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【じゅんこさん♡】

10月20日は、母の誕生日だった。生きていれば84歳。62歳の時に病気で亡くなってからもう22年が経つ。時が経つのは早い。

真面目で努力家で、聡明で、美人で自慢の母だったとも言えるが、氣が強くて、負けず嫌いで、厳しい母とはよく喧嘩をした。ズボラで、いい加減で、大雑把な性格な私とは相容れないところがあったのだろう、「一体何を考えているのかわからない。」「あなたは極楽とんぼでいいわね。」とよく言わた。母に理解されない悲しさと悔しさで、私はいつも反発していたような氣がする。よその母娘のように、仲良く一緒にお買い物に行ったり、旅行に行ったりすることもなかった。

思えば、自分の前に立ちはだかる鉄壁のような母に反抗することが、私の原動力になっていた。母を亡くして一番耐えられなかったのは、その原動力が無くなってしまったことだ。はらわたが煮え繰り返るほど感情を昂ぶらせて言い合いができる相手が居なくなってしまった喪失感は大きかった。

母が病気になって、入退院を繰り返していた時のこと、最後の抗がん剤の治療を終えてから、意識がなくなり、昏睡状態になってしまった。4年に渡る病院での度重なる治療は、肉体的にも精神的にも相当辛かったに違いない。負けず嫌いの母はギリギリのところでがんばっていた。病室で母と二人。スヤスヤと寝息を立てて眠っている。腹水が溜まり、ひどい浮腫みで両手は赤ちゃんの手のようにパンパンに膨れていた。私はなす術もなく、じっと母の様子を見守っていたが、ふと、紅葉のような小さな母の手を見ていると、全身の細胞たちがゾワゾワっとなり、目頭が熱くなって涙が止まらなくなった。母はこの両手で、おむつを替えてくれたり、食事を作ってくれたり、お熱を測ってくれたり、氷枕を作ってくれたり、毎日お弁当を作ってくれたり、体操着に名札を縫い付けてくれたり、洋服を作ってれたり、三つ編み編んでくれたり、お腹をさすってくれたり…と、今までしてもらったこと一つ一つが次から次へと思い出されてきて、この小さな母の両手がなかったら、私はここに居ないと思ったら、有難くて泣けてきたのだ。

この病室の一件から、母は、奇跡的に一時期意識を取り戻し会話ができるようになったが、やがて力尽き、肉体を離れて逝ってしまった。

あの全身の細胞がゾワゾワっとした不思議な体験は今でも時々思い出すことがある。どんなにお互い相容れない存在であっても、親子は深いところで繋がっているのだ。

今、「音読道場さいたま支部」を一緒にやっている女性のお名前が、なんと「旬子さん」。漢字は違うが母と同じ名前だ。いろいろとやり取りをしていて「じゅんこさん」と呼びかける機会が多くなったが、その度に母を思い出すきっかけを頂いている。母以外の「じゅんこさん」とこんなに密に関わる経験は初めてで、何とも不思議な巡り合わせだと感じている。

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