【母音のヒビキ♡】
しとしと雨降る勤労感謝の日(新嘗祭)に、楽しみにしていた松永暢史先生と天野成美先生のトークショーに参加した。カタカムナの世界にどっぷりと浸った二時間余り。参加者はスタッフを除くとほぼ女性が占めていた。生命(イノチ)を産み、育む性である女性特有の直感と受信器(アンテナ)でキャッチしているのだろうか。
会場のリアル参加は30人位、Zoomでライブ配信をしていたので、総勢何人だったかはよく分からない。松永先生がゲストであるトークショーだったので、天野先生が主催していらっしゃる塾の塾生の方々が大半を占めていたようだ。
トークショーの冒頭は、松永先生の音読から始まった。「意味はわからなくても、ヒビキを感じてみてください。」と伝えてから、カタカムナ、古事記、万葉集、古今和歌集の仮名序、徒然草など、古典の音読を「カタカムナ読み」、「一音一音切り読み」、「すらすら読み」と様々な読み方で披露する。
皆、ひたすら耳を傾けて、松永先生から発せられる「ヒビキ」に身を任せる静かな時間が流れた。
ひと通り音読が終わると、いつもの早口でとうとうと語る松永節が始まり、子どもたちの学力の礎となる国語力を上げる為に自ら開発した「カタカムナ音読法」の効果について語る。
その話を継いで、天野先生から、全ての音で「母音」を発音する日本語は、世界中の700あると言われている言語(細かくカウントすると7,000)の中でも非常に珍しく、カタカムナ以来何万年も受け継いでこられた、すごい言語だと言うお話があった。
「母音」をしっかりと発音する言語を持つ、数少ない民族たちは争いを好まず、平和な社会を築いてきたそうだ。その中でも日本は先進国となり、少なくとも一億人以上の人が話す言語であり、この稀有で素晴らしい「日本語のヒビキ」を世界に広めることで、世界が平和になると力説されていた。
子音(しおん)の多い言語、いわゆる、フランス語、ドイツ語、英語などは、支配者と支配される側がはっきりと分かれ、支配される側は支配者の為に奴隷のように扱き使われるのが常だという。そして、母音の多い日本では、上のものが下のものを憂い(みんなちゃんと幸せに生きているか心配をして)、下のものは上の為に尽くすという関係性であり、全く違った観念で成り立っている。
例えば、アメリカで起こった同時多発テロでツインタワーが倒壊した時のこと、「子音の多い」の国の企業は、社長など肩書きのある人たちが我先に一番最初に逃げたので、一般の社員が最も多く焼死し、「母音の多い」日系企業は、社長など肩書きのある人たちが多く焼死したと言う。もちろん社員から非難させたからだ。
この違いは何なのか?
「母音のヒビキ」とは何なのか?
考えるに、母音のヒビキの中には、私たちの感情・情動が一番現れている。私たちは感嘆する時、「あぁー」「おぉー」「えぇー」「わぁー」「ほぉー」と思わず口をついて出る。この短い音の中に、私たちの細やかな心の動きや振動がのせられている。そして、それを聞いた人たちも同時にその母音に共振して追体験をしている。この以心伝心的な言葉は、ア、イ、ウ、エ、オの5つの「母音」が元になっている。ゆえに、母音の多い日本語は感性や感覚にうったえる言語であるので、言葉を介してみんなで追体験をして、様々なことを分かち合うことが出来る社会が築かれたのではないかと思う。
それに比べて、「子音(しおん)」の多い言語を話す人たちは、「母音」が表す感情・情動といった生身の人間性を削ぎ落とした言語であるために、とても理性的ではあるが、お互いの感情や感覚を交わすことなく、共鳴・共振することなく、一人の切り離された個人として、個を守るために、自分以外の相手をコントロール(支配)することを選び取ったのではないかと想像したがいかがだろう。
お二人から、幅広く、興味深いお話をたくさん伺えたお陰で、いろんなインスピレーションを受けた。一番の収穫は、私たちの日本語の素晴らしさを再確認できたことであり、日本語音読指導者として、「カタカムナ音読法」を広める意義や確信を深めることができたことだ。
充実した勤労感謝の日であった。