうか。真の響きを捉えて、声明(しょうみょう)のように、みんなで合わせて音読して共振・共鳴する氣持ち良さはまた格別だ。
「音」を知る事で世界が広がる。
「音」の中に当時の様子や場面が織り込まれていて、「音」を再現することで、作者たちの息遣いさえも伝わってくるような感覚になる。千年前の私たちの祖先との邂逅である。
何と厚みのある言葉なのだろう。二千年以上の長い歴史の中で積み重ねられ、語り継がれた言葉がここにあるのだ。
私たちの祖先は、「音」の響きからあらゆる意味を汲みとり、大自然の一部である生命(いのち)の無常さや儚さ、今のここに発露するものの正体を見事に捉えて、5つの母音を響かせる。
シンプルであるが故に、底が見えぬ程の深みのある美しい世界を描写して教えてくれる。まるで大海原の真ん中で漂う小舟のような小さな存在の自分に心許なさを感じる一方で、そんな言葉を生み出し育んだ日本人の一端である喜びと誇らしさを感じる。
古典を触れることで、こんなにも世界が広がるとは、想像を遥かに超える収穫だった。子どもの頃に触れられたらどんなに良かったか、学生の頃古典嫌いだった私は心底思う。
この素晴らしいカタカムナ音読の世界をあらゆる人たちと共有したい。特に子どもや若い人たちに知って欲しい。日本語の奥深さや、繊細な感覚に触れることで、私たちのDNAの中にに織り込まれた古来の知恵を掘り起こし、本来持ち合わせている各々の個性を発揮させることで、この混沌とした時代を共に切り拓いていけたらと思う。つづく。